トランスジェンダーというカルト19 自殺未遂とその後
※この記事には自殺に関する描写があります
元夫は私の慌てふためきぶりに味を占め、事あるごとに私を脅すようになった。何か気に食わないことがあれば、家のWi-Fiを遠隔操作で私だけ使えなくなるようにしたり、携帯電話を解約すると言ってみたり、大家に今月いっぱいで引っ越すと勝手に家の退去を申し込んだりした。しまいには私の大切な猫も奪い取るつもりだと言う。私は精神的にかなり衰弱していた。
当時、私はコロナ禍で奇跡的に再就職したものの、仕事がうまく行っているとは言えなかった。脅され続けることに嫌気が差し、後先考えずに明日にでも家を出ようかと何回も考えたが、すぐに1人で暮らしていけるような収入はなかった。いよいよ追い詰められてきたな。そう私は考えていた。私の人生は常に自殺願望と隣り合わせで、きっかけさえあれば実際に行動に移せる状態だった。しかし、死にきれなかった場合のことを考えてしまい、踏みとどまっていた。
結婚して愛猫と暮らすようになってからは少し落ち着いたが、もちろん場所と環境を変えたくらいでどん底だった精神状態が急に回復するわけもなく、また新しい悩みや不安が出てきた。メンタル面は最悪ではないがずっと低空飛行で、私はトラウマがもたらす影響がどれほど深刻かを思い知った。元夫のカムアウト後は徐々にまた自分の気持ちが良くない方向に傾いていることを感じていたが、相談できる相手はいなかった。
私がそれまで実際に自殺を図ろうとしなかったのは、愛猫のおかげだ。私がいなくなれば、愛猫はあの変態の元に渡ってしまうと思い、そんなことはできないと思い続けてきた。愛猫は自分の一部、いや自分より大事な存在だ。しかし、元夫も愛猫を私と同じように可愛がっていたことは事実で、物理的に別居する前はご飯やトイレの世話は彼が担当していた。自分と暮らして狭い部屋でひもじい思いをさせるより、引き取ってもらったほうが愛猫にとっての幸せなのでは。そう考え始めた。
ヨーロッパでクリスマスは休息期間で、早い人は12月初旬から仕事納めに入る。肌感覚でいうと、12月23日から1月4日くらいまでは休暇を取る人が殆どで、仮に仕事に行ったとしても顧客、業者の動きも全部ストップしているので、何もやることがない。私の職場もクリスマス前から休みに入り、私はチャンスだと思った。誰にも迷惑をかけずに消えることができる。
私は自殺する日を決めると、その日に向かって首吊りの練習し始めた。困ったのは、自分の部屋に紐をかけれる場所がなかったことだ。唯一見つけたのはドアの内側につけられたコート用のフックだったが、太い紐は通りそうにない。ドアノブやフックにベルトをかけて試してみたが、どうも決まりそうになかった。紐と床の間がもっとないと、ギリギリ足が伸ばせる状態で苦しくなると助かろうと思ってしまう。
やはりODしかないか。血が怖い私にはそれしか思い浮かばなかった。有毒ガスを発生させたら猫に影響がありそうで、それは避けたい。絶対に失敗したくないと思いつつ、他の方法だと他人に迷惑がかかりそうだ。クリスマス休暇に入る前、私は薬局でアスピリンを100錠以上買った。今時の薬は過剰摂取なんかじゃ死なないというが、調べると酒と一緒だとまた違う説を信じた。事前に決めていた日がきて、部屋の前に遺書を残し、このまま目が覚めませんようにと思いながら私は自殺を図った。
意識が朦朧としているとき、私は元夫が部屋に入ってきたことを覚えている。入れないようにドアノブを固定しておいたはずなのに、やはり男の力は強いと思った。彼はベッドに横たわっている私をみると、脚で私の体を揺らした。反応がないので、今度は携帯のライトで私の顔を照らし、その眩しさで瞼が生理的にぴくぴく動いた。私に意識があることを確認した彼は部屋から出て行った。ちょっと前まで私たちはどこにでもいる夫婦だった。今では私は生活基盤を脅され、脚で蹴られている。意識は混濁しているが、薬による幻覚だったらいいのにと思った。
私は数時間後に目が覚めると、嘔吐した。それから数日は意識が朦朧として立っていられなかったので、ほとんどを吐くか寝て過ごした。あれほど思い焦がれていた自殺だったが、死ぬのはすごく難しいことだと学んだ。いざとなったら簡単に死ねると思っていた自分が、とことん恥ずかしくなった。生きているほうが辛いと思っていたのに、死ぬほうが苦しいのかもしれない。文字通り死ぬほど辛い経験をして、私の希死念慮は弱くなったと思う。生きるしかない、と覚悟を決めたと言ったほうが正確かもしれない。
それ以降も彼からの脅しはあったが、私は運良く一人暮らしできる給料の仕事を見つけて転職し、永住権を取得した。その後もまた良い給料を求め転職して仕事をクビになるを繰り返し、とても安定しているとは言えない生活だが、その時は結婚時代の貯金があったので助かった。今の仕事に特にやりがいは感じていないが、なんとか愛猫と2人暮らしをしている。
それでは元夫とはどうなっているかというと、今も連絡は毎日のように取っている。といっても普段の会話はほとんど猫のことで、性別の話にはならない。彼から離婚後も私とは友人でいたいと聞いたときは冗談じゃないと思ったが、その後、単に自分にとって利益を計算すると、彼との関係をキープしたほうがいいと判断した。私には頼れる身内がいないし、それほど親密な友人もいない。私に何かあったら、愛猫のことを頼めるのは彼しかいないと思う。今の時代、必要なものはすべて宅配で済むが、車移動が必要な場面、引っ越しや粗大ゴミを捨てるときに気兼ねなく頼める人がいたほうが断然経済的で便利だ。
それに、私は元夫を観察対象として興味深いと思っている。彼を通して私は、男性が思う理想の女性像や男性のコンプレックス、男性が女性になりたいと思う根底的な原因を理解し始めた。これは決して個人に留まるものではなく、共通して男性が、社会が抱えている問題でもあると考える。
以前、私が初めて書いた記事がTwitter上で拡散された際に、こんなコメントを見つけた。「全てのトランスジェンダーがこうだとは思わないで欲しい。」一体その人がトランスジェンダーをどう思って欲しいのかは知る由もないが、私は身を持って「個人の経験も集まれば根拠になる」と断言できる。英国にはトランスウィドウの支援団体があり、政治的なロビー活動もしている。トランスウィドウたちの体験談が続々と集まり、彼女たちの証言にはいくつもの共通点がある。これでも彼女たち、私の体験は「個人的なもの」なのに留まるのだろうか?
人生をやり直せるなら同じ結婚生活は経験したくない。しかし、ポジティブに言い換えると、女性として新しい視点を手に入れることが出来たと思っている。私の中の女性という存在、フェミニズムの在り方への思いを一層強くしてくれた。一度は忘れようとしたフェミニズムだったが、どこまでも付きまとってくるものだなと、変に納得してしまうというか、結婚もフェミニズムは自分の使命だと思わせられる出来事だった。そう思う。
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