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とあるバンドマンの官能夜話~第十一夜~

ーバンドマンがライブバーのオーナーになるの巻ーその1ー

学生時代に音楽活動をしていた人も、社会人に成ると音楽活動を止めてしまったり、楽器を弾くこと自体を止めてしまったりと言うことが多いと思います。私もそんな一人で、学生時代は演奏者として小さな芸能プロダクションに所属していて、歌やダンスのバックバンドなどでお金をもらう、つまりプロ活動をしていたのですが、大学を卒業して就職するとそんな活動をする時間もなくなり、ひたすら仕事に邁進しているうちに楽器を弾くこと自体もいつのまにかしなくなってギターはケースの中で錆びサビに、アンプやエフェクター類は後輩に売り飛ばして、いつのまにか普通のサラリーマンに変身していたのですね。

そして年月は流れ、齢40歳を何年か過ぎ、その辺にいる普通の親父になってしまっていたのが、子供も成人し、離婚も経験し、ふと自分自身を見つめ直す時が来た時に自分が一番好きだったギターを引っ張り出して練習を再開したのです。ブランクは約20年。頭の中の弾けるイメージとは裏腹に完全に初心者レベルの自分の指にあきれながらの練習再開でした。

そして更に年月は流れ、勤めていた会社が倒産したのをきっかけに起業、数年で苦しいながらも何とか仕事も回り出し、音楽活動をする時間の自由も効く環境になったのと、ギターの腕も人前で弾けるレベルまで来たのでネットの掲示板でメンバーを募集してバンド活動を再開しました。

気がつけば齢50歳を半分以上過ぎていて、音楽活動を再開するまでの道のりの長かったことを思い知らされました。これを読んでいる方で「昔楽器をやっていたけど今はブランクが~」と言う方は再開するなら1日でも早く練習を再開した方が良いと先輩から助言させて頂きます。

さてさて、そんなこんなで音楽活動を再開してからは限られた人生の残り時間(笑)が気になり出して来た訳で、月に一度のペースでライブ活動をするようになりました。演奏する自分達自身が同じ曲では飽きるのでライブの度に新曲を何曲か採用して、新曲を中心にセットリストを組むと言うことをやっているうちに1年半で100曲を越えるレパートリーを持つバンドになりました。

そんな無理が祟ったのか中心メンバーの私(g)とカミさん(Vo)と、若い頃にプロ経験のあるベース担当の3人以外のメンバーは脱落して行き何度か新しいメンバーの出入りがあったりしましたが、ある日そんな音楽活動を通じて知った行きつけのバーのマスターから「店を閉めるが引き継ぐか?」と言う話がありました。

このバーは狭いながらも店内にドラムや楽器類も置いてあり、自由に楽器を弾いたりセッションしたり、時にはライブも出来ると言うお店で、私達のバンドも何度かライブをしたことがあるお店でした。実はこの話がある2年程前から自分達が自由に演奏出来て、いつでも仲間が集まれるお店があればと不動産屋を回って物件を探していたこともあって、そんな話もこのマスターとはしていたので私の所に一番に話を持って来てくれたとのことでした。

一応カミさんと相談すると言うことで持って帰ると返事をしましたが、カミさんにはすぐにLINEで「来月末で店を閉める」と言うことだけ送っておきました。家に帰るとカミさんはすぐに「引き継いで店をやりたいんやろ?」と切り出して来ましたので、すぐにマスターに店を引き継ぐ意思を伝えました。

齢58歳。こうしてライブバーの経営者としての第一歩が始まったのです。昔バンドマン>ただの音楽好き>楽器再開>バンド再開>ライブバーのマスターと、まさしく音楽にどっぷり浸かった人生になって行きます。

<第拾壱夜-完>



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