レイニーブルー
男と女の出会いは偶然の中。 今思い返すと、、、 そう言えばあの時、、、 なんてことはないですか? この世には偶然は無い、全ては必然である。 そう主張する哲学者もいるようです。 確かに必然性があったから、その偶然もあったのでしょうね。 「私にはそんな偶然の出会いなんてなかったわ。」 そう言う人の多くは、本当は出会いがあったのに、その時にセンサーのスイッチが切れていたのだと思います。 ふと思えば、毎日は出会いの連続。 通勤、職場、飲み会、ご近所、などなど。 ただ、その出
気持ちをスカッとさせるために、鰻をを食べました。 しかも、中国産。 たま~に、吉野家の牛丼みたいに無性に食べたくなる食べ物の一つ。 ただ、高いので牛丼みたいに気軽にとはいきませんが、中国産だって、それなりの味です。 充分、充分。 しかし、鰻に梅干しはあたるとありますが、本当なのでしょうか? 以前に本当の鰻を食べたことがあります。 あ、中国産も本当の鰻なんですが、国産の鰻だとなんか、本当の鰻のようにに思えます。 智恵子抄の智恵子みたいに、 「東京に空が無いといふ、ほんとの空
アラン・シリトー「土曜の夜と日曜の朝」と言う小説がある。 そして、この作品は映画にもなったようだ。 1週間働いてようやく迎えた週末の貴重な時間。 それが土曜の夜と日曜の朝。 一つの夜と、一つの朝、その時間帯だけが、自分の本当の時間。 切ない気持になる。 今も程度の差こそあれ、みんな同じかも知れません。 みんな仕事が好きでやってるわけではない。 仕方なくやってる。 ほんとはしたいことがあるけど、心の奥底に閉まっている。 でも、みんながそうだから当たり前になっている。 そうかも
こんな夢を見たことはありませんか? 19歳の夏。 そして、恋人は20歳でした。 彼女のアパートに向かって歩いていると、我慢できなくなって、走り始めると、道は滑走路となって、ぐんぐんスピードも速くなり、すぐに空を飛べるまでになりました。 やがて、遠くに彼女の部屋のピンクのカーテンが見えてきました。 私は着陸し、部屋のドアをノックしました。 甘い風が舞い始め、彼女の笑顔が目の前に、、、 その時の気持ちはどう表現したらいいのか、、、 世界は新たに生まれ変わり、光に満ち溢れ、甘
たまには酔っ払いにならないとやっていけません。 簡単に言えば憂さ晴らしです。浮世の定めから、ちょいと足を踏み外して、軽く羽目を外してみる。 いいじゃないか、たまには。 人に迷惑をかける訳ではなし。 そうでもしなければ、漱石ではないが「とかくこの世は生き辛い」そんな感じでしょうか。 仕事になれば、仕事の義理、人情がそこにはある。 こうしなければ、ああしてはまずい、あの時こうしておけば良かった。 あれはいささか失敗だった、思うようにならないのがこの世の掟ではないのか? だから
さて、毎度のことですが、今日のランチは何にするか? これが意外に迷うことがあります。 頭の選択とお腹の選択が妙に一致しないことがあります。 何故?なんでしょうか? 何かがしっくり来ないんですね。 池波正太郎の「昭和の味を求めて」と言う本があります。 池波正太郎と言えば「鬼平犯科帳」、「剣客商売」などの名作がたくさんありますね。 また、同時に食通でもあったようです。 これはお気に入りの旨い料理を紹介する本ですが、昭和探訪の本でもあります。 一品の料理を通じて、手間暇かけた職
以前に友人のお薦めで渡辺淳一「失楽園」を読みました。 一言で言うと「凄まじい」小説でした。作家と言うものは凄いものだと感心させられました。 ストーリー自体の展開もありますが、迫真の描写力。そして、男と女のそれこそ究極の愛の姿。 あのように二人が究極まで行けること自体も凄いですが、性愛の描写も克明で、その克明さ故に迫真の臨場感に圧倒されます。 男と女の性。 そうした性を人間に与えた自然とは何なのか。 あの世界の向こう側には一体何があるのか。 もはや、結婚、不倫、とかの枠組みを
学生時代から本は好きでした。 フランス文学専攻でしたから、勿論、フランス文学はいろいろ読みました。 モーパッサン、ドーテ、フィリップ、バルザック、ランボー、ボードレール、サンテクジュペリ、などなど。 ゼミではプルースト「失われた時を求めて」をやりましたが、難解でした。 自分の順番が回ってくると図書館に籠って翻訳に取り掛かるのですが、これが難しい。 もともと、テーマ自体も「時間」と「記憶」ですから、当たり前と言えば当たり前ですが。 しかし、モーパッサンの小説に出てくる、会話のお