螺旋をほどく話
「"OK Google"ってあるでしょ?なんかCMとかで言ってるやつ。何がOKだって話だよな」
「急にどうした」
「いや、こちとら全然OKじゃねえから検索しようとしてんじゃんか。だからなんでOKって言わなきゃいけないのか意味不明だよ。」
「ひねくれてんな」
「ひねくれてねえよ。真理だろ。」
「いいから早く検索してくれよ。道が全然分かりゃしない」
俺たちは地元まで車で向かっているところなのだが、カーナビのデータが古いせいか途中でルート検索を誤ってしまい、意味不明なルートを闇雲に進んでしまった結果、今は自然に囲まれてしまっている。なんとか電波が繋がったのでGoogleマップで航空写真に切り替えたら山の中にいた。正確にはものすごく急な山道を下らなければいけない手前にいる。俺たちは本来だと海沿いを走ってなくてはいけないのだ。とりあえずこの山道を下って海を目指すしかない。海沿いの道は国道のためそこから真っ直ぐ一本で地元には帰れる。ただ大幅なタイムロスのため、今はまだ夕方だが帰る頃はもう真っ暗になっているだろう。
「全く嫌になっちゃうよ」
「なんだよ肩落としたってしょうがないじゃないか」
「ははは、なんでそんなさ、えなりかずきみたいな感じで言うんだよ」
「そうだよ、その調子だ、笑っていこうぜ」
思えば3時間くらいずっと運転していた。慣れない道ばかりでストレスも溜まっていたと思う。だから今みたいに笑うことでストレスが少し解消されたというか、やっぱり笑うということは健康にもいいんだろうな。ここ数日、全然笑っていなかったから余計にそう感じた。
車の後部座席には物が沢山積んでいる。自分たちの荷物やバッグは沢山物が積んである上に置いた。バッグの中には分厚いノートが1冊入っていて、表紙をめくった1ページ目には赤字で「GOOD LUCK!(幸運を!)」と書いてあった。
山道はカーブの連続だった。冷房があまり効かないため少しだけを窓を開けた。額からは汗が流れ、車が揺れるたびに飛び散った。追われているはずはないのだが変に背後からプレッシャーを感じ、怯えた。最初あそこを出発する前は絶対無理だろうと諦めていたが、覚悟を決めてからはあっという間だった。ただこんな山道を走る事になるとは思ってなかったし、カーブがいくらなんでも多すぎる。でも今を生きぬかなくては。辺りはだんだんと暗くなっていくのが分かった。ヘッドライトを着けたが片方が壊れていた。背後で大きな音がした。振り向く暇もなかった。心臓の鼓動の音の方が大きくなっていく。終わらぬS字曲線(カーブ)。コンビニで調達した飲み物はとっくに温くなっていて、1度も手をつけていなかったジンジャーエールを開けたら炭酸の音がプシュッと間抜けな音を立てた。カーブを曲がる度にスローに感じた。改めて俺たちはこれでいいのか。俺たちの人生、俺たちの未来、俺たちの故郷、全てこの1台の車に託して乗り込んだ。乗り込むと決めた時から分かってはいたが、やはり待っていたのは焦りと怯えの時間だった。さっきまで暑かったのだが、カーブを曲がる度に一段、また一段と気温が下がっていくのを感じ窓を閉めた。
同乗しているヤツの電話が鳴った。ファーストコールで出て、俺にも聞こえるようにスピーカーフォンにした。電話の向こうから聞こえてきた第一声は「相棒、そこに海はあるか?」だった。
「え?」
「海が見える道を走っているのかってことだ」
「残念ながら、山道を下っている」
「なんてこった、なぜそうなったんだ」
「カーナビ通りに進んでいたんだが、意味不明なルートを進んでしまっていたんだよ」
「とっくに着いていてもおかしくなかったのにな、もうすぐ真っ暗になるぞ。山は下れるのか」
「あと少しだ、多分な」
「2人とも元気なんだな」
「まあな」
「頼むぞ、待ってるからな」
夜になった。山道を下った先には信号機が見えた。ものすごい安堵感と共にどっと疲れが来た。S字曲線(カーブ)よ、さらばだ。信号を曲がった先にコンビニがあり、そこで用を足し、運転も交代した。すっかり夜景が広がっていた。星が螺旋状に光り輝いていた。一度、時間を確かめた。夜8時。ただ海はもうすぐそこだ。カーラジオもようやく繋がった。そこから流れてきたのはヨルシカの「八月、某、月明かり」という曲だった。「人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った」と歌っていた。二十七歳で死んだミュージシャンは多い。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、ロバート・ジョンソン、そしてカート・コバーン。俺たちの年齢も27だ。今運転している、そう今日ずっと一緒にいるやつは何故か高校生の時に出会った時から「ジョン」と呼ばれていた。なんでジョンと呼ばれてるのか聞いたら、「ジョン・コルトレーン」のCDを持ってたのがきっかけだ、とか言ってきたので「分かんないよ、全然」と答えた。結局それがジョンとの出会いだった。俺たちは高校の時は3年間クラスが一緒だったのにあまり仲良くはなかったのだが、進学先の大学が同じで学部学科まで一緒だったので大学生になってから仲良くなった。俺たちは2人とも大学でソウルミュージック研究会というところに所属をして、そこで邦楽洋楽問わず沢山聴いた。特に古いジャズやソウルミュージック・ブラックミュージックなどを聴いて一気に昔の音楽にのめり込んでいった。彼にとっての神様みたいな存在がジョン・コルトレーンだった。俺は高校生の時はなんか全然学校が楽しくなくてどっちかっていうと鬱、みたいな感じだったので日本のミュージシャンでいうとART-SCHOOLとかTHE BACK HORNとかsyrup16gとかを聴いてた。今も暗い気分になった時はこのバンドの音楽を聴いては救われている。俺は大学生の時にギターを始めたのだが、ジミ・ヘンドリックスには衝撃を受けた。キャリアを観てもデビューから死までは僅か4年ほどで、このたった4年間で音楽の歴史に永遠に刻まれるほどのギタリストになったんだから、凄まじいと思う。彼の死は謎のままだとも言われている。大量に酒と睡眠薬を摂取した影響からの窒息死なのか、他殺なのか、はたまたマフィアによる誘拐か。死というのは分からない。死人に口なし、とは言うが彼にはギターがあった。彼のギターは何も言わなかったのか。彼にとって肉体とギターは一つだった。歯で弾いたり背中で回したりして弾いたりというのはギターが体の一部だったからだと思う。ただ、もはや俺が生まれるはるか前にロックンロールは何かというのを証明してきた人の死なんか気にならないし、今更俺がどうにか解明してみせようとは思ってはいないし、はっきり言ってそんなことはどうでもいいことだ。ジミ・ヘンドリックスを日本人はみんなジミヘンと略して言っているほうがよっぽど気になる。新しい音楽を聴いてもほとんどは昔と同じに感じる。それくらい歴史というのは簡単には変えられない。進化の歴史というのはまだまだ浅い。
「チャット・ベイカーが聴きたいな」
「俺は安全地帯だな」
「なんで安全地帯?」
「いや分かんないけど、歌上手いじゃん玉置浩二」
「ワインレッドの心、とか言うんじゃねえだろうな」
「やめろ、思い出すだろ」
音楽は俺たちの心を動かし続ける。こんな状況でも聴きたくなる音楽ってなんなんだろうか。俺たちは革命を起こしたわけではない。ただ音楽家はステージの上でギターを鳴らし、何万人の観衆の心を掴むってのは一体どんな気分なんだろうか。自分の歌声に、演奏に、何万人が感動する。これってまさに革命なんじゃないか。俺たちはこれからの人生で誰かを感動させられるのだろうか。何かを成し遂げた先に光はあるのか。胸を張れるのか。
海が見えた。海は黒い色をしていた。今ならどこまでも行けそうな気がした。辺りは車が全然走っていない。ここは世界の果てか。国道へ車を走らせる前にジョンが「海を見ないか?」と言ってきたので「状況分かってるのか?少しだけだぞ?」と渋々車を路駐して海を見つめた。ハザードランプが点滅してその点滅する光に虫が寄って集った。夏の匂いがした。漆黒の海に空に浮かぶ星の光が微かに映った。雲の隙間から白く輝く三日月が顔を覗かせた。
「帰るぞ、みんなのところに」
「油断するなよ」
「みんなのところに行ければもう大丈夫だろ」
「まあ、そうだといいが」
海よ、全て包み込んでほしい。それだけ広いんだから俺たちくらい簡単だろ。胸に十字架を突きつける。俺が背負うのは車に積んであるバッグくらいでいいよ。波打ち際、月明かり、テトラポット、海沿いに伸びる国道、暗闇に溶ける。ペンダントはもう要らない。首から外して砂浜へと落とし軽く上から砂をかけた。俺の中で叫び声が木霊した。これから幾度となく聴くことになるだろうか。
国道を真っ直ぐ進む。信号がずっと青のままで気持ちよく通過する。見えてきた。故郷よ、ただいま。俺たちの故郷だ。ジョンは笑っていた。着ていた白いTシャツは汗と血が滲み、襟は真っ黒に汚れていた。ゴールテープを切った瞬間、仲間が出迎えてくれる。長い長いドライブだった。このオンボロのエアコンの効かないワゴン車ともおさらばだ。テレビからニュース速報の音が聴こえた瞬間、目眩がした。もう頑張らなくていい。面倒なことはもうごめんだ。
「えー速報です!一昨日無差別殺傷した通り魔が2人を誘拐して人質にとったという事件をお伝えいたしましたが、立てこもったとされている山小屋をようやく見つけ警官隊が突入しましたが、人質はおらず、容疑者は山小屋内で死亡、犯人は死亡した模様です!犯人の死因は分かりませんが、山小屋内へ突入した時に容疑者はワインを持っていて床に突っ伏した状態で倒れていたとの情報です!また、人質2人の行方は分かっておりません!」
愉快な脱走さ。