すでに顔、もはや顔、むしろ顔
それは、メガネです👓
わたしが初めて「眼鏡等」になったのは、忘れもしない小学校2年生の夏のことでした。要は夏休みね
わたしは眼鏡をかけることにまったく抵抗はなかったのですが、当時いい感じだった男の子に「メガネがない方がいい」と言われたことが唯一のウィークポイントだったでしょうか…おそらくそれ以降、彼の心はわたしから離れていったことでしょう
が、当の本人は、当時それほど周りになかった「眼鏡等」にときめいていた
単純ですねぇ…子どもですから。ただ単に目立ちたがり屋だったんでしょうね。なにせ無邪気な頃です。それが「恥ずかしい」というよりも、無邪気な脳みそは「優越感」と解釈したのです。その後、鼻あての窪みや耳の痛みに悩まされながら、何度となく落としては曲げ、磨いてはレンズを外し、まぁまぁおもちゃを扱うようなものでした
だから、当時はかけたりかけなかったり? 気分でサングラスのように扱っておりました。体育の時間は当然、邪魔ですから、運動会の練習が続く春頃(わたしのところは春でした)と、室内でレンズが曇る冬の季節は使用しておりませんでした。ザ・適当!
それ以前に、わたしは幼稚園当時に斜視の手術をしており、屋外ではまぶしさからいつも弱視な左目をつむってしまう傾向にあり、当時の写真はすべてウィンク状態。現実的にウィンクも左目しかできないという特異な体質でありました
ゆえに、当時右目は1.5まで見えていたにも拘わらず、左目は既に0.5以上は見えておらず、いわゆる「ガチャ目」(⇐正しい呼び名か解らない)というやつでした。それを不憫に思った眼科医と両親の一方的な愛情から、左目の視力を戻すため海賊か悪党のように、右目を眼帯で塞ぐという子どもには無体な荒行を強いられていたのです
が、当然不便ですので、どうでもいい仕様になっておりました
当然視力は低下の道を辿るばかりで、中学生になる頃には、当時懇意にしていた眼鏡屋さんに「もう0.3以上は見えない」回復機能なしと宣言され、自動的に右目の視力も0.8程度まで落ちていました。こうなるとなにがなんでも「眼鏡等」でなければ見えません
しかも、当時「スクールウォーズ」仕様だった中学校に通うにあたり、かけたりかけなかったりではなにか不都合が生じるかもしれない…という浅はかな防衛心から「毎日メガネ」がはじまり、そこから一生「眼鏡等」の道を歩むことになるのです
が、中学当時はもう無邪気でもなんでもなく、ただただ根暗道一筋だったわたしは、ここにきてようやっとメガネのダサさ(言葉ね)に気づくわけです
気づいたところでどうにもならないところに来ているのですがね、せめてお金をかけて「かわいい眼鏡を買ってくれ」と両親に懇願するも、昭和初期、戦後間もない両親は「学生らしく」と、取り合ってくれませんでしたので、おしゃれなメガネっ子にはなれなかったのですよ
でもね、おしゃれなメガネっ子というのは、メガネがおしゃれだからそう呼ばれているわけではなく、全体的におしゃれでかつ眼鏡をかけているだけなんだ…ということにまったく気づかないセンスもへったくれもない青春時代があらわになるわけですよ
あ、こんな話どうでもいいですかね
長くなりましたが、そんなこんなでOン十年「眼鏡等」をやっております
最近ではわたしが中学時代に焦がれてやまなかった「おしゃれ」のアイテムとして「眼鏡等」ではなく、本気でおしゃれなやつが出没しておりますが、今さら…と気持ちは冷めてしまいましたとさ
そして、今後の目標…なんて大げさなものではありませんが、実は還暦の頃にはグラデーションのデカい「おばちゃまメガネ」をめざしていたりするのです
このお話は、下記の紹介文に基づいて「自分探し」のつもりで書いています
あらためて自分のメガネについて語る、なんてことないですからね。ちょっと書いてて楽しかった~・・・・ので、だいぶ遊びました。そんなわたしのくだらな話、お付き合いいただきありがとうございました