寝物語
ドラマを見てると、時々両親のどちらかが幼い子供に絵本を読んでたりする姿を見掛けます。あれ、やってます? または、やってました?
なかなか夜って忙しくて、枕元でお話なんて、難しかったりしませんか?
でも、眠れない夜は、子供にだってあるんです(当然か)
うちは下の子が寝つきが悪く、こちらが眠くてほっといても、自分が眠くなるまで、またはこちらがかまってくれるまで、ぶつぶつぶつぶつ喋っている子でした。「あ~眠れないなぁ」「お母さんは寝ちゃったのかなぁ」「ひとりでさみしいなぁ」「なんだかおなかがすいてきちゃった」などなど、とにかくぶつぶつ言うので、ある時「なにかお話をして」と言ってみた。お話は解らないというので、その日あったことを教えてというと『今日の出来事』を考えている間に自然と寝てくれた
ひとつ、思い出話をしようと思う
わたしの子どもたちが幼いころ、つたないながらも「寝物語」を語って聞かせていた時期があった。毎晩、自分の知っている昔話を話したり、童謡を歌ったりして暗い夜に花を咲かせていたのだ
子どもはいろんな話を聞きたいはず…と思っていたわたしだったが、おかしなことに我が子らは、ある時期から前の晩の続きを要求してくるようになったのだ
それは「七ひきの仔山羊」
「いつも同じところに隠れるから見つかるんじゃないの?」と言われてしまって、「そういうお話だから」…と、わたしもよせばいいのにありとあらゆるところに隠しました。七ひきを
実は仔山羊の隠れ場所を正しく把握していなかった…というか覚えていない。最後のちびっこが時計の中に隠れることは覚えていても他の仔山羊の正しい位置が解らない。本を読めばよかったのだろうけど、明るいと寝てくれないので、暗がりで模索したのでした
そのうち知恵がついて、話してるこっちの先を行って『それでこうなるんでしょ』と言う。だったら話しなくてもいいじゃんって思うけど、そこもしつこい。先を読まれるのがしゃくだったから、もしかしたら「隠れられなかったコもいるかもしれない」とか「隠れる場所がなかったかもしれない」なんて、余計な心配を付け足した。 中には、足の速いコもいて「実は逃げてたかもしれない」とか
毎晩駆使していろんな場所に隠しましたが、七ひきもいるので、家の中に納まらず、隣の家、親戚の家、友達の家、幼稚園・・・さまざまな家に間借りして毎晩語りました。キリがない
次に来たのが「泣いた赤鬼」
二の舞です。今度は「昨日、出ていった青鬼はどこに行ったのか?」と聞くのだ。「お話はそこで終わり」…と、わたしもあきらめればよかったのだが、つい続きと称し赤鬼を青鬼に、青鬼を黄色い鬼に変えて話した。すると翌日「昨日の黄色い鬼はどうしたのか?」と聞く。わたしはあきらめず、黄色い鬼を緑の鬼に、緑は黒、白、ピンク、群青色・・・さまざまな色の鬼に変えて毎晩同じ話を語って聞かせた
つらかった~(。-_-。) 色は尽きるのです
巡り巡って「赤鬼」で終わりました。もう色の順番なんか覚えちゃいない
世話になりっぱなしで恩返しをしないと、いつか自分も同じ目にあうかもしれないと締めくくった。さみしい思いをしたくなかったら、あんたたちも、きちんと「ありがとう」を言える子になりなさい、と。ちゃんと村人に「青鬼はいい人だ」と説明できる勇気を持ちなさい、と
『じゃぁ赤鬼は、なんで青君を探しに行かなかったのか?』と聞かれ、わたしはひろすけ氏を少し恨みました。でもよく晩から、今度は青鬼を探す旅に出たわたしたち、どうやって見つけたか、見つけられなかったのか忘れてしまったけれど
そうして我が家の「寝物語」の思い出は、いつの間にかこのふたつだけになりました(~_~メ)
でも、子供はそれが楽しかったみたい。 覚えてないみたいだけど
当時のわたしたちは『小』の字で寝ていた。それには理由があって、自分が幼い頃、母親の隣で寝れなかったことがとてもさみしかったから、わたしは絶対子どもが複数いたら「両脇に抱えて寝るんだ」と決めていた
子供たちも大きくなれば、ひとつの布団に3人はつらく、わたしはだんだん追いやられた。そして、もっと大きくなったら、部屋も追いやられ、個々の生活になっていくんだな~なんて、寝静まった子どもの寝息を耳にそんなことを考えていたっけね。 時々そんな狭い布団が懐かしくなる
そのうち『一緒に寝たい』なんて言葉も言わなくなり、別々のbedが必要になり、どんどん離れていくんだなぁって、一緒に寝てるときは、そんな日が来ることそ想像もしなかったけど、成長してる。気持ちも、体も
いつか我が子らが、今度は自分の子どもに語って聞かせる時が来るだろう。あっという間だったなぁ
いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです