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おそまきながら

我が家の子どもたちは年子で、幼い頃は「双子のように」育てたいと、お互いを「〇〇ちゃん」「☆☆くん」と名前で呼ばせていました。それはわたしが「双子が欲しかった」ことからの押し付けですが、大人になってからはそれぞれ呼び捨てになり、娘に至っては「おねえちゃんと呼ばれたかった」と恨み言を言われてしまいました。それはある意味子どもの尊厳を無視したことになる。ちょっと考えなしだったな…と反省しつつ、でも結果わたし的にはよかったと思っています。あくまでも親のエゴですが・・・・

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、わたしたち親子には母子家庭だった期間があり、幼少期の子育てはなにかと忙しなく、その上で「不平等」があってはいけないと思ったが故の行動でしたが、母親的に、子どもたちがお互いを名前で呼び合う姿はとてもかわいかった
それともうひとつ。気をつけていたことは、出掛けた先での「だっこ」を絶対にしなかったということ。ひとり抱っこすればもうひとり…当然抱っこして欲しいと思う。でも外出先でのそれは、いくら手がふたつあるといっても、こちらが不自由になり、安全性も危ういということになります。わざわざ「抱っこしない」とは言わず、そこはスルーで「頑張ろうね」と、両方の手でそれぞれ手を繋いで歩きました

もちろん、まったく抱っこをしなかったわけではなく、家にいるときは両ひざにふたりをのせたり、ふたり同時にぎゅうをしたり、スキンシップは欠かすことはしませんでした。ただ、どちらかを…ということをしなかったということです

いくら「平等に」とはいえ、こちらは公平にしているつもりでも、子どもたちからすればわたしの言動や行動から不公平を感じることはあったでしょう。それはどこにでもある話で、自分も幼い頃に感じていたことでしたので絶対的に公平だったとは言えないことは承知していました
ただ、母子3人であったことと、そうした心掛けのおかげか、姉弟ケンカは少なかったように思います

そんなわけですから、我が家の子どもたちは小さい頃から比較的仲の良い姉弟でした。それはまるで夫婦のように、むしろ仲が良すぎる…という場面も多々
例えば、お風呂上りに息子がパジャマに着替えず素っ裸でうろうろしていて「さっさと着替えなさい」といえば、息子は「〇〇ちゃんがパンツだしてくれないから」と、悪びれもなく答える。娘は「自分でやりなよ」と言いながらも箪笥を開ける。そんな行動は常

姉と弟ということもあり、娘は当然のように母性本能を発揮し、弟の世話を焼く。これはわたしとしてはとても助かっていたのですが、将来息子にどんな影響を与えるのか…という変な不安もありました

わたしは性格的にあまりこまめな方ではありません。なので、子育て中だからといってなんでもかんでも…というのも限界があり、それは甘えでもありましたが、子どもたちにはだいぶ負担を掛けていたと思います。負担と言っても、幼い子どもに家事をさせるとか放置していたわけではなく、自分たちで「できることは自分でする」という、本来なら母親がするべきだろうことを本人たちに任せていました
自分の洋服をたたんで箪笥にしまう…とか、自分の靴を洗う…とか、部屋の掃除をする…というある程度大きくなってからするようなことを、小学一年生になった時からさせていたのです

双子のように…とはいえ、それはわたしの中だけのことであって、周りから見れば年齢の違う姉弟であり、上の子は「おねえちゃんだから」という無言のプレッシャーがあっただろうし、下の子にも「小さいから」という根拠のない甘えがあったんだと思います。それが「パンツを出してくれない」に繋がるわけで、そういう無意識なルールは自然にできたのかなと思います

いくら仲がいいとはいえ、思春期になればそれぞれ、男女の差もありますしお互い自分の主張を持ち、すれ違いが生じるもの。いつまでも仲良しこよしというわけにはいかないでしょう。そう思って覚悟していたのですが、彼らは就寝前にどちらかが部屋に赴き「おやすみ」を言い合っていた。そんな姿を見てほっこりしたものですが、そんな時はいつも「パンツを出してくれない」が頭をよぎります
さすがに年頃になってからはそんなことはありませんでしたが、わたしにとってはいつまでもあの頃のふたり…なんだなぁと思う瞬間でした

他のお宅はどうなんだろう?
わたし自身、妹がおりますが、思春期の頃はウマが合わずに顔を見れば毒を吐いていたように記憶しているので、親に「おはよう」「おやすみ」を言うことはあってもおそらく妹にはそんな言葉は掛けなかったと思うんです。だから我が子の行動に、逆にびっくりしたことを覚えています

ちなみにふたりは、未だにそれぞれの誕生日にプレゼントを贈り合っている。どこかに出かければお互いのお土産を買って帰ってくる…そんなところも多分、珍しいんじゃないかな?

先日、娘が友だちと遠出した際、息子のお土産を「どうしようか」と悩んでいるとLINEを送ってきたことがありました。そんなの知らないよ…と思いながらも「パンツでいいんじゃない?」というと、パンツは決まっているんだが柄に悩んでいるという・・・・またパンツ!?
というのも、息子のパンツにはこだわりがあり、ずっと同じブランドのものを使用しているので、出先にそのブランドがある時はわたしも必ず買っていたので、その流れかとは思います。でもパンツなんです笑

我が家の子どもたちはすでに成人しており、衣服その他、もう自分の好みで自由に購入できる。学生時代ならまだしも、わたしがパンツを買うことはなくなりました。だからわたしは「いつまでもパンツでもないだろう」と思い「あんたはいつまで☆☆のパンツの面倒を見るの」と返したところ「だって☆☆がパンツがよれよれだ」って言ってたからと返ってきた。それにお土産に「パンツが楽だ」という気持ちも解る。それにしたって…である

息子にそのお土産を渡すとき、同じように「あんたはいつまでも〇〇にパンツの世話をさせるんだね」というと「パンツよれよれだから助かった」と、普通に答えた。おかしな姉弟だなぁと思う。パンツなんか彼女にでも買ってもらえばいいのにと思うのだが、センスが違うのだという
あんたら、結婚してからも「パンツ」なのか?…と、わたしは呆れたものだが、母親として鑑みるに、幼い頃の記憶と重なり、なんだか安心するのだ

そしてふと思った。もうあの頃のふたりには「会えないんだなぁ」と…
当たり前のことだけれど、なんだか少しさみしくもなった。それにしても「パンツ出してくれない」が、こんな風にわたしの記憶に根強く残っていることにもびっくりだけれど「あぁ、こうやって子離れするのか」とも思ったのだ
子どもたちはもうわたしの助けもなくパンツを買えるし、自立して生活もできる年齢だ。「会えないんだなぁ」と思うわたしは巣立ちを受け入れることができたのだろうと思う

・・・・という、最近の気づき


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たゆ・たうひと
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