
あの頃のわたし
今、ちょうどさ、小学生の頃のわたしは、なんのために勉強するか理解してないアホだったって話をしてたところでね…あの頃の自分の気持ちってヤツを振り返っていたところなんだよ
ドリル×③往復してた成績優秀の友達の真似なんか、到底できっこなかったのに、対等だと思ってた無邪気なあのころを振り返ると恥ずかしくなるよ ドリルなんてぜ~んぜんやる気なかったし、新学期にもらって最初のページだけやって、それっきりなんてざらだった
真っ白できれいなドリル、落書きだらけの教科書(ところどころ歯型💦)、とりあえず書き取りは好きだったノート
てか、学校になんのために行くのか解ってない時点で社会不適合者なんだったんじゃないかと思うんだけどね。だって「子どもは学校、大人は仕事」に行くもの…なんでしょ?って感じ
授業っていうのは「学校にいる間だけ我慢」してればいいもんだと思ってたから、あとあとそれがどれだけ必要になるとか、どれだけ自分を苦しめるとか、受験とか、全然頭になかった。てか、そこまで考えて学校に行ってた人いたの? ただ黒板移せばいいと思ってた
それを覚えなきゃ行けない作業だとは、本当の意味で理解してなかったんだよねー
あの頃、授業内容を覚えなきゃ行けないって知ってたら、もう少し頭良かったのかなーって、単純に。勉強はとりあえずその時だけ覚えとけばいいんだと思ってた。そのあとは忘れても、その時答えられればいいんだと…。さらに磨きをかけなければいけないとは、思ってもいなかった
3つ下に妹がいて、いつも妹の発信で物事を始めていたから、3年遅れだと思ってたけど、授業が楽しいって思えるようになったのって、高校のときだからさ、人より6年くらい遅れてんだよ
ましてや、落書きのできる素敵なテストの時間が、成績をつけるためだったなんて思いつきもしなかったから。あ、今はわかるんだけどね
それをあの頃のわたしに、どんなふうに伝えたら理解出来たのかなーって、思いもつかないことだけど、時間は平等にあっても、同じ速度で進んでいるわけじゃないから、高校時代でも気づけたのはよかったのかなー
そうだねぇ
みんなあとから気づくんだけど、やる気ない人には通じないもんね
言われてる意味がわかんない
小学校の通知票はいつも『落ち着きがありません』って書かれてた
とても元気で、みんなとも仲良く…うんぬんかんぬんと、最初は持ち上げてくれる。そして落とす。先生やるよね…ひょっとして嫌われてたのかも? できの悪い子だって
『落ち着きがありません』
確かにわたしは元気で、よく遊んだ。でもそれは低学年までの話
女の子にはいろんな事情があり、いつまでもただ無邪気ではいられない
『落ち着いて取り組みましょう』1,2年生
『もっと授業に集中しましょう』3,4年生
『注意力散漫』 5,6年生
そう言われる意味はなんとなくわかってた
でも当時のわたしにはどうでもいいことだった。毎日が楽しければそれだけでよかった。だって、他にもいろいろと考えなきゃいけないことがあったし。友達のこと、朝早く起きなきゃいけないこと、足が遅いこと、髪が跳ねてること・・・etc
「あとで後悔する」ってなにをどう後悔するのか、もっと教えておいてほしかった。いや、漠然とは解ってたのかもしれない。けど、やる気のない子に「あとで後悔する」は通じないのだ
わたしはバカだったんだと思う
学校は勉強するところだから、学校で授業を受けてればいいんだと思ってた。勉強しないと「学校にいけない」=「進学できない」とは思ってなかった。自動的に高校生になれるんだと思ってた(そういう学校もあるけど)。そしてドラマの中のお姉さんたちのように、セーラー服を着れると思っていたのに、ブレザーだった( ;∀;)
わが子の受験は、自分の受験よりつらかった
なにがというわけではないが、知っているというだけで、少なくとも自分の時の倍は心配した。そしてなんのために勉強するのか理解できるようになってたから、怖いとも思っていた。もちろん本人の気持ちにはかなわないだろうけど…でも、それをどう説明してやればいいのか解らなかった。自分も教わったことがないから
勉強ができない子ども(=わたし)は、頼りにならない親だった
『もっと大人になりなさい』
高校の担任に言われた言葉だった。意味が解らなかった。今でもわからない
それを言われた時はものすごく腹が立ったことを覚えている。「大人」ってなろうと思ってなれるものなの? だったらその方法を教えてくださいよ、どうやったら「大人」になれるんですか?
確かに、今目の前に、あの頃のわたしがいたらものすごく生意気だし、腹立たしいかもしれない。むしろ嫌いかもしれない。だから、先生もそういう気持ちでわたしを見ていたのかもしれないと思ったら、ちょっと悲しくなった
先生は単に「言われて解る歳」なのだから、幼い子のように駄々をこねないで、歳相応の行動をとりなさい…と言いたかったのかもしれない。今だからそう解釈できる
彼女(先生)も女だったから、諸々の事情が重なってイライラしていたのかもしれない。ほら、わたし、できの悪い子だったから。今なら当時の事情が解るけど、当時のわたしにはそんな事情は関係ないこと
『もっと大人になりなさい』
わたしは今、その「大人」になれたのだろうか?
「大人」って、大きくなるだけじゃダメなのはなんとなく解る
でも、先生の言う「大人」ってなんだったんだろう? 我慢すること?
知ってることを右に倣えして、当たり障りなくうまくやること?
わたしに解る、わたしの言葉で伝えてくれたなら、理解出来たかもしれないのに、そこまでおりてきてくれる先生はいない。まぁ、生徒もわたしだけではなかったけど、そんな大人の事情もあの頃のわたしには関係ないこと
あの頃のわたしに助言してあげたいけど、それができないから人生なのか、それもそれでわけの解らないことを言ってるのは、まだまだ大人になりきれていないからなのかな
おかしなことに「夏休みの宿題」が懐かしい。さらにおかしなことに、今なら「楽しくやれる」気がする。わたしには今、それを提出する期限がない。縛りがないということがどれほど気楽で、余裕をくれるのか、全然期限内にやり切れる自信が湧いてくる。実におかしなものだ
そんなわたしは、ちょっとは大人になれたのだろうか・・・
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