バカになる
会社勤めをしていた頃、会社を辞めないために努力したことがある
それがタイトル「バカになる」ということ
会社は辞めたかった。でも生活のために辞めるわけにはいかなかった。だから「辞めたい」と考えてはいけないと思った。少しでも「辞めたい」と思ってしまうと、当然目の前の仕事はおろそかになるし、1日の半分をつまらない場所で過ごさなければならなくなる。そんな苦痛はいつまでも続けられるものではないし、覚えなければならないことも山ほどあった。だから絶対に「辞めたい」と思ってはいけないと心に刻んだ
わたしは辛抱が足りない。だからすぐその会社を「辞めたい」と思った。なぜなら、それがわたしにとっての初めての会社勤めで、しかも当時のわたしは30歳。やわらかい脳みそではなくなっていたから、順応するには少し時間が必要だと思っていた。でもそんなことは会社には関係のないことだし、務めるには理由があって、当然生活の為であり、仕事が自分に「向かない」からと言って辞めるわけにはいかなかった
辛抱が足りないわたしにも最低限の常識はある。一方的に「辞めたい」と思ったわけではない。仕事が大変なことももちろんだったが、やっぱり長く職場に居続けるには人間関係というものが大事なんだと思う
わたしはそれでも社内では一番若い人材で、新人は目新しいものだからいじられることもしばしばだった。なんというか田舎特有の、皮肉とか勘ぐり、まぁとにかくどんくさいわたしは単純にバカにされたわけです。おまけに最初の1年くらいは仕事が思うようにできなかった。上司をイライラさせたことも数えきれないくらい。上司はわたしを嫌いだったはず、あからさまにそんな態度だった
でも辞めるわけにはいかなかったから、辛抱するためにわたしは「バカになる」を行使した。それは仕事に対してではなく、わたしに対する態度に対し一切を受け流す…ということだった
わたしはお世辞にもきれいとは言えはないし、今よりはましだと言ってもスリムというわけではなかった。だからよく言われた言葉は身体に対する皮肉の言葉だった。「自分ばかり肥えて子どもに飯をやってない」だとか、休み時間になにかを口にすれば「よく食うな」「身になるぞ」その他だった
わたしの身内にぽっちゃりはいない。だから身体に対するそれらの暴言は慣れていた。それにしてもバカの一つ覚えのようにわたしをなじる言葉はそれらに集中していた。でもいちいち落ち込んでもいられないのでわたしはそれにはしっかりと応戦することにした
ムチムチしていれば「台風が来ても飛ばされない」だとか、なんでも食べるわたしは、食糧難にあっても「雑草を食べてでも生きていける」だとか、とにかく頭を使って「バカになる」を行使した。頭を使って「バカになる」とはおかしな話だが、わたしにとってそれらは知っているものを「知らない」ということに似ていた
わたしがそれらの心無い言葉にめげないと解ると今度は、外見だけでなく部分的に攻撃されることもあった。手が「赤ちゃんみたい」だとか「大根足」「ボンレスハム」たとえば脂肪にまみれた膝小僧やその他を見ては「骨がない」「筋ばってない」などだ。だからわたしは「膝の裏にもえくぼがある」と言ってやった。我ながらナイス切り返しと自画自賛したものだが、今考えてみれば小学生の冷やかしのような言葉に対し、実に涙ぐましい努力だったと思う
涙ぐましい努力はまた違う皮肉を産んだ。なんにでも切り返すめげないわたしに対し今度は「単細胞」という新しい名詞が追加された。よって「いつも楽しそう」だとか、おまえには「なんの悩みもない」などとよく言われるようになった。楽しいわけがなかった。だって「辞めたい」と思う会社で働いているわけだし、そんなところにいて悩みがないわけがない。そもそも悩みのひとつも持たない人間なんてどこにいるというのか、わたしは彼らにとってのいい「暇つぶし」か「ストレス解消」のはけ口になっていったのだ
なによりつらかったのは直属の上司の「機嫌」だった。彼女は唯一の女性社員で、ありがたいことに彼女の中では「わたしの味方」のつもりだった。しかし仕事のできる彼女は、現場の融通の利かない職人たちに対して苛立ちを一切隠さなないひとだった。そうして月末から月頭にかけ必ず「機嫌が悪くなる」という性質で、一ヶ月のうちの半分は不機嫌に目を吊り上げていた
彼女の機嫌はこちらの仕事にも影響した。彼女が不機嫌になると、職場とのやり取りがわたしを通してワンクッション置くことになるので、わたしはわたしで機嫌を窺いながら速やかに彼女との仕事を現場に伝えなければならなかったし、わたしの仕事も遅れれば、余計な処理も増えたからだ
ここでも「バカになる」は行使された。わたしは多分彼女が苦手だった。でも「嫌い」だと考えてはいけないと思っていた。それはこの会社に居続けることと同様に自分の損になるからだ。悪いひとではない。仕事のできるひとというのは「やって当たり前」なわけだからあまり褒められることがない。だからわたしの、彼女に対して「バカになる」行動は、とにかく彼女を持ち上げ、常にあがめ奉り「大好き」だとまで言わせた。自分を好いてくれる相手に、人は悪い気はしないものだ。だから彼女が機嫌が悪かろうとも、仕事に対して理不尽な態度を取ろうとも、とにかく「大好き」な上司に指導されているのだと思い込むことにした
驚くべきことに、入社して半年くらい経った頃、彼女から「仕事辞めたいって思ってない?」と聞かれたことがあった。彼女いわく、だいたい半年くらいして慣れてくると「辞めたい」と思うようになる…のだそうだ。そんなこと、一番最初にあなたが「機嫌でわたしを動かそうとした」時に「思っていた」とは言えなかった。にこにこと笑い「そんなことないです。ここに勤められてよかったと思ってます」と答え「なによりも素敵なあなたに逢えた」と付け足した。それは事実でもあった。その会社の本社が関東だったために給料がよかったからだ。あの会社でよかったことと言えば、給料がよかったことと、彼女が「使えない」と思っている職人たちが、彼女を煙たがっているためにわたしには親切で優しかったということだけだ
世にいう「ブラック企業」というものがどういうものかは解らないが、この仕事をすることでわたしは、一生分の仕事をしたのではないかとさえ思っている。子どもの入学式や参観日も、普通なら休暇を取って済ますようなことを、自分の仕事を24時間見ていないと「気が気じゃない」という強迫観念にとらわれていたので、それらの私用は常に「外出」で済ませた。無償の休日出勤も当たり前だった。そんなことはだれでもやっているのかもしれないが、これがわたしにとっての最初で最後の仕事だったのである
募集要項には「業務」と書いてあった。よく解らないけれど「事務」とそう変わりない仕事だと勝手に判断していた。だが、ただの事務というにはやることがあり過ぎてあまりにハードだった。伝票整理だとか、入出庫のチェックだとか想像できる範囲内の仕事ではなかったのだ。「業務」という仕事の中には品物の「入出庫」、現場で使う備品、部品等の「購買」「管理」及びそれらの「補填」等々を現場で使用する人間ではなく、わたしの頭で判断する。使う人は損得を考えずに「足りない」「余った」というだけで、走り回って汗をかくのはわたしだけだった。なにより大変だったのは不良品に対する「クレーム処理」だった。他人の失敗のために時間を割き、間に合うように段取りしてなおかつ謝罪する。挙句に遅れを取り戻すために要する費用を極限まで抑えて交渉するのだ。それが「仕事」だと言われればやるだけなのだが、ハッキリ言って相手業者に対してわがまましか言わない作業だった。もちろんそれは逆も然りで、なんとかしてこちらの都合のいいように運ぶわがままを訴えるのもまたわたしの役目であった。わたしはここで「バカになる」に加えて「甘え上手」を発動した
随分とメンタルが強くなったと思う。なにを言われても切り返せるだけのワードも増えた。禿げる代わりに帯状疱疹になった。インフルエンザにかかっていても、仕事で失敗しない方が大事だった。だから嘘をついて出勤した。子どもの病気が唯一の休暇だった。それもやっぱり「外出」で済ませた。でもわたしにはその数時間がなによりもいい休み時間であり、充電には充分すぎる時間だった
最終的に、わたしには企業で働く才能はないと思った
いつしか「辞めたい」は「辞めてやる」に変わっていった。そうするにはとにかく仕事を覚えて引継ぎができなければならない。実はわたしは前任者とは一週間しか一緒にいなかったために満足な引継ぎをされずに放り出された状態にある。つまりは訳が解って仕事をしているわけではなかった。ゆえにわたしは自分の仕事を一から説明できるだけの「マニュアル」を作ることを決心した。それもただのマニュアルではなく、だれが見ても解るようパソコンの電源を入れるところからの完璧なマニュアルを作ってやろうと思ったのだ。それは自分にとってもプラスになった。それまでの仕事を自分のために箇条書きに残しているメモとは違い、わたしの足跡を残すことになる。とにかくそれを見ればだれにでもできるマニュアルなわけで、自分の仕事のおさらいにもなれば、欠点も解った。それまで苦手で手を出さなかったExcelの操作を覚え、仕事の効率化…というよりは、手計算でやっていた無駄を省き、自分の仕事も円滑にいくようにすることができた。辛抱の足りないわたしがよくやったと思う
引継ぎには充分時間を取ってもらった。引継ぎ作業をしながら、後任者の意見を聴き「マニュアル」作成は続いた。有に100枚以上ものそのマニュアルは、写真付きで親切丁寧。作っている間に「なんで仕事辞めるんだっけ」「あれ?辞めなくてもよくない」と勘違いしそうにもなった
そうしてわたしは、思い描いていた通りの完全完璧なマニュアルを作って会社を辞めることができた
余談だが、わたしが仕事を辞めたあと、仕事のできる彼女は本社に引き抜かれていった。彼女は仕事のできるひとだと思っていたけれども、本社においてはそうではなかったらしく、その後の苦労を耳にした。ざまぁみろとは思わない。それも彼女の選んだ道だし、相変わらずの不機嫌で、周りを振り回しているらしいので、それなりに楽しんでいるのだろうと思う