きっかけ
そのむかし「得意料理はなんですか」という質問に「肉じゃが」と答えるのができる彼女の定番だった頃、わたしは「かに玉」に凝っていた
今のように料理を楽しいと思えるようになったのはいつだったろう?
もともとはそんなに好きじゃなかったはず・・・・
年頃になって周りの友だちに彼氏ができると、当然持ち上がったのが「手料理」の話で、当時そこまで料理は好きではなかったが、自分で弁当を作っていたこともあってなぜかわたしは「料理上手」だと思われていた
好きでもないのに上手って、またハードルが高い
勝手に上手と思われていたから当然のように聞かれた「彼になにを作ればいいかな」って
しらねーわっ
でも妄想とハッタリが得意だったわたしは「グラタンとか作ってみたら?」と適当に答えていた。当時はパスタよりもそっちの方がまだ多かったんだよね、喫茶店とかのメニュー。パスタはナポリタンが王道で、あってもきのこ、もしくはたらこがあれば珍しいくらいの時代で、まだまだ「グラタン・ドリア」が女の子の定番だった
とか言いながら、わたしは自分でグラタンを作ったことはなかった。ただ高校自分、クラスにお料理好きの子がいて、その子にレシピを教わったことはあった。だからそのレシピをそっくりそのまま友だちに伝えていたのだ
当時のわたしが出来る手料理は、和食がメインだった。なぜなら母親が洋食が苦手で、食卓に中華はあってもグラタンやドリアといったメニューが並ぶことがなかったから
その代わり肉じゃがや煮物、炊き込みご飯といった方が身についていた
肉じゃが、そんなに難しくはない
ただ作ろうと思うと、多分洋食よりも面倒なのかもしれない
短大2年の夏休み、わたしは考古学の授業の一環で「発掘調査」に参加していた。期間は2週間。そのうちの1週間参加すれば「優」がもらえ、2週間参加すればその上の「秀」がもらえるということだった。これは発掘調査などという地味な作業への人件費の問題だったのかもしれない
アルバイトの大学生と顧問の教授、そしてわたしたち生徒で毎日20人余はいただろう。公民館のような施設に雑魚寝して、お風呂は簡易的に外に作られたもの、もちろん自炊
自炊は主に生徒が交代で担当した。なにせ女子大だったから
でもね、意外とみんな料理ができないことに驚いた
1年生に至ってはつい半年前まで高校生だったわけで、考古学なんか選択する生徒の中に「料理やってます」なんて子はほとんどいなかったのだ
わたしは開始5日目くらいからの参加だったのだが、すぐに当番が回ってきた。当番の生徒は朝ご飯を食べたあと、現地に向かう生徒を見送り部屋の掃除やお風呂掃除を済ませ、お昼ご飯の支度をする。そうして夕食、翌日の朝食までが仕事だった・・・・と思う
近隣の農家からたくさん野菜の差し入れがあり、台所にはやたらとじゃがいもがあった。そこで思いつくのはやはり「肉じゃが」。そして「ポテトサラダ」だった
その日の担当はわたしとわたしの友人、そして1年生がふたりで、いつもだいたい3~4人体制でおこなわれた
肉じゃがとポテトサラダ「どっちがいい?」と聞いたら「両方食べたい」と答える1年生に、さすがに両方は「いもいも」すぎるから、お昼にポテトサラダを作り、夕飯に肉じゃがを作ろうと提案した。そして「食べたい」といった時点で、彼女らは作れないのだなと判断
結果その日の料理はわたしが中心になって作り、結構な称賛を受けた。以来、おそらく1週間のうち回ってくる食事当番はひとり1~2回程度のはずが、わたしには4~5回まわってくることになる
あれ? これ「得意」って言っていいレベルじゃね?
そう思ったとき、それまで手探りでまったく好きでもなかった自分の料理に急に自信が持てるようになったのだ。以来、わたしは自宅でも率先して調理するようになったというわけ
きっかけってそんなものなのかもしれない
そんなことでもなければ、結婚するまで自身もない料理をたどたどしく作っていただろうと思うし、今みたいに喜んでお弁当なんか作っていなかったかもしれない