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迷惑な闘争心
自分は「負けず嫌い」ではないと思っている
だが、わたしを知っている人間からすれば、わたしは「負けず嫌い」だろうと思われているかもしれない
負けず嫌い…とは、他人に負けることを嫌う勝気な性質。だが、負けず嫌いの傾向にある人は「自分が認められていない」と考える人が多いようだ。そう言われると、そうなのかもしれない。とは思うけれど、そこまでの闘争心は持ち合わせていないと思っている
確かに「負けたくない」ことはある。しかしそれは、他人にとってはどうでもいいことで、わたしがそこに闘争心を燃やすことに対し、他人は「何故そこで闘う?」と、疑問を抱くことだろう
小さい頃から、あまり勝負ごとに勝ったことがないから、なにかで「優越感」というものを味わいたいだけなのかもしれない
そんなわけで、どういうわけかわたしは、わりと頻繁に小さく闘っているようだ。特に相手がいるわけではない。無意識のうちに「勝負を挑んでいる」というか、もちろんそれと伝わっているわけでもなく、いつもひとり相撲ではある。なぜなら仮に相手がいたとしても、そちらにとっては既に「相手にならない」勝負だから・・・・よくわからないと思うけれど
例えば「いちばん早く食べられた」とか「昨日より早く目覚めた」とか、今日は「血圧が低かった」「昼寝をしなかった」など、とにかく小さくてくだらないこと・・・・
大きなこともあるけれど、ある意味それは「目標」みたいなものかもしれない。noteの毎日更新も、それになるのかな
実は自分でもよくわかっていない。でもよく、なにかことが終わったあとに「勝った」「負けた」と内心ガッツポーズを取ったり、凹んだりしていることがある…ということ。そして自分で自分に「は?」と突っ込みを入れる。「別に闘ってね~し」「闘う必要もね~し」と、これは実に迷惑な闘争心なのである
闘争心があるから「負けず嫌い」か…というとそういうわけでもない。諦めはいい方だし、なんだったら最初からそういう勝負事に挑んではいかない。はず。ん? なにかおかしいぞ。しかし
わたしは闘いたくて「闘争心」を燃やしているわけではなく、実に個人的すぎることに対し、なんとなく「勝利欲」が湧くらしい
でもまぁ、人間だれしも「譲れないもの」というのがあるだろうから、少なからず負けず嫌いではあるのかな…とは思う
しかし、だれも相手にしていないのに、心の中で「勝った」の「負けた」のとやっている自分は実に滑稽だとも思う。勝ったからといってなんだというわけでもないし、ただの自己満足だから、自分を天狗にするだけだ。ん~あまりいい趣味とは、いえないな
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