2時間45分
会社の帰り道、高速道路に乗ってすぐ、事故でもあったのか、車がまったく動かなくなった。
最初のうちは後ろから前からと、クラクションの音が鳴りやまなかったのだが、事情が解ったのか前の方から音は止み、後部車両はあきらめたように静かになっていった。
いつもは0時過ぎに会社を出るのに、その日はなんとなく早めに出た。いつも通りに出ていたら、事故に出くわすことはなかったかもしれない。本当に乗ってすぐの出来事で、高速道路を下りることもできずに「せっかく早く帰れると思ったのに」なんて、愚痴りながらその場を見守ることにする。
どのくらいの時間が経ったのか、そのうちに見たこともない形の大きな車が3台、オレンジ色の回転灯をつけ、サイレンを鳴らしながら側道を走って行った。クレーンがついている車も最後に走り過ぎたから、確実に「事故」なのだと想像できた。
事故処理の車が去ってからしばらく、前の方から車のライトが順に消えていくのが解った。ライトどころか、よほど時間を要するのかエンジンを切る車さえもあり、あたりは暗闇と静けさに包まれていった。
わたしも諦めてエンジンを切った。そんな中、目の前の車だけはエンジンがかかったままだった。
真っ暗な高速道路に車が行儀よく並んでいる。
空から見たらどんな感じだろうかと想像するも、エンジンを切るほどの事故とは、いったいどんな事故だったのか。
だが救急車は現れない。確かにわたしは高速道路入り口から数キロの場所に留まってはいるが、事故処理の車がどこから出ているのかはわからない。きっと救急車は事故現場近くの、別のルートから合流したのだろう。もしくは人は「無事」だということかもしれない。
どのくらいかかるのか想像できなかったが、エンジンも切ったことだし、仮眠をとることにした。
「事故のニュースはないか?」と家族に連絡することもできたが、いつもより早いといっても時間は深夜だ。連絡はせずに携帯を見た。だが、それらしい記事は見当たらない。時間帯もあるのか、いくら便利とはいえそんなにすぐにはニュースにもならないのか、あまりその辺の情報には明るくない。
結局2時間そこにいた。
車の中で熟睡することもないが、仮眠をとるには充分な時間だった。後ろの方からトラックのクラックションが鳴り、その音に起こされた。慌てて周囲を見回すと、まだ車がたくさんいることにほっとする。妙な気分だ。
すると、周りの車がエンジンをかけ出し、徐々に前方の車が動き始めたように感じた。
しかし、すぐ前の、エンジンをかけっぱなしの車が動かない。3車線の真ん中で、両端の車が前方に動き出したというのに、目の前の車は爆睡しているのかブレーキを踏む様子もなかった。
軽くクラクションを鳴らす。気づかない。
今度は大きめに鳴らす。動かない。
さすがにイラっとして長めにクラクションを鳴らしてみたが、それでも動かなかった。まるで人が乗っていないみたいだ。
両端の車の流れが速くなる。後続車もどんどん追い越していく。
ここは高速道路だ。後続車も普通の道路とは違うスピードでやってくる。このまま目の前の車にかまっていたら、自分が追突されるかもしれない。それは自分の車ばかりでなく、爆睡しているらしい前の車とて同じことだった。
激しくクラクションを鳴らす。これまでクラクションを知らなかった人間のように、力いっぱい、何度もクラクションを鳴らし続けた。しかし、それでも気づかない。
いい加減怖くなってくる。後続車も断続的になってきた。なにも知らない車が、真後ろを猛スピードで走ってきたら追突されるかもしれない。
目の前の車を気にしている場合ではなくなってきた。
仕方なく、ウインカーを出して前の車を追い越すことにする。
追い越す際、運転席を覗き見たが暗くてよく見えなかった。でもひとの気配はあるようだった。後ろ髪引かれる思いで車を走らせる。だが、怖くて仕方がない。
「高速道路で爆睡とか信じられない」
すれ違いざまにもう一度、派手ににクラクションを鳴らす。あわよくば後続車にも届くように…と。
しかし、気が気じゃなかった。
もし、自分がいなくなったことで、あの車がほかの車に追突されていたらどうしよう・・・・そんなことばかりが頭をよぎる。一瞬、車を降りて起こすことも考えたのだが、高速道路でのそれは危険行為だ。
わざわざ車を降りてまでそのひとを起こすことは、結局しなかった。だからこそ怖い。余計に恐怖が増した。
翌日、いつもは見ない新聞を隅々まで見た。でも交通事故やその他の記事は載っていない。友人に連絡して、昨夜「高速道路での事故のニュースはないか」と聞いた。でも夕べ、前方で起こったらしい事故のことも、追突事故もニュースにはなっていないという。
そんなに大きい事故ではなかったのだろうか?
2時間も停まっていたのに?
あれからあの車はどうなったのか。
無事に目覚めて発進してくれていたらと思う。事故のニュースがないのがせめてもの救いだ。