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来年の抱負
ある経営者の成功の秘訣的からヒントを得ました
経営者はやる気のない部下に『初詣で何を願う?』と聞いてきたんだそうな
『今年も健康であるように』『お金持ちになりますように』
『家族仲良く暮らせるように』etc. きっとみんなそんなことを答えるはず
現にわたしも『お願い』しかしたことがない気がする。努力もなしに
さて経営者は、果たして初詣で神前になにを願うのか?
もっとでかいこと? いいえ違います
『今年もありがとうございました』
『おかげさまで家族と無事過ごせました』
『これだけの利益を授けてくださり感謝します』
と、無事に仕事を消化できたこと、悲願達成できたこと、何事もなく新年を迎えられることに感謝するのだそうな
すると、参拝から帰るその帰り道からまた、幸運が舞い込んでくるという、嘘のような本当の話です
でも確かに、神前で『お願い』はしても『御礼』ってどこでしているのかしら? 願いが叶って『ありがとうございました』と再び訪れる人はほんのわずかな気がします。『どうせ叶わないから』と、だけどお願いだけはする。最後の神頼み?
そんな人のほうが多いような…もしきちんとお礼をしている人がいるなら、それはごめんなさい。でもわたしも『お願い』だけの人でした
依然、誰かに『やたらと地方の仏閣でお願いしないほうがいい』といわれたことがあり、『なぜ?』とよく理解していませんでしたが、確かに遠い旅先でのお願いが叶ったらそこまでお礼に行けるのか?…と、ちょっと思ったのでした。おそらく叶っても『お願い』したおかげとは思わず、ただ『わたしってついてる⤴』って思うだけかもしれない。いや、きっとそう
もし、『願いが叶った』と自覚したとしても、『また行こう』と思うことはあっても実際に行けるかというと、そうでもないことの方が多いんじゃないかな? そう思うと、『やたらと~』ってのはあながち間違いじゃない。 感謝、足りないんだな
でもあるところでは『お礼はどこでもいい』という説もある。神様に派閥があったらちょっと気にしないといけないのかもしれないけれど、でもどこぞの住職が『神様は繋がっているから、お礼はどこでも構わない』と言っていた。むしろただひたすら『ありがとうございます』と思うだけでも良いのだそうだ
ちなみに、感謝の言葉をのべるときは当然みんな笑顔です。怒りながら『ありがとう』をする人はないでしょう。『笑う角には福来たる』ってそういうことなんだって
さて、お待ちかね! 来年の抱負です
毎年思うことは一緒なんだけどね…『断捨離』『Diet』『部屋の掃除』…
でもこれは当たり前にいつでもできること。毎年「今年こそは…」と前置きのあるありきたりなこと。そして同じように「今年こそは…」を今年こそやめると、毎年言ってる。わたしもちいさい
来年は「出会い」を大事にしたいかな
とりあえず、日頃の感謝と、厄払い、それから「今までやれなかったこと」をクリアしていける年にしたい
皆さんは新しい年にどんなことを期待しますか? どんな大望を描きますか?
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