カルチャーショック…ひぇ~( ゚Д゚)です
ちょっと懐かしい話をしましょう・・・・
そうねぇ、遡ること10数年? こういうのって10年を境に数えなくなるものかしらね? あぁでも、わたしの場合、それ自体が「家族記念日」でもあるから、本当は忘れちゃいけないのかも (#^.^#){クスクス…
ご存知の方もいらっしゃると思われますが、わたしは東北出身で、生まれてから2度目の結婚をするまで、30年以上県外に出たことがありませんでした。まさに「おら、東京さ行くだ」状態。それが今は関東在住で、それこそ結婚(および引っ越し)当時にはいろんなカルチャーショックがありました
わたし自身びっくりだったのですが、まさか自分が環境に左右されるほど繊細な精神の持ち主だとは思っていなかったので、それほど重くは捉えていなかったのですが、自分の「世界が変わる」って、結構なストレスみたいで、めまいに悩まされた時期でもありました。が、今となってはよい思い出です
たとえば、小学校の自分の座席には防災頭巾を座布団代わりにしている…とかです。これはもうショックっていうより、そこかしこに防災頭巾が売ってる違和感といったらなかった
子どもたちの転校先の校長先生にまず言われたのが「6年間、きっちんとランドセルで学校に通わせてください」という言葉でした。いやいやいやいや小学生=ランドセルってわざわざ指導されることなんですか?…と。まぁ都内では高学年になるとランドセルをしょわなくなるところもあるのでしょうが、わたしたち所詮田舎から出てきてるので「???」だったわけなんです
そこに「防災頭巾」。他の東北出身者にも確認いたしましたが、防災頭巾を座布団になんかしてませんでしたよ。今はどうか知りませんし、他の学校がどうなのか調べたわけではありませんが、わたしの母校は現在も変わらず、座布団がわりの「防災頭巾」はありません。だから思わず聞いてしまったのです「防災頭巾は必要ですか?」と。栃木県出身の校長先生は「えぇ。全国共通ですよ」と言ったのです。隣の県では常識だった・・・・ひぇ~です
次なる衝撃は「クラス発表」のおもしろさでした。昇降口にクラスごとの張り紙があるのはなんとなく理解できるのです(わたしのところは教室の外壁でした)が、担任の先生の名前がない! 始業式のその時まで生徒たちには伏せられているんですね。なぜ?
でも面白いのはここからでして、始業式の開始後間もなく学校長に、クラス担任の名前が読み上げられるとどうでしょう…歓喜と落胆の声があからさまに校庭に響くのですよ「え~!?」とか「きゃ~」とか
そう校庭! これもびっくりポイントでした、始業式およびその他の朝礼が外で行われている…まぁそれほど雪深い東北でもありませんでしたがね、夏でも冬でも体育館だったので、いちいち外に集合ってところがまた、ひぇ~だったわけです。あ、でも集団下校の時だけは、防災訓練の如く帰り支度をして校庭に並んでいました…土曜の午後に!
でもそうね、テレビドラマで見る全体朝礼はいつも校庭だったかもしれないわ、卒業式以外。炎天下の下だからこそ倒れるんだものね、朝ご飯を食べてこない子どもが…でも、まてよ? 体育館の中でも全然倒れてる人いたけど? まぁそれはまた違う話かもね
「知ってる」ことが「常識」なわけじゃないのはなんとなく解っていたけれど「知らない」ってことが、捉え方によっては面白エピソードになるとはね
さらなる衝撃は学校行事の少なさ…かしら? これはまぁ、地方の文化やら季節の問題もあるのでしょうけれど、全校生徒の携わる行事が「運動会」だけっていうのには驚いた。しかも秋なのね。東北は寒いから春なのかしら?
その他「文化祭」の時期とかね、いろいろと大人の事情なのか、気候のせいなのか解らないけれど、外に出てみないと解らないことってあるよね
そう、気候!…寒いからいろいろ前倒し? いやいやいやいやそんなことはなかったよ。冬の行事、めっちゃありました寒空の下で「マラソン大会」とか「縄跳び大会」なんで寒いのに外? なんで雪の校庭で縄跳び?…って、なんでそこは体育館じゃなかったのか・・・・そりゃ、いくら寒いところに住んでいても嫌いになるわけよ、冬
そしてなにより「雪国」と言われていながら授業に「スキー」ができない中途半端さね。あぁそうね、あるところにはありました、有名なスキー場が近辺にある学校は
秋に至っては「音楽祭」と「芋煮会」がありました。マーチングとか学校全体で力を入れている小学校もあったりしましたね。とにかく部活のような課外活動が盛んだったように思います
「音楽祭」は、まぁ文化祭的な? こっちだと「合唱コンクール」になる? でも「合唱コンクール」はそれとして、また別に設けられてあったし、とにかく学校行事が多かった記憶がある。授業の中に図工の時間が2時間続けてあるみたいに「合同」と名のつく授業があって、季節によって「体育」だったり「音楽」だったりと、学年を越えて全校演習的な感じで行われていた
でも学年全員での行事って不思議な感じがした。学年カラーというか、その学年によって「まじめ」だったり「賑やか」だったり「派手」だったりと、自分たちとは違う関係性、雰囲気を感じられて、それが羨ましかったりしたものだった。特に男女仲のいい学年は楽しそうだった。ひとつ上の学年は女の子が「少女」ではなく「乙女」であったり、もうひとつ上の学年は大人びた生徒が多い学年だった。わたしたち? わたしたちは「ガキ」だった
それが自分の子どもたちの世代になるとまた違ったカラーになる。当然ながら、自分たちの頃には考えられないような「考え方」や「行動」、時代のなせる業なのでしょうけど、ここまでくるとカルチャーショックなんておとなしい言葉では言い表せない・・・・ひぇ~です
やっぱり新しいものは羨ましいと思う。その反面、懐かしさに「自由」を感じる。だってなんだか、今の子どもたちや学校は「便利」なはずなのに、なんだか「窮屈」に見えるから