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乾家の子どもたち

いつの世も謀を企てる者はあとを絶たない。
解っているのは、その一族と縁者であるということはとても栄誉なことであり、その先の栄華を約束されているということに尽きるのだ。だがしかし、立場を保つことには慎重にならねばならない。
なにが起ころうともすべては自己責任であり、事前連絡も事後報告もありはしない。あるのは目の前の現実のみ…である。


とある場所に、とにかく好色な男がおり、時代を背にあらゆる分野の庇護を受け、これまで脈々とその血筋を受け継いできた一族がある。だが、ただ純血を絶やさないというだけの家訓には皮肉な因縁が付きまとい、往々にして一族にはなかなか「男児が誕生しない」という難色極まりない現状がついて回った。それゆえ代々、一族を担う当主は「好色」という趣向を大いに流用し、男児を身籠るためだけの女を求めた。

貧困を問わず、ただ「働き者で丈夫」であるという条件のもとに寄り集められた女たちは、一族にとってどんなに重宝しようが、当主からどんなに寵愛を受けようが「男児」を産めなければ用なしとみなされる。しかしながら生まれてきた子どもは、たとえ「女児」と言えども一族の血を受け継ぐ大事な財産に変わりはなく、一族の血を継ぐものは皆一族のために役立つよう育て上げられるのだ。
一族に生まれた女は邪険にされることはないが、同時に自由もなく、ただひたすらに一族のために働く運命にあるということだ。

そんな女を生み出した一族を「いぬい」といった。

今でこそDNA鑑定等で血縁関係を確認する術があるが、それ以前に関しては本人の主張と、人としての信頼関係からでしか証明する手立てはなかったのだ。だが、それだけでは正当性を主張、確認することはできない。ゆえに妊娠が確認された女たちは、特別な部屋を与えられ隔離されて出産までを過ごしたと言われている。
それはひとりの時もあれば複数の時もあり、大奥さながらに熾烈な争いであったことは言うまでもない。そうしてこれまで続いた女の戦いは、時代が変わっても変わりなく繰り返されている。

また一族である印として、乾の家に生まれ、血縁を認められた一部の子どもたちには皆「歩」の字をつけることがいつしか義務付けられていた。男児は名前の最初に、女児は名前の最期につけられ、それが正当な乾の「純血」であるという証とされたのだ。


現当主である乾 歩時ほときには、正妻の他3人の愛人が存在した。そして、生まれた男児は現在までに3人確認され、承認されている。

さて、屋敷を離れて暮らしている後妻の長男歩多可ほたかだが、現在は元愛人の娘由菜歩ゆなほと合流し、共に屋敷の人間の目の届かない都会でふたり、ひっそりと暮らしていた。ひっそりとはいいながら「目が届かない」は事実上の所在をくらませているというわけではなく、なんらかの監視の目があることは覚悟の上で、用心しなければならない立場に変わりはなかった。ゆえに早々に家督争いから手を引いた現愛人の女とその子らとはしばしば、後妻の手が及ばぬようにと密かに安否を気遣い、連絡を取り合いながら生活している。悲しいかな、乾の人間の協力者はまた、勝手のわかった乾の人間でなければ理解し合えないということなのだ。

歩多可ほたかにとってみれば、自分の母親ながら、後妻のどうにも強欲なその生きざまを受け入れることができずに反発して家を出たのが始まりだった。
後妻の気性を思えば、自分に歯向かい長く手元を離れて暮らす長男|《自分》よりも、従順な次男をかわいいと思うのは目に見えて明らかで、その気はなくとも既に、自分が「跡目を継ぐ」と言ってしまって済む現状ではなくなっていることを確信したためだった。加えて彼にはそれなりに、家を出るに至る事情があり、それを確かめる意味でもどうしても一族の手の届かない場所に身を移す必要があったのだ。



これは、そんな数奇な家に生まれついた子どもたちの行く末を見守る物語である。

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たゆ・たうひと
いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです