台無し:その2
こちらは、わたしの失態を集めた残念な沼です・・・・
かわいそうな自分を癒すべく書き始めた記事ですが、思いのほか惨めすぎて泣けてくるかわいそうな記録たち。でも、いつまでもひきづっていてはいけない! 明るい明日、前向きな人生を送るべく、残念な沼から這い出さなければ!!
残念な過去はもういらない!
・・・・というわけで、続きです(笑)
これで本当に癒されるのかなぁ(;一_一)
その6『傑作は散歩に出かけたまま帰らず』
うっかりトラウマになりかけた図画だったが、幸いなことに2年生になったわたしの担任の先生は、地元で(多分)有名な画家だった
それは小学2年生か3年生の時だったと思う。図工の時間に割りばしをペンがわりにインクをつけて下書きをし、絵の具で色を付ける…という内容の授業があった。わたしはすでに絵に関して自信を失っていて、特に絵の具が苦手だったこともあり、あまり自分に期待していなかった。それでも自由テーマだったので、当時飼っていた愛犬の「ちび」をモデルに描いた
闘争心はないわたしだったけれど、大好きなものや得意なことを「失敗したくはない」という意地はまだ残っていたから、大好きな「ちび」を丁寧に仕上げたのだと思う。やっぱり大好きなものには力が入るのか、思いの他うまく描け、絵の具も慎重にのせて、金賞の意味を持つ金色の折り紙をつけてもらった記憶がある
教室に張り出された後、学期末にその他の作品は持ち帰るのが常。だが、意気揚々と「ちび」の絵とその他の自分の作品を持ち帰る途中、あろうことかわたしは寄り道をしてしまった。なぜその道を通ったのかはよく覚えていないが、当時それほど仲の良くなかった友だちと、いつもは通らない砂利道を通って帰った。その途中、コケたか転んだかして、持っていた荷物をぶちまけたのだった
全部拾ったつもりだった。だけど「ちび」の絵だけがどうしても見つからない。まるで走ってどこかに逃げてしまったかのように、どんなに探しても見当たらなかったのだ。その日は雨上がりだったこともあり、他の荷物はドロドロで、わたしは半べそ状態で家路についた。挙句に「ちび」の絵は見つからず終い。初めて自信を持って両親に見せられるはずのその絵は、とうとう見つからずに、金賞も嘘になってしまった。そうして褒められることもなく、記憶の中だけの傑作に終わったのだ
寄り道をして帰ったその道が舗装されるまで、わたしはなん年も立ち止まることになる
その7『あからさまに担任に嫌われる』
1年生の時の悪夢がまた、ここで再現される・・・・
4年生になったわたしは、学区編成で移った新しい学校が嫌でしょうがなかった。当時のクラスは6クラス。それがふたつに分かれ新しい学校では3クラスになった。だが、仲のいい友達は元の小学校にたくさん残ったし、僅かばかりの仲良しも、進級したクラスにはひとりもいなかった。ひとつの学校がふたつに分かれただけなので、周りの同級生はまったく知らないひとというわけではない。でも、仲良しはいない。だけど周りはそれなりにまとまっていて、ここで改めて友だち作りをするとか、他のグループに混ぜてもらうなんてのはとても困難なように思えた。なんとかしていつメンをゲットしなければならないわたしは、転校生を待ったが、進級した時点でいなければほぼ無理で、頑張ってグループにまじって話し掛けたけれど、いつもなんとなく浮いてしまっていた
そんなところに担任の先生は、まさにおばあちゃん先生だった。自分の祖母よりもよぼよぼに見える退職間近のその先生は、えこひいきをする「よいこ」が大好きな先生だったのだ
会話していてもつじつまが合わない。「言った」「言わない」が前後する自分の都合で機嫌が悪くなる気分屋さんの先生だった。とにかく話をしても責められるばかりで、理不尽な思いをした記憶しかない
思えば小学生時代のわたしは先生に恵まれなかったかもしれない。これはその先の学習意欲を大きく妨げることになるとのちに気付くわたしは、子どもたちの担任の先生には神経質になったものだが、それはまた別のおはなし
その8『頑張った結果、捻挫』
そんなつまらない思いをしていた4年生の初冬の出来事。そう、また冬…とはいいつつも、未だ半袖ジャージを着ていたから、もしかしたら2学期の寒い日だったかもしれない
初めての幅跳びは、小柄なわたしにはわりと有利な競技なはずだった。当時のわたしは上記のようにクラスに仲の良い友だちが少なく、つまらない日々を送っていた。それどころか気の強いクラスメイトのマウントに、だいぶメンタルをやられていた頃だった
幅跳びは嫌いじゃなかった。自分の順番がきて「いざ走ろう」というときに、わたしとはそりの合わない強気なお友だちに「早くしてよ」と背中を小突かれた。走り出そうとした瞬間に背中を押されてバランスを崩したわたしは、よろけた形で助走する羽目になり、踏み込みに力が入らず、挙句におもいきりお尻で着地することになった。当然笑われたよね。それだけならよかった
わたしの背を押したお友だちは大声で笑い「なにしてんの(そんなこともできないの)」とわたしをなじった。恥ずかしさにさっさと立ち上がりたかったのだが、足に力が入らず動けなかった。着地した直後足に感覚がなかったのだ
「いつまで座ってんの」という彼女の言葉に、どうにかして足を動かそうとお尻の下にある足に手を掛けるが、お尻の下敷きになった足は痺れたようになっていて動かず、ますますパニックになった。「次のひとが走れないんですけど~」という意地悪な声にいよいよ涙が出そうになると、異変を感じた体育教師がわたしを抱きかかえた。先生はなにも言わずに、わたしを保健室に運んだが、多感な時期のわたしは恥ずかしさでいっぱいだった。案の定、教室に戻ったわたしは、それから暫く体育教師に抱きかかえられたことでからかわれることになる
気の強いマウントちゃんは、クラスの人気者というわけではなかったが、活発で目立つ子だったから、彼女のトーンが他のクラスばかりか高学年の教室にまで届き、それまで地味で目立たなかった平穏なわたしの日々が好奇の目にさらされることになった
4年生といえば、躰が丸くなり女の子らしさも出てくる年頃で、そんな時期に大人の男性に抱きかかえられるなど恥辱でしかなかった。しかも当時の体育教師は、イケメンではあったが未婚のおじさんで、あまり生徒に好かれるタイプではなかったので、怪我したことよりも「おじさん先生にお姫さま抱っこされた」という羞恥の事実だけが残った
先生からすれば、体の小さいわたしを歩かせるより手っ取り早いと思ったのかもしれない。あの場所から逃げたかったのは事実だが「抱きかかえなくてもよかったんじゃないか」と、保険係の「だれかと保健室に行くだけでも良かったのに…」と、わたしは助けてくれたその先生に感謝するどころか暫く恨むことになる
この前後、わたしはこの助けてくれた先生には更にお世話になる事件が起きる ↓ ↓ ↓
その9『得意分野で結果が出せない』
5年生になったわたしは、初めて理想の担任の先生にあたった…と思った。のもつかの間、繰り上がりの生徒たちとの絆がすっかり出来上がっていて、期待していた先生との楽しい交流はなく、勉強のできないわたしはそうそうにダメな生徒とみなされた
学校はあそび場ではない。けれど、楽しんでいけない場所ではない。でもわたしは、4年生の担任とそりが合わずに勉強をおろそかにしていたものだから、5年生の授業にはすでについていけなくなっていた。そうなると授業中はおえかきタイムである
そんなわたしでも、国語の授業は好きだった。なにより音読と作文の時間が大好きだった。そこで担任の先生は、その作文でわたしを盛り上げてくれようとしてくれたのだ。県の「作文コンクールに出展してみないか」といわれ、そこから放課後の添削が始まる
それまで他の生徒が「絵画展」や「書道展」「読書感想文」などで選ばれ、放課後に居残って出展のための作品を仕上げる姿を羨ましく眺めていたわたしにも、ようやっとチャンスが巡ってきたのだ。そうして頑張った生徒は大概賞を取って表彰されていたから、わたしもようやっと「どんくさい」子から脱出できると思って頑張った。けど…!
結果は箸にも棒にも掛からぬ残念なものに終わった。もう残念過ぎて言葉もない。先生もさぞ指導し甲斐のない生徒だと思ったことだろう。だからこの先生の記憶の中に、わたしはそれほどの印象を残してはいないだろうなぁと思っていた。だが、大人になって(ちょうど離婚したころ)スーパーで会うことがあり「オマエ今、楽しくてしょうがないだろう」って言われたことが意外だった。その時、あの頃より「いい顔してる」って言われたことが、ものすごく嬉しかった。なにをしたわけでもないけれど、残念な生徒のままで終わらなくて良かったと、唯一報われた思い出
その10『悲観は自分の虐待だ』
小学校中学年(小学校が変わって)から、挫折というわけではないけれど、なんだかなにをやっても上手くいかなくて、やることなすこと裏目裏目で、気持ちも後ろ向きになって、そうなると勉強も部活も、やりたいこともなにもかもに「どうせわたしなんか…」が付きまとい、学生時代は冒険も挑戦することもできなくなった
今考えると「どうでもいいいこと」だが、当時はすべてが自分を否定しているように感じていて、前に進めない日々を送っていた。過ぎてしまえば、あれは「必要だった」といえるけれど、現実にそんな毎日を生きていた頃は、それが「必要」だとは決して思えないものだ。いつでも「今」が大事なのだから・・・・
若い頃のこういった経験はすべてを台無しにする。若い頃の経験はその後の人格を形成するのに結構な影響があることを今は知っている。だからわたしは「遠回り」をしたのだと思うことにした
子どもの成長って、バカにできないと思うのはこういう時。子どもは経験値もなく、言葉も少なければ知識の幅も狭い。見習うべく大人に「否定」されたら、恐怖におののき立ち止まってしまうものだ。大人は子どもを導く道しるべでなければいけない。そしてそれはひとつの道ではなく、あらゆる可能性があることも、伸びしろはどこにでもあることを示していかなくてはならない。そんなことも、大人にならなければ気づけないのだ
もっと、ひとつひとつを大事にできたらよかったなぁと思う
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