思考は“トロイの木馬”に似ている
思考とはまるでトロイの木馬のようだな、と常々思う。
トロイの木馬とは元々はギリシャ神話に登場する敵を欺く為の装置を指すが、そこから転じて、近年ではコンピュータを破壊するウイルスのことをそう呼んだりする。
この「あたかも有用なように見せかけて内部に侵入し、組織を破壊する」という性質がまさに思考そのものだなと感じる。違いがあるとすれば有用なようではなく、実際に有用であるという点ぐらいか。
パスカルは「人間は考える葦である」と言い残したが、まさに人類の強みは思考にあると言えるだろう。
他方、ユヴァル・ハラリはサピエンス全史で、「人類は虚構を信じる力があったおかげで勝者になれた」と解明してみせた。嘘とはまさに思考の産物である。つまり「その点に関しても我々が高い思考力を誇っている」と言えそうだ。
(余談だが私はこのホモ・サピエンスという呼称が嫌いだ。賢い人間ってさ、ってなる…)
というように、思考は有用というか、人間にとっての武器そのものだ。しかし、それも上手く使いこなせた場合に限定される。どんな武器も使い方が誤っていれば満足に効果を発揮しないどころか、自身に害が及んでしまう。
そんな思考の悪質性は三つほど挙げられる。
一つ目は、悲観的な記憶ばかり反復してしまうこと。人間にはネガティビティ・バイアスが存在するため、思考すればするほどこの影響を受けやすい。
二つ目は、馬鹿になれないこと。賢い人は常に何かを考えている。一方で馬鹿な人は何も考えていない。では、どちらが幸せか?といえば後者である。馬鹿な人は思考しない代わりに今を最大限に楽しむ。だからいつも幸せなのだ。思考とはその性質上、過去か未来に対象が限定されており、今を認識しようとすれば必然的にそうできない構造になっている。要するに賢い人であればあるほど幸せを感じにくいということだ。
三つ目は、エゴが強くなる。思考とはエゴそのものであり、使えば使うほどその影響が強まる。エゴが強まると次第にプライドが高くなって自惚れていく。その証拠に、あなたの周りにいる自己中心的な人物を観察してみるといい(大体2〜3人はいると思う)。多くの場合、いつも彼らは何か考え事をしているはずだ。
そんなエゴの強い人間は周囲との関係で軋轢を生みやすいため、人間関係で幸福感を得られないという問題に陥りがちだ。よく「利他主義者の方が幸福度が高い」と言われるのはそういうわけである。
というわけで以上の三点が思考の悪質性と言えるだろう。
要するに何が言いたいかといえば、思考は使えば使うほどその悪質性によって心身に害を及ぼすということ。「トロイの木馬」と喩えたのはそういった理由からである。
多くの場合、考え過ぎても碌なことはない。思考をある種の生業にしている哲学者が自殺しやすいのはきっとそういうことなのだろう。
適度に考えて適度に息抜きする、くらいがちょうど良いのだと思う。
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