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小説「オーストラリアの青い空」3
コシグロペリカンのサダオは、きょうも浜から20メートルほどの海上に浮かんでいた。毎日、たった独りで浜をじっと見ている。丸く黒い目に、表情はない。
サダオは1日をほとんど独りで過ごすが、昼飯時だけは違った。近くのシーフード店のショーに出演するのだ。浜辺にあるこの店は、鮮魚とフィッシュアンドチップスの味でガイドブックにも載る人気店だ。毎日決まって午後1時半から、ペリカンの餌付けをして観光名所になっている。
コシグロペリカンは尾尻から背中にかけて黒い羽で覆われている以外、白い大きな翼と長い首、50センチもあるピンク色のくちばしを持つ。立てば大人の人間ほどの背丈とあって、目立つことこの上ない。
店としては、毎日大量に出るごみ、つまり魚のあらでペリカンを集め、大勢の客と見物人を楽しませることができるから、一石二鳥である。店の宣伝効果も抜群だった。
大食漢のペリカンは一日中腹を空かせていて、昼前から店の裏の浜に数十羽が集まってくる。サダオはいつも少し遅れて群に加わる。早くからガーガー鳴いて、餌を待つのがいやなのだ。
青いエプロンに黒いゴム長、サングラスの若者がバケツを両手に提げて店から出てきた。バケツにはあらがぎっしり詰まっているはずだ。ペリカンはすでに100羽ほどになっている。若者は、牧場の羊を追い込むようにして、ペリカンの群の両側に赤いロープを張った。
以前はロープなどはなく、ペリカンは観光客に取り囲まれて餌をもらっていたが、手を出した観光客がペリカンに突かれてけがをする事故があり、店がペリカンと観客を分けるようになった。
サダオは、ペリカンの群にあらが投げ入れられるのを待ちながら、ほんの数カ月前を懐かしんだ。
毎日、大型の観光バスでやって来た中国人観光客が、新型コロナウイルスの流行で姿を消した。しかも、それは突然だった。
それまで、日によっては2、3百人もの中国人が集まり、押し合いへし合いしてガーガーわめきながらあらを奪い合うサダオたちに、スマホをかざして歓声を上げていたものだ。
河がゆっくりと海に流れ込むゴールドコースト一帯は、砂州が島に成長して、内陸側に細長い汽水湖のような内水面が所々に見られる。世界中のサーファーが憧れる南太平洋の荒波は、長大な砂州に阻まれ、内側は信じられないほど静かな浜が広がる。
世界は海と空のブルー、雲とビーチの白、たった2色のグラデーションに、松と芝生の緑を加えるだけでよかった。
サダオもこの海辺が好きだった。風が強い日もあるが、大抵は穏やかに過ごせた。
そんな浜が1日に1回だけ殺気立つのが、このシーフード店の餌付けだった。
おこぼれを狙うカモメやアイビスの群が、ギーギーとけたたましく鳴きながら上空を飛び交い、激しく体をぶつけ合ってぶつ切りのあらを丸呑みするペリカンたち、そして人間たちのどよめき。
サダオはいつも、群の真ん中から離れた外側にいた。必死になって競い合わなくとも、あらは必ず飛んでくることを知っていた。
なぜなら、青いエプロンの若者は、群全体に餌が行き渡るように、また浜の左右に広がって見物するどの観客からも餌に食いつくペリカンが見えるように、あらを投げる方向と距離を心得ているからだ。
黒く濃い髪を持つイギリス系の若者は、自身が餌付けショーの中心にいることを楽しんでいた。バケツから頭付きの骨をつかみ、上にかざせば、何百ものペリカンと人間の視線が注がれる。
ペリカンが密集する群の真ん中に、あらはゆっくりと投げ込まれた。ペリカンたちの唸り声とともに、一斉に突き出されたピンクのくちばしがカタカタと林立して、餌の奪い合いは阿鼻叫喚の騒ぎだった。
運良くくちばしの先であらをつまみ取ったペリカンは、獲物をくちばしの中で器用に回してダブダフのゴム袋のような喉に落とし込むのだった。
中国人観光客が消えてからも、餌付けショーは毎日開かれていたが、見物客は地元のオージー数十人が集まるだけで、歓声が起こることもなくなった。店の売上げも減って、あらの量も少なくなってしまった。
それでも、一帯のコシグロペリカンにとっては貴重なランチタイムとあって、毎日同じ数のペリカンが集まってきた。ショーが終わっても、食べ足りない十数羽のペリカンが浜に残り、足下で激しく威嚇し合うカモメの群を見ていた。
ヨシオとキョウコは午後になると近くのコーヒーショップで、ロングブラックと呼ぶホットコーヒーを買って、浜へ散歩に行くのが日課になっていた。
WHOのパンデミック宣言から早々に、クイーンズランド州政府の命令によって、飲食店は持ち帰りだけとなり、このコーヒーショップも店内の椅子はひっくり返してテーブルに上げられていた。
隣のコンビニに行けば、ドリップマシーンのコーヒーが1ドルで買えたが、2人は上品な香りを求め、バリスタが丁寧に淹れてくれるコーヒショップにも通った。ロングブラックは小さい紙カップで3ドル、キョウコはたまに5.5ドルのアイスラテを飲んだ。
この国は、住宅街の小さい商店街にも必ず数件のカフェがある。コーヒーへのこだわりは、オージーのライフスタイルといっていい。それにスーパーマーケットはもちろんだが、欠かせないのが酒屋である。街にはそれらに加えて、薬局、動物病院、理髪店、歯科医が常連だ。
ヨシオとキョウコはコーヒーショップのスタッフと、すっかり顔なじみとなっていた。ジョージは大柄の白人で、2人のつたない英語に付き合ってくれた。コーヒーの香りとジョージの笑顔に、2人は一息つくことができた。
ただ、すれ違う旅人としてではなく、すでにヨシオらとジョージは日常を共有し始めていた。
ヨシオにとっては、旅をしているはずが、旅でなくなる、新鮮な光景が普通の景色になってしまうような、ちょっとした喪失感があった。
コシグロペリカンのサダオは、この日も餌付けショーを終えていつもの海に浮かんでいた。潮が引いて数十メートルの干潟が現れ、いつものように大喜びで浅瀬を走り回る犬と、目を細めて見守る飼い主家族たちの姿があった。
ゴールドコーストでも、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため不要不急の外出は制限されていたが、健康維持のための散歩は認められていたし、立入禁止のビーチで海水浴やサーファンを楽しむオージーは、結構いた。
州当局もヘリやパトカーを出して目を光らせていたものの、とことん取り締まるような姿勢には見えなかった。
4月末で北米の感染者が100万人、死者6万人を超えた中、オーストラリアの対策は効果を上げていて、感染者は7千人弱、死者は91人と先進国では最も低いレベルだった。
浜辺の遊歩道を歩く日本人に、サダオは思い当たることがあった。
実は、ヨシオとキョウコは前年にも娘のヒロコ宅にやっかいになって、1週間ゴールドコーストに滞在した。ヨシオのリタイアを記念して憧れていたオーストラリアを訪れたのだった。
その時、ヒロコに連れられてヨシオ夫婦はペリカンの餌付けショーを見に行った。ヨシオは間近で見るでかい鳥たちに度肝を抜かれ、カメラを持って群の中に入っていった。ヨシオが近づくと大抵のペリカンたちは後ずさりしたが、逃げる素振りのない1羽がいて、ヨシオを正面からにらんでいた。
たまたまあらを食いそびれ、腹の虫が治まらないサダオだった。ヨシオはペリカンの顔をアップで撮影できるとあって、サダオの至近距離でカメラを構えたその時、サダオのくちばしが、ヨシオの右手の甲に飛んだ。
コシグロペリカンのくちばしは、上あごの先がかぎ爪のように反っていて、捕らえた魚に食い込んで離さない。この爪がヨシオの手の甲を襲った。ヨシオは痛いというより、思わぬペリカンの攻撃にびっくりして立ちすくんでいた。
直後は傷から血が滴っていたものの、思ったより浅く、1週間ほどで傷はかさぶたになり目立たなくなった。
浜辺の散歩道で、干潟の向こうに浮かぶサダオを、ヨシオは毎日のように目にしていたが、他のペリカンと区別がつくはずはなかった。
サダオにしてみれば、何でまたあの日本人がゴールドコーストにいるのか、不思議だった。しかもひと月以上も。今回はどう見ても、観光客には見えない。
ベンチで考え込むように、海を眺めているときもある。去年、子どもみたいにはしゃいでカメラを構えていた同じオヤジとは思えない。
サダオは海面に上がってきた小魚を見つけた。長い首を素早く伸ばし、大きなくちばしでガバッと海水ごとすくい込んだ。暴れる魚の感触を喉で楽しみながら、1匹をこし取った。
首尾よく獲物を得たサダオは、尾尻をぴくぴくと左右に振る仕草をした。
いい南風が吹いてきて、サダオは差し渡し2メートル半もある翼を広げ音もなく舞い上がった。海面すれすれを舐めるように滑空してから、中空に遊んだ。足や胴体からしずく一滴落とさない、見事な飛翔だった。
数分後にはハイウエー沿いの水銀灯にペタリと座り込み、昼寝を決め込んだ。
下の交差点では、ゴールドコースト市の職員が信号機の支柱に、「手を洗おう」と書いた赤いシールを貼り付けていた。
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