Fake,Face 5
テレビ映像でも、ネット検索でも、アドルフ・ヒトラーとアルベルト・アインシュタインの容貌が入れ替わっている。しかしそれぞれの行いは、世界史の教科書や本、テレビ番組などでヨシオが知っている内容と違わない。
やはりヨシオの脳の記憶に何らかの異変が起きたのか。それとも、ある時点からこの世界で二人の顔は入れ替わったのか。
「······」
「いや、待てよ。まだ確かめる手はある」
顔を上げたヨシオは、少し生気を取り戻して奥の部屋に向かった。
もう何年も物置となっていた子ども部屋には、一度は処分しようとして置いたままになっている本が箱詰めされていた。その中に、古い百科事典とか歴史年表があった。
万が一、デジタルの世界で歴史の記録に何らかの異変があったとしても、紙の資料は影響を受けていないはずだ。その百科事典はヨシオが子どものころに父が買った書籍だから、数十年昔の昭和時代の古本だ。
何でもスマホやパソコンで調べることができるようになってから、辞書の類いはもはや化石の領域に入っている。正しい歴史が化石となって。
腰を痛めないように、ヨシオは慎重に尻を落として段ボール箱の山に取りかかった。百科事典を詰めた箱はすぐに見つかった。すえたような古本とほこりのにおいの中、「あ~あん」の項目を収めた1巻目を分厚いボール紙のカバーから取り出して「アドルフ・ヒトラー」を探す。
本を開くと、ヨシオは心地よいノスタルジーを感じた。ずしりと掌にかかる重量感といい、サラサラと流れる紙の音といい。そして、しばし時間を忘れ、目的以外の項目を読んでしまう遊びごころといい―。
百科事典が届いたとき、夢中になってページを繰った遠い日々を思い出していた。そんな時間はあっという間に過ぎ、全25巻と地図帳からなる大百科は、居間の飾りとなってほこりをかぶり、日に焼けてカバーは変色してあちこちに染みを浮かべ、物置の段ボール箱に詰められ、引っ越しの度に捨てられる寸前で付いて来た。
最近の古書引き取りサービスを調べても、「百科事典や全集類」は例外なく対象外となっていた。このため地元の資源回収に回すにしても、本を車まで運び、回収場所で下ろさなければならない。腰に不安をかかえるシニアにはおっくうな作業となっていた。
ページを繰るヨシオの目が、ギョッとなった。見てはならないものを目にしてしまったように。しかし目を背けることができない。「アドルフ」を少し行き過ぎ、たまたま「アブラハム・リンカーン」、アメリカ合衆国第16代大統領が載ったページがあった。添付写真に目を疑った。
「まさか·····」
黒々とした頭髪とあご髭を蓄えた彫りの深い顔の人物ではなかった。
「これは、トランプ、あのドナルド・トランプではないか」
ヨシオは胸苦しさを感じて、辞典をパタンと閉じた。ドクッと心臓が波打った。
ほこりが舞い散る中、ヨシオは古い旅行の本を探し始めた。就職して間もないころ、ニューヨーク旅行を思い立って買ったガイドブックだから40年ほど前の出版物だ。
このアメリカ旅行は実現しないまま、本は百科事典などとともに段ボール箱で眠っていた。
リンカーン記念堂の座像写真はすぐに見つかった。巨大な椅子に少し足を開いて腰を下ろし、高い肘掛けに両手を添えた男の顔は、トランプその人であった。
にんまりと得意げに口の端をゆがめ、今にも右手を挙げて親指を立てようとするかのように。ヨシオはあらためて写真説明とページのタイトルを確かめた。「トランプ記念堂」ではなく「リンカーン記念堂」だった。
リンカーンの言葉に「40 歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」というのがあったのを、なぜか思い出した。
そのとき、ドアホンが鳴ってヨシオはわれに返った。