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いざ!イスタンブールだったけど…

 イスタンブールは、2カ月後に満70歳となるヨシオを手荒く歓迎した。
 羽田夜10時前発、イスタンブール早朝5時すぎ着。時差6時間、13時間あまりのフライトだ。うつらうつらとはしたもののエコノミー席はきつい。LCCの乗継ぎ便だったら途中でぶっ倒れていたかもしれない。
 初めて降りる国際空港はどこまでも広く感じてしまうものだ。預け入れ荷物引き取りひとつにしても、勝手が違うと疲れた頭が麻痺してくる。しかも今回は一人旅。両替やSIMカード購入は市内の方が安いことは分かってはいたが、早く空港で済ませてホテルで休むことに体と頭が流れていく。
 さらにSIMがヨシオのスマホに合わないなどの問題も追い打ちして、ヨシオはイスタンブール国際空港で2時間近く、下手な英語と翻訳アプリで店員とやり取りするはめになった。
 そのSIM販売店ではカウンターに伏して大声で泣いているおばさんもいた。理由はヨシオには分からなかったが、スマホのデータが消えてしまうなどトラブルに見舞われたのか?皆さん旅には欠かせないスマホで困っている。

新市街タクスィム広場から眺めたイスタンブールの喧噪。どこか昭和の日本のような活気と荒っぽさがあった

 これまた広大な空港のバス乗り場で、目当てのバスを探すのにあっちこっち。重いキャリーバッグを引いてウロウロするヨシオのために「右往左往」という言葉は生まれたようなものである。
 トルコではここ数年、ものすごいインフレで物価はあっという間に数倍にはね上がっている。2019年編集「地球の歩き方 イスタンブール」の数字と比べると、ヨシオが訪れた2023年10月時点で、10倍以上になっていた博物館入館料もざらだった。
 バス料金もひと桁増えていた。しかし何とか目的のバスに乗り込み、車窓を流れる街並みを見たヨシオ。
 「やっと来た…」
 ヨシオは少しにんまりしてつぶやいた。
 若いころ、沢木耕太郎「深夜特急」を読んで強い興味を持った街。最近では塩野七生「コンスタンチノープルの陥落」でその壮大かつ奥深い歴史に魅せられた。
 旧市街中心部のアクサライという繁華街でバスを降りたまではノープロブレム。
 冷静になって地図を見てトラムに乗れば、二駅で予約していたホテルに歩いて行けた。
 ところが、バスを降りた途端、街の喧騒と朝のラッシュに飲み込まれ、ヨシオはしばし呆然として周りを眺めていた。そこに若者といっても30前後の小柄な男が、ヨシオのキャリーバッグをひょいと持ち上げ、鉄パイプをL字型に組んだ枠に小さい車輪を付けた荷車に乗せてしまうではないか。
 空港から到着するバス停周辺には、鵜の目鷹の目の者が疲れた旅行者を待っている。ヨシオの経験からも、詐欺まがいの犯罪や集団によるスリは、ある意味、狙われたら逃れることは難しい。
 その手のプロ集団にロックオンされた瞬間、素人では太刀打ちできないのだ。
 半年近く前から計画し、トルコ語までネットで勉強してやって来たヨシオの旅も、これで哀れジ・エンドか。

新市街オスマンベイ駅前の花売り

 正直言って、十数キロもあるバッグはヨシオには重かった。イスタンブールの気温は日本と同じぐらいで日中は暑いほど。ただ、カッパドキアなど内陸部はダウンジャケットが要るほど冷え込む。
 このため服の用意が多めに必要だった。古着を捨てながら旅行しても2週間分となると衣類も膨らむ。さらに最近の旅行はプラグ類がやたらたくさん必要になっている。
 スマホの充電器、予備バッテリーとその充電器、デジカメと充電器、現地プラグ。ノートパソコン。コード類。これらが重いのだ。さらに年を重ねると、常備薬に加え薬類があれもこれもとなってかなりの分量となる。
 ヨシオはその男に「タクシーか?」と聞いた。男はあいまいに頷いて、「ホテルはどこか?」と言うので予約メールを見せると「分かった、付いて来て。近くだ」とさっさと先を行った。
 ろくに返事も確認せずヨシオの荷物を荷車に載せて引いて行く。オイオイ、ちょっと、と日本語で言っても聞く耳なし。「ノー!」と叫び、荷物を取り戻し「ポリース」と周囲にわめくしか男を阻止する手立てはなかった。

オスマンベイ駅界隈。ヨシオが男に荷物を運ばれたアクサライ界隈もこんな感じ

 ヨシオの剣幕に男は立ち止まって「20ドル(約3000円)でホテルまで荷物を運ぶから」と、説得にかかった。
 男の割と真面目そうな目つきを見て、ヨシオは一瞬「まあいいか」という表情を浮かべた。「OK」と男。ヨシオは右も左もさっぱり分からないアクサライの朝のラッシュに揉まれて困っていたから、男に任せることにした。
 ホテルに空港への迎えの車を頼んだら30ユーロ(約4800円)だったから20ドルなら許容範囲か。
 男はGoogleマップでホテルを検索して、ヨシオをトラムの駅に導いて、男がチャージしたイスタンブールカードも渡してくれた。50リラ(約300円)ぐらいだと思うが。トラムは満員で乗り込むにも覚悟が要るほどだった。
 二駅目で降り、石畳のかなり急な坂を男はキャリーバッグを、持ち上げて運んだ。石畳といってもスリップを防ぐためか、かなり深いデコボコで重いバッグをゴロゴロやるとあっという間に車輪は壊れるだろう。男は「ほら、車輪を守っているだろ」という表情を浮かべた。
 思った以上にイスタンブールは坂の街だった。10分ほどでホテルに着いたが、ヨシオはドルの持ち合わせがないことに気付いた。
 「ドルのキャッシュがない。リラとユーロならある」
 「分かった。30ユーロだ」
 「…20ドルじゃなかったか。なら20ユーロでいいじゃないか」
 「トラムカードも渡しただろ」
 25ユーロに値切ることもヨシオは考えたものの、空港到着から4時間あまり、羽田のチェックインからすると丸一日近い時間が過ぎている。ヨシオの頭は考えることをやめた。
 ホテルの案内通り30ユーロで迎えに来てもらえば、少なくとも2時間早く、スムーズにホテルのロビーで温かいチャイを味わっていただろう。
 しかし、こうしてヨシオは何とかホテルにたどり着いたのだった。但し、男にカモられたことに間違いはない。

温かいトルコのチャイ。くびれたグラスに入っている


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アキボー@時代遅れのジャーナリスト
シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!