【本を読んで考える】感謝の正拳突きを一万回する前に、祈る時間を増やしてもいい
先月の自分が書いた毎月のnoteを読み返しながら、ふと自分の中で人の存在意義とか労働観にパラダイムシフトが生じていることに気づいた。
具体的には、その人の存在価値を労働価値や生産性と同等に考える資本主義的な考え方に、自分がどんよりと染まってしまっていたことを、パートナーとの関係から気づき、考え始めた。
思えば、こんなたとえ話がある。
仕事で成功すること、利益を上げてお金をもらうことは、世の中の多くの人が、それが幸せになる手段だと疑わないどころか、志事なんて感じを当てて、仕事にやりがいを求め、どこかに私がきっと生き生きと働ける仕事があるはずだと信じてキャリアを転々とする人もいるのではないだろうか。
かく言う私がその典型だったと思う。
自分の精神的な不調や、やりきれない気持ちは、「やりたいことを仕事にできていない」ことが原因なのではないかと思って転職活動をしたりもした。
でもそうやって、仕事にやりがいを、ともすれば自分の生きる意味を探すと言うのは、世の中で幸せに生きる手段の1つに過ぎないこと。それ以外の手段が見えなくなってしまっているのは、個人よりもむしろ世の中の構造に課題があるからだとするのが本書だ。
また本書を紹介した下記の動画も面白いので、本を買わずともぜひご覧いただきたい。
漫画HUNTER×HUNTERの中で、ネテロ会長というキャラクターが若かりし日に修行の一環として、毎日「感謝の正拳突き」を1万回行うというシーンがある。
それを続けることおよそ30年。ネテロ会長は1万回の正拳突きをやり切るのにかかる時間が短くなり、祈る時間が増えたそうだ。
このエピソードを聞いて皆さんはどう思うだろう?
ネテロ会長の圧倒的努力に感動する?30年もやり続ける姿にゾッとする?
おそらくこのシーンでは正拳突きの修行を行うこと自体に目的が置かれていたのだろうが、もしネテロ会長にとって祈りの時間も修行と同等かそれ以上に大切なことだったらどうだろう?
祈る時間を増やすまでの30年の間、実は泣く泣く祈る時間をカットしていたとしたら?
もちろん、何をするか決めるのはネテロ会長だ。
朝起きて、今日は修行したっていいし、祈ったっていい。
資本主義社会と切っても切れない私たちにはなかなか考えにくいことかもしれないけれど、私たちにも本当は明日仕事する自由も、仕事を辞めて起業する自由も、ディズニーランドに行く自由も、ピーチアフタヌーンティーに行く自由もあるんだ。
ある日仕事をサボりたくなってサボって、その日の給料は出なかったとしても、同居している愛犬やパートナーは、一緒にいられて幸せかもしれないよ。誰も幸せにできる人なんていないなんて言わないで、あなた自身が幸せなら、それが1番大切なことだと、私は思うよ。
そんなことを思い出すと、私の場合は、ちょっと生きる元気が湧いてくる。
この記事を読んでいる人のにも、そんな元気のお裾分けができるといいな。
そんなことを考えながら、本書を紹介しました。
もしよかったら読んでみてください^^
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最近、メンタル心理カウンセラーという資格を得まして、それと本好きを掛け合わせて、考えたサービスです。
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