困った人を助けることの意味
華道を初めて1年が経った。その中でいろんな先生に会うことがあった。年寄りの女性が多く、母と同じ世代だった。スマートフォンの使い方がわからないから若手として私はその質問に答えた。時間はかかったけどとりあえずの返事はできた。このとき私は困った人を助けた。
ミルの自由論をまともに読んだわけではないので戯言だと思って欲しい。ミルは自由論の中で子どもと未開人は先制されて然るべきだと考えていた。彼はその未熟な者たちは助けられるべき存在だと考えていた。
助けられるべき存在とは相手の現状の否定であり、自身の現状の工程なのだと思う。私を相手に押し付けるその態度は春先の露出狂と同じだと思う。私のファルスを見ろと言わんばかりの雄の発情なのだと思う。助けるということの厚かましさに嫌気がさす。
助ける相手が外にあると思うその態度はテストステロンが見させる幻想である。その幻想に酔い、寝ぼけ眼で一生を過ごすことは未熟そのものだと思う。
ただ、私も人を助けることがある。それが件の露出狂とは違う何かであって欲しいと思う。
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