グラニュラリティ、解像度、有効桁数

高校生の時、サッカー部だった。部長をしているものだから、遅刻すると部員から批判を浴びる。それに反して、私は時間通りに場所に行くのが苦手だった。今も同じだ。さらに屁理屈を捏ねたがる。9時集合なら、9時0分59秒まで遅刻ではないだろうと心の中で叫んでいた。根本的に8時55分に学校に着いていれば遅刻ではないのだからそうすればいい。

それでも人によってもっと早く来るかもしれない。9時0分59秒は9時0分以下切り捨てと考えれば9時だという理屈だ。9時0分以降は切り上げだという人もいる。はたまた、8時30分に来たら8.5時だと考えた時に切り上げれば9時ちょうどと同じだから遅刻と考えたりするかもしれない。8時1分も切り上げたら9時かもしれない。7時59分なら遅刻ではないのか。そんな屁理屈を捏ねている高校生だった。

私たちは生活の中に何かしらの粒度や有効桁数、解像度のようなものを持っている。ここではグラニュラリティと呼ぶことにする。

粒度(りゅうど、granularity)は、プログラム(ソースコード)について、プログラマーの頭の中で問題となる箇所や用途と関連のある箇所をピックアップしやすい状態に保守し続けることを意図する文脈の用語である。

Wikipedia 粒度

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/粒度_(プログラミング)

9時0分59秒500ミリ秒 までは遅刻手間はないとする人はグラニュラリティが高いといえる。

グラニュラリティが高い人はものごとの判断のために高い計算量が必要になる。果たしてこれはどちらなのかをミリ秒まで測定して判断が必要になる。

シャケの骨は噛んで飲み込める人は大きな骨だけ取り除けば食べられる。小骨で苦しむ人は取り除く骨に対してグラニュラリティが高い。

グラニュラリティの高低は善悪ではない。グラニュラリティはその場に応じて求められる高さがある。サッカーのコートを作るのに数ミリのズレは気にならないが、折り紙では重要になる。

グラニュラリティの高い人間について言及しようとしたら酒が回ってグラニュラリティの説明で終わってしまった。また元気になったら続きを書きたい。

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