誰のための大学スポーツか Vol.1
久しぶりのnote投稿。
無理なく、普段考えていることをやっぱり書いていこうと思います。
自分を超える背伸びした自分として書いても響かないし、絶対続かないので、今考えていること、等身大の自分の思考を文字におこしていこうと思います。
誰かに響いて、その人が大学スポーツのために動いてくれたら嬉しいし、仲間になってくれたら嬉しいですね。
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[スポーツの語源は「遊び」である]
上記にもあるように、スポーツはもともと遊びである。
そして、陸上競技の為末大さんはtwitterでスポーツに対してこう述べている
すごい腑に落ちた。
スポーツの話題に触れるときに、
教育的に!と叫んでるのは教育関係者だし
勝敗が大事だ!と思ってるのはやっぱり現場の監督や選手だし
健康をと謳っているのは市民のことを考える役所の人や愛好家だったりする
前提が社会に浸透していればしているほど、多くの人がその効果を感じるんだと思う。でも、それは社会全員の共通項ではなく、浸透している人たちだけの共通項であるんだ
このツイートを見てて、ふと大船渡の佐々木投手の記事を思い出した。
だから浸透していない人に対して、理論を振りかざすのはあんまり意味がないのかもしれない。いくらそれが理論的に正しかったとしても。そんなものは人によって捉え方は違うし、当の本人が決めるもの。他人にとやかく言われる筋合いはない。この登板回避がどうだったのかなんて、他人が知るわけでもなく。本人と監督とチームメイトの当事者たちの問題であって、彼らが決めること。
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[じゃぁスポーツは結局自己満なのか]
トップチーム、プロなら答えはNoなのではないか。
観客が来てくれて、自分たちのプレーを通じて盛り上がったり、落胆したりしてくれる。観客動員によってチケット収入があって、選手たちにも給料が払える。要は顧客が存在している時点で、彼らのためになっている。
でも、大学スポーツってどうなのか。
同志社大学ボート部に所属していた時、この問いに直面したことが何度かある。インカレで8+という花形種目で60年ぶり(※訂正 約30年でした。すみません。平成元年にインカレ8+4位だそうです)くらいに最終日に行けた時、一定の成果を残して満足感があった。関係者もチームメイトも先輩も後輩も喜んでくれた。
でも、それって全部内部だけではないのか。結局自分たちだけで盛り上がっているだけじゃないのか。何が為されたのか。
あまり知らない周りの反応は変わらない。
では、価値はなかったのか。
モヤモヤします。
続きます。
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