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マット・リドレー著『徳の起源』その2:「贈り物」と「会食」
引き続きマット・リドレー著『徳の起源』よりギフト(贈り物)と会食について。これが非常に面白い。
⒈ギフトはどこまでいってもお返しを期待されている
英国では常に経済の7〜8%は贈答品の製造に使われているという。本書では日本の方が英国よりもより多くの贈答品が送られているのではないか、と指摘。
ちなみに贈答品の製造金額ではありませんが、日本のギフト市場の規模は、日経新聞記事の矢野経済研究所の調査によると11兆円程度(2023年)だから、日本のGDP591兆円の2%弱。
著者によれば、ギフト文化は、互恵主義がもたらした人類共通の文化。どんな時代のどんな社会であってもギフトには必ず「お返しが期待されている」、というのがあらゆる人間に普遍的な贈り物文化。
以下、著者が面白い事例を紹介しています。
コロンブスが新大陸に近いバハマのサン・サルバドル島(本書では「アメリカ」と表現)に到着した際、ヨーロッパ人とアメリカ先住民の間には中石器時代以降、まったく交渉がなかったにもかかわらず「何かを贈ればお返しが期待できる」というのは両者ともよく理解していたという。
これ以外にも、アメリカインディアン、ニューギニア、ケニアなどの原始狩猟採集社会をはじめ、ヨーロッパ社交界など、あらゆる人間社会に見られるギフト文化。そしてどの社会でも必ず「見返り」を期待。
「見返り」を期待しないのは唯一、真の利他主義者。つまり真の利他主義者は贈り物をしないのです。なぜなら贈り物をすれば必ずお返しを期待されると私たちは知っているからです。
しかし真の利他主義者の社会は人間誕生以降、どの時代にもどの場所にも存在していない。
もともと人間の本性には、
寛大な人への尊敬の念とケチな人を軽蔑する
という性質があるという。このような互恵的本能は、人間社会の潤滑油として機能しており、原始狩猟採集社会から現代社会に至るまで、まったく変わっていません。
このような本性が人間に備わっている限り、贈り物には必ずお返しが期待されているのです。
したがって今話題の政治家への団体献金禁止は、真っ当な政策なのかもしれません。
誰も見返りを期待せずに贈り物を贈ることはありません。必ず献金者は見返りを期待しており、そして長年の間献金がなくならない、ということは何かしらの「お返し」があるから、と言わざるを得ません。
こぞってトランプ大統領に献金したGAFAの経営者やイーロン・マスクは、もっと露骨ですが。。。
⒉なぜ私たちは会食するのか?
会食という行為は、人間がもともと持っている本性だといいます。会食すること、というか一緒に食事することで社会を成り立たせているのが人間という種の本性。
世界中の人々は食事をとるために集う。何人か集まって食べることはごくふつうのあたりまえの行動である。晩の食事を囲む、友人とレストランで食事をする、同僚とランチミーティングを開く、キャンドルを灯したディナーの席で結婚を申し込む(申し込まれる)、はじめての客を自宅やオフィスに招くときには、たとえコーヒーやビスケット程度のものにせよ、なにか食べ物をだす。
そして、
食べることは分け合うことである。一緒にどうぞ、と食べ物を勧めるのは、社会的本能がそうさせるからなのである。
この「一緒に食事をして分け合う」という行為は、もともと原始狩猟社会時代の「肉」を分け合う行為がルーツでではないか、といいます。
どんなディナーでも必ずメインディッシュは「肉(魚肉含む)」。これは狩猟社会でも中世・現代ヨーロッパでも中国でも私たちが今生きている日本でも同じ。メインディッシュは野菜や穀物ではなく「肉」なのです。
「食べる」という行為は、公共性、社会性、共通性の強い活動で、その場合、公共性が強いのは「肉」。肉を分け合って食べる、というのが人間社会を維持していくための必須の行為。
実は食事におけるこの「分け合う」という利他主義的行為は、他の生活場面と比較しても最も強力な行為。食事以外に自分の所有物を「分け合う」という場面が思いつかないのは確かで、人間社会を維持するための重要な利他主義的行為だと言えるのです。
私たちが会食を通じコミュニケーションをとることで「仲良くなる」「仲間意識を持つ」「親近感を感じる」というのは私たちが先天的に保持している本性ということらしい。
政治家の世界でも「会食なんかやめた方がいい」という主張も一部論者にありますが、実は生物学的には「やめない方がいい」ということで、一緒に食事することで私たちは社会を成り立たせているし、仲間意識を醸成させているのです。
*写真:京都八起庵の名物「鴨鍋」。
生物学的には、鍋を囲んで食事すれば誰でも仲良くなれるんですね。というか仲良くなるには一緒に食事するのが一番、ということです。
世界のどこかしこでも
遺伝子という設計図によってもたらされた赤ちゃんが、その赤ちゃんが生まれたそれぞれの特定の時代と場所の文化によって利他主義が完成していく、というイメージ。この辺りは過去の記事を参照。