「アレクサンドロス大王」澤田典子著 書評
<概要>
数多の伝説に彩られたアレクサンドロス大王(三世)に関して、歴史学的手法による最新の研究成果に基づき、その実像を可能な限り手繰り寄せると同時に、それぞれに時代や地域においてアレクサンドロスがどのように解釈されてきたのか紹介した著作。
<コメント>
数あるアレクサンドロス大王に関する著作の中で本書を選択したのは、最新の出版でなおかつ著者が現役のギリシア研究者かつ、自分と同世代の方だから。
歴史学は新しい発見や解釈によって、その史実はどんどんアップデートされるため現役の研究者による最新の著作が一番史実に近いからです。
既に塩野七生著「ギリシア人の物語」四巻で、
アレクサンドロス大王の歴史エッセイを読んだので、その英雄的視点は理解したものの、実際のところ、アレクサンドロス大王とはどんな人物だったのだろう、という疑問に答えるには、歴史学者の最新の著作にあたるのが一番です。
■父フィリポス2世の継承と対抗心
ギリシア世界を統一したアレクサンドロスの父フィリポス2世は、暗殺の直前までアレクサンドロスを随行させるなど、後継は彼にするという意志は持っていました。とはいえ、アレクサンドロスは、父が暗殺されて即、父に倣い、後継可能性のある血統は、その支持者も含めてことごとく処刑します。加えてその後の東方遠征でも自身に反対・反抗する勢力は、国内外問わず徹底的に殲滅する(容赦ない殺戮と奴隷化)という方針も父のやり方にしたがったものでした。
一方で大王は父フィリポス2世の亡霊と戦っていました。東方大遠征によるペルシャ帝国制圧は、父の亡霊から解放されるためと言っても過言ではありません。そして成し遂げてしまうところが大王たる由縁。
「神の子」を自称してペルシャの首都バビロンを新たな帝国の首都と定め、アラビア半島への遠征を企図しつ、急死(死因はね熱病など諸説ありますが不明)。
■第二の父アリストテレスの影響
歴史学の世界では、アレクサンドロス大王の政治や思想にはアリストテレスによる大きな影響はみられないと言われています。というのも、ギリシア人は異民族(バルバロイ)に対する明確な差別意識を持っていましたが、アリストテレスも同じで、ペルシア人を取り込んで協調・同化しようとしたアレクサンドロスの思想とは相容れないからです。
一方で東方遠征に学者を随行させ、その土地の風土や動植物を研究するなどの自然科学への強い関心は、アリストテレスからの影響ではないかと言われています。
■アカイメネス朝ペルシャ帝国の正統な継承者
アカイメネス朝発祥の地ペルセポリスを攻め落としたあたりから、大王はペルシアへの同化を積極的に進めます。ファッション然り、宮廷儀礼然り、ペルシア人との結婚然り、これはマケドニア時代からペルシャを征服するためには、彼らへの同化政策が最も有効だと思っていたらしい。
中国史をみれば、「隋」「唐」の鮮卑族、「元」のモンゴル族、「清」の満族など、中国大陸を支配した民族は皆「郷に入れば郷に従え」という漢民族への同化政策を採用。アレクサンドロスも同じ手法を使ってペルシャ帝国を支配下におきました。
■東方大遠征の目的は、ポトスの発露たるペルシャ帝国征服
大王は、東方大遠征において当初からインド世界まで踏み込む意図はなく、ペルシャとインドの境界線、つまり当初からヒュファシス川での反転を計画していた可能性が高かったといいます。
塩野七生の「ギリシャ人の物語」では、部下の進言を聞いたから、ということになっていますが、これは古代ローマ時代の史料の主流の見解と同じ。ローマ時代の史料が「ローマの創造物」であることを強調する近年の潮流の中、今は傍流の考え方になっているらしい。
大遠征へと大王を駆り立てたのは、ギリシア人特有のポトス(衝動・願望を意味するギリシア語)ではないかと言われています。
中でもマケドニア人は、何よりも名誉を重んじる極めて競争的な世界観を持ち、絶えず誰かと張り合い、抜きん出ようとする強烈な競争意識によるもの。特に父フィリポスへの対抗心は圧倒的で、著者は「父フィリポスの存在なくしてアレクサンドロスの未踏の大征服はあり得なかった」と述べています。
■アレクサンドロスがもたらした文化史的意義
これまでの説では、アレクサンドロスの東方遠征は、ギリシア文化の東方への普及だったのではないか、と言われていました。
ところが近年の研究においては、これは結果論として否定されています。アレクサンドロスの東方遠征は、純粋なる軍事的侵略に過ぎず、上述のギリシア人の持つポトス精神の具現化に過ぎません。
征服した各地に点在する都市「アレクサンドリア」も後方との連絡や兵站の補給線としての軍事拠点の成れの果てというのが定説。
■アレクサンドロスは明君か暴君か
アレクサンドロス大王の評価について「当時のギリシア人の価値観に照れせばポトス精神を大いに発揮した明君」「今の価値観に照らせば残虐なる暴君」となりますが、著者は最近は「暴君」としての立ち位置を強調されすぎているのでは、と批判。
一方、古代ローマ帝国では、カエサルなど各種権力者から「模倣すべき大英雄」として神格化。またローマの修辞学者や哲学者は、現実の権力者の姿をアレクサンドロスに重ね合わせ、ポジティブな側面、ネガティブな側面双方から論じられたといいます。
アラブ世界においては、三世紀のササン朝ペルシアにおいてはアレクサンドロスを悪魔に仕立てることで、アカイメネス朝ペルシャの正当な後継者としての大義名分を創造。
逆にササン朝ペルシャを滅ぼしたイスラム帝国は、英雄・聖人としてアレクサンドロスを世界征服者の原型として理想視しました。
最後に著者は、
歴史は解釈である、としばしば言われるように、歴史家は自らの生きる時代の信条や価値観を過去に投影し、現在の立場姿勢から過去を解釈します。歴史像は時代とともに常に変化し、歴史家それぞれの立場姿勢によって目まぐるし変容を遂げます。
とし、今風のニーチェからポストモダンへと続く、形而上学批判の流れを反映した歴史観。私も同感です。
*写真:2012年 ギリシア共和国 サントリーニ島