中国という専横のリヴァイアサン「自由の命運」より
自由の命運からの知見第8弾。現代中国政治最前線の予習は終了したので、さっそく本題の「自由の命運」著者の中国解釈を紐解く。
結論的には、専横のリヴァイアサン=独裁国家は、中国史を通じて現在の中国共産党に至るまで脈々と続いている、としています。そしてどこまでいっても足枷のないリヴァイアサンには、決して「自由は訪れない」。
著者のあるべき国家像は、「国民が最大限自由に考え行動できる国家」なわけですからネガティブなのは当然です。
個人的には「経済的自由と政治的自由は分けるべき」と考えているので、この2つの視点で整理してみても、著者は双方の自由とも専横のリヴァイアサンでは失敗すると主張しています。
■政治的自由について
著者は、古代中国から民主的な考え方が皆無だったわけではないとしています。
しかしその民主は、どこまでいってももトップダウン型の民主であり、天の法則に則った安定した社会を構築するための手段と捉えているとしています。特に、儒教の一派、荀子の性悪説にルーツをもつ法家の思想にその傾向が色濃く現れています。
彼らの考え方は、人間社会の自然状態をホッブズ同様「闘争の世界」とみているので、法と秩序によって社会を安定すべし、ということになります。以下荀子の言葉は象徴的です。
秦の始皇帝が法家の思想をベースに中国統一したことからも、天から委託された天子=皇帝が、統治することによって天下が安定する、という思想は今に生きる専横のリヴァイアサン、中国共産党に至るまで皆、その根本思想は同じです。
■経済的自由について
鄧小平の改革開放路線以降、中国共産党の経済運営は成功していて、今も積極的にITを取り入れるなど、今後も順調に発展しそうにも思えるのですが、著者は否定的です。
なぜなら「独裁国家ではイノベーションを誘発するしくみが育まれないからだ」としています。
鄧小平以降の経済成長も、歴代王朝のうち経済成長に成功した北宋も初期中期の清も、イノベーションを創出しつつ、科挙などを活用した優秀な官僚制度によって推進されたものの、「仕組み」としては長く継続できないと断言しています。特に現代中国の場合は既存の技術に乗っかって経済成長しているだけで、中共国家自身が新たなイノベーションを起こしていないといいます。
としています。しかし私の考えでは、現時点で「果たして著者のように断言していいものかどうか」とも思っています。
自由社会でなければイノベーションは生まれないとしているのですが、中共の場合は政治体制に関しては自由ではありませんが、経済活動に対しては、現時点までは自由社会以上に自由なように感じます。したがってイノベーションを創出する仕組みは経済的には担保されており、将来的にも新しいイノベーションを起こしていくのではと想定しています。
それよりも問題は習近平政権の今後の動きです。今はアリババなどのIT企業への介入、不動産取引の制限や共同富裕の推進など、徐々に経済統制を強化しています。仮にこのような経済統制が行き過ぎると、危険な兆候ではないかと思います。
ただしこのような政策は、我々自由社会でも、過去には独占禁止法の公正な運用による独占・寡占企業への統制強化、不動産総量規制による不動産価格の安定など、過去におこなってきている政策と同じです。
したがって現時点で中国共産党という専横のリヴァイアサンが支配する中国が、これ以上経済的自由を謳歌できないかどうか、というとその結論を出すのは時期尚早。今後の動向を注視したいと思います。
*写真:中国 上海(2008年撮影)