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ユダヤ人の起源とディアスポラ『物語 ユダヤ人の歴史』より

<概要>

ユダヤ人の歴史について、発祥から各地域におけるユダヤ人社会の状況とその地における同地人との関係性、そして現代に至るユダヤ社会の状況について概観するにはちょうど良いボリュームの著作。

<コメント>

アフリカに引き続き、今年(2024年)の私の勉強テーマは、ユダヤ教&ユダヤ人なので、まずはユダヤ人の歴史をコンパクトにまとめた2003年出版(原書出版1998年)の本書を手に取ってみました。

一神教に関しては、2年前にイスラームから勉強を始めたこともあって、ユダヤ人の苦難の歴史は「言われているほど苦難ではなかった」と思っていました(特にオスマン帝国のイスラーム世界)。

ところが、古代→中世キリスト教圏における苦難の歴史、そしてなんといっても近代のポグロムやホロコーストに至っては、ちょっと想像できないぐらいの悲惨なる苦難の歴史。

これほどツラい歴史を背負いながら「なんでパレスチナでは明確な国際法違反としての一方的な占領政策(入植地の拡大)を強引に推し進めるんだろう」と思ってしまいますが、むしろ苦難の歴史を背負っているからこそ、ではないかと個人的には思っています。

つまり「倫理」よりも「生き残るか、滅びるか」という「存在」を重視する価値観です。

イスラエル自体、1948年建国初年度から究極の四面楚歌状態で、周辺のアラブ諸国(ヨルダン、イラク、シリア、レバノン、エジプト)から戦争を仕掛けられ、抹殺されそうになった国家なわけですから、生き残りをかけた存続のためなら「いまの国際法違反なんて屁でもない」と思っているのでしょう。

▪️歴史学上のユダヤ人の起源

ユダヤ教の神話(旧約聖書)であれば、ユダヤ人の歴史は、神がアダムとエヴァを創造したところから始まるわけですが、本書は歴史学としてのユダヤ人の歴史を扱うので、歴史学上ユダヤ人の起源は「古代イスラエル人から」となります。

彼らはBC1000年ごろ、カナン(今のパレスチナの地域)の地に王国を開きます。この王国はBC587年まで続きますが、ご存じのようにカナンの両サイドには西に古代エジプト、東にはアッシリアバビロニアという大国が存在し、両大国に挟まれる形で存立した古代イスラエル王国は、両者が弱い時にはその間隙をぬって繁栄し、両者のどちらかが強い時は属国的な位置付けで生き延びていったと言われます。

本書18頁

それでは「古代イスラエル人」はどこから来たのか?

歴史学的には、アモリ(アムル)人がその祖先ではないかと言われています。肥沃の三日月地帯に住んでいたアモリ人が民族的にもともと近かったカナンの先住民の言葉と文化を吸収。彼らは農業しつつの半遊牧民で「ハビル」または「アピル」と呼ばれ、この言葉が「ヘブライ人=旧約聖書上のユダヤ人の先祖」の語源となったらしい。

旧約聖書の「出エジプト記」に関して、歴史学的にはBC1720年ごろ、エジプト中王国が弱体化した際にナイルデルタにアモリ人が侵入。BC1650年ごろにヒクソス王朝を建国。この辺りの史実が出エジプト記(=神話)になったのではないか、と言われています。

そして古代エジプト新王国の全盛時代「ラムセス二世(BC1303頃ーBC1213頃)」の時代に、奴隷化したアモリ人はエジプトから脱出し、再びカナンの地に戻ったのではないか、と言われています。さらにナイルデルタに移住せず、カナンの地に残ったアモリ人と合流したその子孫が今のユダヤ人ではないか、というのが、現時点(本書の原書出版年=1998年)の歴史学の仮説。

それでは、カナンの地のパレスチナ人の起源はどうなんでしょう。本書には記述はありませんがWIKIなどのネット上では、イスラームに改宗したユダヤ人(ヘブライ人)やサマリア人ではないか、と言われているので、遺伝的には一部ユダヤ人もパレスチナ人も同じルーツ、ということかもしれません。

ちなみに同時代に活躍したペリシテ人は「パレスチナ」の語源ではあるものの、すでに散逸しており、現代パレスチナ人とはなんの関係もないようです。

▪️ユダヤ人のディアスポラの起源

そもそもユダヤ人ユダヤ教徒としてのアイデンティティの拠り所は「何」にあるのでしょう。それは血縁でも言語でもなく、バビロニアのユダヤ人社会の指導者たちが編み出したトーラー(=律法。旧約聖書の最初の5冊)にあるといいます。

トーラーは、古代イスラエル王国の時代から残された文献をもとに、バビロニアの長老たちが公式の歴史と法律、慣習、宗教的行事を編纂したもので、、宗教的行事に絡めて長老たちが民族的アイデンティティを創造したらしい。

バビロニアは、古代イスラエル王国が分裂して最後に残ったユダ王国もバビロニアに滅ぼされ、ユダ王国の支配層が捕囚された地。

またエジプトのナイル川中洲エレファンティンにユダヤ人傭兵の駐屯地があり、バビロニアと並んで最長のそして最も長く続いたディアスポラ(※)社会だという。

※ディアスポラ(民族離散)
「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、主にパレスチナ(=カナンの地)以外の地に移り住んだユダヤ人およびそのコミュニティのことを指す。

バビロニアのイラクではなんと1951年まで続いたといいますから、なんという長さでしょう。

ちなみにカナンの地にもユダヤ人はそのまま残り、アレクサンドル大王以降のヘレニズム時代(=セレウコス朝)に、ユダヤ文化を維持する派とヘレニズム文化に同化する派に一旦は分かれたものの、アンティオコス四世(在位BC165163)の時代に至ってユダヤ教が徹底的に排除されてしまう。後にユダヤ教はセレウコス朝に再び許されるものの、古代ローマの時代に移りつつ、イエス・キリストの時代を迎えます。

これ以降もディアスポラ社会とは別にパレスチナの地にユダヤ人は止まり、古代ローマ時代はハドリアヌス帝の時代にイスラエル居住禁止令が出された以外は、パレスチナに留まります。

本書72頁

イスラーム世界になっても「ズインミ=異教徒の住む地域」とみなされて移住し続けたらしいので、史実としては、祖国の地をバビロン捕囚によって失ったわけではない、ということです。


以上、次回はイスラーム世界におけるユダヤ人社会について紹介します。

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