大阪の風土:大阪市のエリア分析(上町台地編)
大阪市をエリア分析したところ、下図のようになりました。中沢新一著「大阪アースダイバー」をベースに自分が実際に自転車で巡って実地見聞してきた結果です。
地元の方にとっては当たり前かもしれませんが、大阪非居住者から大阪を把握する場合「こんな感じでイメージするとわかりやすいのでは」と思います。
今回は上町台地について。
■上町台地の先端
以前、本ブログで述べた通り、大阪市のキモは「上町台地」、特にその先端。
上町台地の先端には、坐摩(イカスリ)神社&浪速神社(かつては一つだった)・生國魂(イククニタマ)神社があったように、大隅の宮など、歴代遷宮(大王が変わるつど遷都すること)の一環として複数の都が置かれていたらしいのですが、その後は権力の拠点が時代ごとに明確なカタチで配置されます。時系列的には以下。
①前期難波宮: 652年〜 653年 大化の改新の舞台。686年焼失
②後期難波宮: 726年〜 745年 聖武天皇による遷都(恭仁京より)
(難波宮跡:2021年10月撮影。以下同様)
③石山本願寺:1546年〜1580年 本願寺の前法主蓮如による布教拠点。一向宗の法主蓮如は、摂河泉一帯で布教活動を続けていましたが、法主職を実如に譲って隠居したのち、堺の豪商万代屋(もずや)一族の松田五郎兵衛の協力を得てこの地に大阪御坊を建設。これが後の石山本願寺。石山本願寺を中心とする寺内町が、今の街づくりのルーツ。
③豊臣家 の大坂城:1583年〜1615年、豊臣家の本拠地として君臨
④徳川家 の大坂城:1630年〜1868年、1620年から10年かけて再建
お堀をはじめとした今私たちが体感する大阪城は「徳川家の大坂城」。「豊臣家の大坂城」は、その下に埋もれてしまって痕跡はほとんどなかったのですが、戦後、石垣が徐々に発掘されつつあるようです。ただし街の区割りについては、秀吉によってその大枠が形作られ、江戸時代になってから、のちに大和郡山藩主となった松平忠明が完成させました(詳細は次回「大阪三郷編」で)。
⑤大阪市民の大阪城:1931年〜現在、関一市長の提案と市民の募金により天守閣再建。
■上町台地に密集している神社仏閣
上町台地は、「松屋町筋」という通りが西側の台地の崖下にあたります。そして東に向かってなだらかに傾斜し、桃谷駅までの「玉造筋」が、東側の麓にあたるイメージ。西側の崖沿いに寺社仏閣が集中していますが、これは秀吉から始まり、さらに徳川の世になって、大阪城主だった松平忠明が一向宗の末寺を除く全ての寺院を集め、城の防御の一環とした結果(大阪府の歴史166頁)。
(四天王寺の石の鳥居:神仏習合の名残を残す鳥居で、日本三大鳥居の一つ)
寺が集まったことで墓地も集まり、この結果江戸時代には密やかな恋人たちの溜まり場となって近松門左衛門の心中物(曽根崎心中など)につながっていきます(大阪アースダイバーより)。
(生國魂神社)
京都(一部除く)と違って、大阪は太平洋戦争で大空襲に遭ったため、ほとんどの建物が戦後の建築。この辺りの神社仏閣も多くが戦後の建築です。大阪出身で京都在住の私の知り合いによると、空襲があった大阪含む日本の街、空襲がなかった京都、この違いが今の京都と他の街との文化の違いを作ったのではないか、といってました。つまり戦前までの文化を残せた京都、戦前までの文化が喪失してしまった京都以外の近代化日本、という違い。堺市の今の街並みをみると特に実感できますが、これはなかなか興味深い見解だなあと思いますので、今後別のカタチで展開できれば、と思います。
(玉造の上町台地にある心眼寺:真田丸跡地)
①四天王寺
秀吉が大坂城を築城するずっと前から、更に難波宮よりも前の593年に、上町台地の根元に四天王寺が聖徳太子によって創建。河内&生駒山地を支配していた物部氏の頭領、物部守屋の霊が祟りを起こさぬよう、彼を祀るために建立したのが四天王寺。もともと森ノ宮にありましたが、守屋の血を吸ったキツツキが建物を破壊しっため、今の場所に移転したという。
大阪アースダイバーによれば、こうなりますがこれは「価値の歴史」なのか「事実の歴史」なのか、は不明。別の説では、上町台地に巨大な寺院を創建することで古墳と同様に、他政治権力への国威誇示のためではなかったか、とも言われています。
②生國魂神社(いくたまさん)
大阪一の古い神社として有名ですが、難波の地は、イクシマ・タルシマ(生魂神社)&イカスリ(坐摩神社・浪速神社)の二人の巫女の祭る地で、
もともとこの二つの神社は大坂城の場所にあり、双方とも秀吉によって現地に移転させられたのです。
以上、上町台地は権力と聖地が軸となって大阪の基礎となった台地。今は文化遺産が集中する過去形のエリアになっていますが、江戸時代までは、ここが大阪の核心地だったともいえます。
(玉造の三光神社)
(高津宮:高津の葦舟)
*写真:大阪歴史博物館、難波宮大極殿の復元展示。ここは面白かった!