『交雑する人類』その5:インド編
■支配と被支配の遺伝が連綿と残るインド
インドを語る場合、インドという「国」と、インドという「地域」を分けて考える必要があります。
インドという国は今のインド共和国ですが、インドという地域は、国で表現すればパキスタン・インド・スリランカ・バングラデシュ・ネパール・ブータンあたりのことです。
特にパキスタンとバングラデシュは、イスラム教徒の多いインド地域が戦後に分離独立したわけで、インドそのものです。なので以下はインド地域に関してのこととなります。
本書では、インド地域のことを「南アジア」と呼んでインド共和国と分けています。
インドでは、遺伝学的に大きな特徴があります。つまり支配階級(父系)と被支配階級(母系)の2系統の交雑。
①祖型北インド人(ANI)系
「父系」で遺伝するY染色体DNAの大多数は、西ユーラシア人と密接な関係にあるDNA
*インド人全体の西ユーラシア人関連のDNA混合率は20ー80%
*インド・ヨーロッパ語を話すアーリア人系統
(「再生族」ともいわれ、西ユーラシア圏内コーカサス地方由来)
*カーストの上位階級は、ANI系統のDNA混合率が高い傾向にある
*ANI系の高いDNA混合率は亜大陸北部に多い
②祖型南インド人(ASI)系
「母系」で遺伝するミトコンドリアDNAの大多数はインド亜大陸独特のDNA
*インド人のミトコンドリアDNAは、ほとんどがインド国内に限定
*主にドラヴィダ語を話す先住民(古代東アジア人の子孫?)
*ASI系の高いDNA混合率はインド亜大陸南部に多い
支配階級の遺伝は、支配する側の男が支配される側の女性に子供を産ませやすく、支配される側の男が支配する側の女性の子供を産むことは稀なので、北方系のアーリア人が南方系の先住民を支配した構図がDNAによって明確になっている(詳細は以下)。
そして二つの遺伝系統の交雑は、遺伝学的な調査によっておおよそここ4,000年の間に起こったというから、アーリア人がインド亜大陸にやってきたのは遺伝学的には4,000年前ぐらいということになります。
この頃はちょうどインダス文明が滅んだ後ぐらいなので、西からやってきたアーリア人がインダス文明を滅ぼしたという世界史の出来事は、遺伝学的にも裏付けられた、ということかもしれません。
■ジャーティー単位で同じDNAを共有
『自由の命運』の書評でも紹介した、カースト制度という「社会の檻」は、なんと遺伝学的にもその凄まじさが裏付けられてしまったというのが本書でのインド世界の紹介。
以下、ヒンドゥー教のカースト制度の紹介(再掲載)
約3,000(自由の命運)あるといわれるジャーティーという族集団は、上表のカースト制度のいずれかに属し、数千年に及び、これがDNAでも明確にその区分が分かれているといいます。本書ではジャーティー数を更に多くカウントし、
としています。ジャーティーは基本的にカースト制度(ヴァルナ階層)と連動していますが、地域によってジャーティーごとにその階級が異なっている場合もあるという。
著者は、ジャーティーごとの遺伝パターンにどの程度の一致があるか調査。この結果、ヨーロッパ人と比較してジャーティーごとに3倍も違っていたのです。つまりそれだけ他ジャーティーとの交雑は少ないということ。
更に深掘りして、では一体このジャーティー間の違いが生まれたのは、いつ頃だろうかと調べると、おおよそ3,000ー2,000年前の間に起こったと遺伝的調査(=人口ボトルネック調査)で判明。
地理的に全く隔絶されていない隣同士に住む人たちの間でこれほど交雑がなかったというのは、それだけ彼ら彼女らが、2,000年以上族内婚を厳格に守ってきた証拠な訳ですから驚き以外の何者でもありません。
更に興味深いのは、著者自身が族内婚を厳格に守ってきたアシュケナージ系ユダヤ人の1人なので、このヒンドゥー教徒の気持ちはよくわかるというのです。
以上、インドは巨大な地域ですが、インド共和国の80%以上を占めるヒンドゥー教徒たちの集団を称して、著者が「実はインドは多数の小さな集団で構成された国なのだ」というのも、ジャーティーアイデンティティーが2,000年以上続く特異な集団のその実態をみればその通りというしかありません。
*写真:仏教国スリランカにおけるヒンドゥー教の寺院(2016年撮影)
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