「アフリカの風土」サッカーとアフリカ『サッカーと独裁者』 読了
<概要>
原書タイトル「アフリカ連合―サッカーでアフリカを読み解く」との通り、アストン・ヴィラ(イングランド・プレミアリーグ)の熱狂的サポーターにして英国新聞「インディペンデント」の特派記者が、紛争地帯含むアフリカ各地の政治情勢をサッカーをキーワードに紹介した2011年出版の著作。
<コメント>
本日2024年2月12日、見事にホスト国のコートジボワールが、アフリカ・ネーションズ・カップ(AFCON)で優勝。
私は一昨日(2024年2月10日)、コートジボワールから帰国しましたが、準決勝での「コートジボワールvsコンゴ民主共和国」の試合をアビジャン郊外で観戦。
その熱狂ぶりは凄まじくコートジボワール全土が爆発してタイヘンなことになっていました。
なので今頃はさらにヒートアップして国中がお祭り騒ぎでしょう。地元に住んでいる方の情報によると明日は急遽祝日になったそうです。
本書は強力なインフルエンサーとしてのサッカーの影響力に関して、コートジボワール含め、アフリカの各国とサッカーの蜜月について書かれた著作。いつも通り、興味深かった点を以下整理。
⒈コートジボワールの内戦はドログバが止めた?
今でも旧宗主国フランスの影響が色濃く残るコートジボワール(フランス語で「象牙海岸」の意)。
公用語はフランス語。通貨も西アフリカフランス語圏8カ国の共通通貨(コートジボワール、セネガル、マリ等8カ国)のセーファーフランでユーロ(かつてはフラン)と固定制の共通通貨。
つまりコートジボワールは、今でもフランスの準属国と言ってもいいくらい、フランスの影響下にあります。
1960年の建国以来、フェリックス・ウブエ・ボワニ大統領が開発独裁方式で、フランスに向いた政策を33年間継続。西アフリカ地域の中でも安定して経済発展したこともあり、ボワニが亡くなるまでに全人口の四分の一は周辺国から移民してきたと言われています(本書199頁)。
そんなコートジボワールの英雄は、サッカー好きなら誰でも知っているディディエ・ドログバ。
コートジボワール国内でも最高・最大級の比類なきスーパースターで、彼は内戦を終結させる決定的仕事をしたといいます。
コートジボワールは、ボワニ大統領の死去によってイスラーム勢力の北部とキリスト教勢力の南部とのコートジボワール版「南北戦争(2002年〜)」を実質収めてしまったのです。
2007年に両者が一応は和平協定に調印したものの、まだ本当に和平が訪れたのかファジーだった状況下。
南北の選手混在のコートジボワール代表のうち、南部出身だったドログバは、戦争が始まって以降一度も北部に足を踏み入れることはなかったのですが、勇気をもってアフリカ最優秀選手のカップを持って北部ブアケの飛行場に降りる。
すると、何千・何万人のファンがドログバを迎えようと駆けつけ、彼の心配は杞憂に。カップを掲げて国民を熱狂させ「北部で次の代表戦をしよう」と提案したのです。
⒉南アフリカにおけるスポーツの政治利用
ネルソン・マンデラ大統領がラグビーを政治利用して白人と黒人の融和を成し遂げようとしたことは、モーガン・フリーマン&マットディモン主役の映画『インビクタス』で有名。
一方で、サッカーの方も国家の融和に活用すべく、FIFAと連携して開催したのが南アフリカワールドカップ。近代国家の象徴たるワールドカップを招致・開催することでナショナルアイデンティティを一気に高揚させ、黒人と白人のさらなる融和を図ろうとしたのです。
かつて南アフリカでは「白人はラグビー、黒人はサッカー」というように、人種によってスポーツも真っ二つに割れていて、それは残念ながら今でもあまり変わらないように感じます(ただしラグビーは黒人比率を一定にするという制限あり)。
実際、今回のAFCONでも私がコートジボワールのヤムスクロで観戦した南アフリカVSカーボベルデでは、南アフリカ代表の先発は黒人のみだったことがそれを象徴しています。しかも南アフリカのサポーターはほぼ黒人でしかも殆どいない。
つまり一部金持ちの黒人がほんの少し応援に来ているだけなのです。私が観戦した試合は準々決勝で非常に重要な試合であるにもかかわらず、です。
つまり、アパルトヘイトは1990年に廃止されましたが、長年染みついた社会規範は、そう簡単に変わるべくもありません。2019年時点でも、貧困層は殆どが黒人(一部混血)で白人はほぼ皆無。一方で富裕層の60%以上は白人で黒人の富裕層は5%程度(下図参照)。
マンデラ大統領の必至の努力により、和解委員会による白人(加害者)と黒人(被害者)の和解や、ラグビー・サッカーなどの政治利用によって「虹の国(多人種共存国家)としてのナショナルアイデンティティ醸成に取り組んで内紛は起きていませんが、その一方で黒人の貧困問題はなかなか解消していません。
⒊なぜアフリカの五輪代表は強く、フル代表は弱いのか?
実は90年代、サッカー界では「これからは必ずアフリカの時代が訪れる」と言われていて、まさに1996年アトランタ五輪でナイジェリアが金メダル、2000年シドニー五輪でカメルーンが金メダル取るなど、五輪代表の活躍が象徴的でその後もナイジェリア代表がメダリストになるなど、そこそこ活躍はするものの、フル代表ではW杯でベスト4まで進めた国は一つもありません(アラブ系のモロッコ除く)。
つまり23歳以下の選手が主体の五輪代表に限っては、アフリカは世界の強豪国となって久しいのです。
それでは、なぜフル代表よりも五輪代表の方が他国代表よりも強いかというと、答えは単純で、特にサハラ砂漠以南のアフリカでは、年齢詐称が当たり前だからです。
なんとかつてナイジェリア代表にしてアヤックスのチャンピオンズリーグ優勝メンバー(1995年)でもあったヌワンコ・カヌでさえ、年齢詐称していたらしいというのですから驚きです。
⒋サブサハラのサッカー強豪国の30〜50%は外国人?
この項は本書からではないですが、今回改めてアフリカ強豪国のメンバー構成をみると、3割ぐらいは実質外国人、というのが面白い。
「実質外国人」というのはどういうことかというと、外国生まれ外国育ちの選手が、親や祖先の出身地を二重国籍として保有しているので、その自分の親や祖先の国、つまり彼らにとっての外国を選択しているということです。
例えば、今回優勝したホスト国のコートジボワール代表の決勝戦先発では30%、同ナイジェリア代表では50%を「実質外国人」が占めます。
生まれ育った場所でないわけだから、その国固有の文化を身につけて育っているわけではありません。フランスで生まれ、フランスで育ったら実質フランス人だし、イギリスでも同様。
対象者は皆二重国籍なので、フル代表をどっちの国にするかの選択しだいなのです。
*写真:コートジボアール アビジャン「フェリックス・ウフェボワニスタジアム」