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「アフリカの風土」を俯瞰する
以下二つの著作を参考にアフリカ大陸全体の風土を俯瞰してみました。
やはり一つの大陸を概観するのは、あまりにも無謀ではありますが、アフリカとっかかりの1発目としてまず全体像を把握したうえで、個別のエリアについて別途整理していきたいと思います。
『アフリカ学への招待』は1986年出版なので、未だ南アフリカがアパルトヘイトで全世界から非難を受けていた時代。前回紹介した『超加速経済アフリカ』の現代史的には、アフリカが最も苦しかった「アフリカの死」の時代(1980年ー2003年)の真っ只中に書かれた著作なので、その当時の雰囲気も疑似体験できる著作でした。
もう一冊は『改訂新版 新書アフリカ史』。アフリカ専門家たちが集まって、アフリカ全体の地理・環境含め、さまざまな時代を時系列的に紹介する一方、一つのテーマに沿って横断的に紹介する場面もあり、新書とはいえ相当なボリュームなので、アフリカを知るにはもってこいな著作でした。
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⒈アフリカ大陸の自然環境
⑴気候区分=植生
一般に気候区分は主に植生によって区分されますが、アフリカ大陸の気候は熱帯雨林の広がる赤道の西海岸を起点に同心円的に気候が区分されています。それでは、なぜ同心円的になのでしょう。
結論的には、アフリカ大陸は、赤道の通る西海岸を起点に東に向かって標高が高くなっていく地形だから、ということです。以下その詳細。
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赤道中心に上昇する気流が熱帯雨林を育み(熱帯収束帯)、さらに南北の回帰線に向かってその上昇した気流が南北緯30度付近で下降して高気圧をもたらし(亜熱帯高圧帯)、乾燥した大地をもたらす、というハドレー循環。
ハドレー循環によって下降した気流は赤道に向かって吹きますが、地球の時点によって北半球は北東から、南半球は南東から赤道に向かって吹きます。これが貿易風。
貿易風は、ハワイであれば太平洋に注ぐ下降気流がたっぷりの湿気を含んでハワイ諸島に衝突するので雨をもたらしますが、アフリカの場合は、そのまま大陸に下降するため、乾燥した気流が吹き曝しとなってサハラ砂漠やナミブ砂漠を生むのです。
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また、アフリカ大陸は、東側に向かって徐々に標高が高くなる形状をしています。西海岸と同じ赤道直下でも東にいくにつれ(標高が上がるにつれ)気温は抑えられ、湿潤サバンナの気候を生みます。
そして大陸の南北先端は、地中海性気候で、南ヨーロッパに近い気候になっていることもあり、ワイン原料となる葡萄の栽培が盛ん。
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基本的に南北の回帰線が23.3度だから回帰線の範囲で地球が太陽に向かって傾いていて、ちょうどその前後に砂漠がある、というのが大雑把な植生の基準。
熱帯雨林を水源とする大河は、ナイル川だけが地中海に注ぎ、ニジェール川は、一旦サハラ砂漠方面に北上するものの、横断することはできずそのまま南下してギニア湾に注ぎます。
一方で大陸中央の水源からは、コンゴ川が西に向かって流れ、同じくギニア湾へ注ぐ、というように、アフリカの3つの大河は、熱帯雨林を水源にするものの、ナイルだけが砂漠のど真ん中を突っ切ることで、世界最古の文明の一つ、エジプト古代文明を誕生させます。
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⑵地形・地質
アフリカ大陸は地球科学的には古い大陸で、氷河による侵食や「中国大陸」や「インド亜大陸」のように大陸の衝突によってできた大陸でもなく、安定した陸塊で約6億年前からほとんど変わっていません。
ちなみに日本列島誕生は、おおよそ3000万年前だから、時系列で比較すると、アフリカ大陸は全く比較対象にもならないぐらい古い地形・土地なのです。
そして大陸の60%以上は海抜600m以上の高原で、海抜200m以下の平地は20%未満。例えば、ケニアなどのある東アフリカ高原は海抜2,000mで常春の快適な気候だし、エチオピア高原に至っては平均3000mの高原で、首都のアジスアベバも熱帯の緯度(北緯9度)にありながら気温が安定した常春の山地気候(ちなみに東京は北緯36度)。
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▪️アフリカ大陸の社会
⑴人種のモザイク「メラノ・アフリカ人種」
世界中にいる、いわゆる黒人は、西欧列強がサブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカのこと)に進出する西暦1500年前後までは、ほぼ全てアフリカ大陸にしかいませんでした。その黒人も、生物学的には様々なタイプに分かれます。
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ちなみに我々モンゴロイドは、寒い地方に長く住んでいたことから、寒さに耐えらるようコーカサイド(白人やインド人)やネグロイド(黒人)と違って顔面の表面積が少ない、つまり凹凸の少ないのっぺりした顔になったと言われています。
黒人には、いわゆるバンツー語系の鼻が横に広くて唇が厚く、お尻が出っ尻で髪が縮毛の身体をイメージしますが、例えばエジプト南部のヌビア人のようにスラットして長身で顔も面長の方もいて多種多様。
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身長も中国人・日本人と同じで、南方系(赤道付近)になればなるほど身長が低い。
またエチオピア人は、バンツー語系とはまったく異なり、赤褐色の肌で毛髪も縮毛ではありません。さらに南アフリカやナミビアのコイサン人は、南部アフリカの先住民ですが、身長が男性でも150cm代と非常に低く、肌も真っ黒く無くて褐色系。
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⑵アフリカの言語
アフリカの言語は、その歴史的背景から現在は「母語」「共通語」「公用語」の三層構造になっています。したがって特にサブサハラのアフリカ人は三つの言葉を話せるトリリンガル、ということになります。
なお、アフリカ東部の巨大な島、マダガスカルは先住民がハワイ同様、台湾先住民発祥なのでオーストロネシア語が残存し、南アフリカでは多くの白人系がオランダ語から派生したアフリカーンズ語を話し言葉にしています。
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①母語(部族語)
近隣社会の中で日常話されている話し言葉です。昔の言葉で言うといわゆる部族語です。
②共通語(国語)
大きく分けると、植民地化以前のアフリカ人のおおよその文化圏を反映しています。主に黒人の大多数を占めるバンツー語系とそのほかエチオピアのアムハラ語、アラビア語。コイサン語系の四つに大きく分かれます。
ⅰ)バンツー語系(東アフリカのスワヒリ語、ナイジェリア北部のハウサ語、コンゴのリンガラ語など)
ⅱ)エチオピア系(アムハラ語)
ⅲ)アラビア系 (アラビア語)
ⅳ)コイサン語
③公用語
サブサハラアフリカに関しては、1850年代から1960年代まで続いた欧州列強植民地時代の影響で欧州語系、北アフリカはイスラームの影響でアラビア語がメイン。
アラビア語 :エジプト含む北アフリカ諸国、スーダン(エジプトツアーのエジプト人ガイドに聞いた所、各国で話されているアラビア語は、ほぼどこでも通じるのですが、モロッコ方言だけは非常にわかりにくい、とのこと。ちなみに一番標準的なアラビア語はエジプト方言だそうです)
フランス語 :セネガル、コートジボワール、カメルーン、コンゴ民主共和国など
英語 :ナイジェリア、ガーナ、エチオピア、ケニア、南アフリカなど
ポルトガル語:アンゴラ、モザンビークなど
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⑶アフリカの生業と文化
こうやってアフリカ大陸を俯瞰すると、どうやら地域的には大きく五つに分かれそうです。具体的には、①イスラーム圏、②エチオピア圏、③西アフリカ圏、④東アフリカ圏、⑤南アフリカ圏。
①イスラーム圏は、サハラ砂漠を囲む形で文化圏を形成。イスラームの教えをベースにした文化圏は、砂漠とも相性が良く、独自の文化圏を形成。
②エチオピア圏は、ヨーロッパやスラブ・ギリシアとは異なった独自のキリスト教を育んだ、他のアフリカ地域とも異なる文化圏を形成。
③西アフリカ圏は、西暦1500年以降のヨーロッパ列強と地元首長の連携に伴う奴隷貿易の影響によって大きくその生業を左右された悲劇的な文化圏。
④東アフリカ圏は「ヒッパロスの風」と言われるモンスーン(季節風)によって文化が育まれた地域。
11月→3月にかけての北東風は、インド・アラビア半島から東アフリカへの航行を容易にし、4月→9月にかけての南西風は、東アフリカからインド・アラビア半島への航行を容易にしたことで、イスラーム&ヒンドゥーの影響を受けた文化圏を形成。
同時にビクトリア湖周辺の大湖水地方は、ナイル川を通してやってきた文化が影響。
⑤南アフリカ圏は、先住のコイサン人が狩猟採集を内陸で営んでいたものの、ほとんどの現地人はコイサン人を追いやったバンツー系諸民族。1500年以降にポルトガルおよびオランダ、イギリスの植民地化の影響を大きく受けつつも、豊富な鉱物資源を有するエリアということもあり、経済的には恵まれた地域。
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以上、本当に大雑把に整理しましたが、次回以降は、それぞれのエリアごとに16世紀のヨーロッパ侵食以前、つまりアフリカ人独自の歴史から、成長著しい昨今のアフリカ事情に至るまで、その詳細を探っていきたいと思います。
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*写真:ザンベジ川クルーズにてアフリカ象(2009年撮影)