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発展途上国のスタンダード:張り子のリヴァイアサン

引き続き「自由の命運」より。

以下長くなりますが、マスメディアではあまり取り上げられない、でもここに記録せざるをえない、日本人には想像すらできない世界がありますので、惜しみなく以下紹介します。

■張り子のリヴァイアサン

「自由の命運(下)」より、張り子のリバイアサンとは、アルゼンチンやコロンビアなどの南米やアフリカなどの発展途上国に一般にみられる、見かけは立派ですが、ごく基本的な能力しか持たない「見せかけだけの国家」のこと。「自由の命運」で紹介されている数あるリヴァイアサンの中でも発展途上国のスタンダードな姿が、この「張り子のリヴァイアサン」ではないかと思います。

個人的にアルゼンチン含む南米は未体験ではあるものの、メキシコ、南部アフリカ諸国やカンボジア、ネパールなどの発展途上国を観光すると日本人の常識では想像すらできない「張り子のリヴァイアサン」に出会います。

 以前紹介した中央アジアのカザフスタンも同じ「張り子のリヴァイアサン」ですが、

張り子のリヴァイアサンほど厄介なものはないように感じます。政府がまともに機能していないので、時の権力者含め官僚(や公務員)はやりたい放題。完全なガバナンス欠如&法の支配無視。それでは本書で紹介された張り子のリヴァイアサンとは、どんなリヴァイアサンなのか、各国の事例を追っています。 

■アルゼンチンの事例

<国家を待つ人々>

アルゼンチン人は、行政が応対してくれるかどうか、ひたすら待つ人々。それでもアルゼンチンのリヴァイアサンは、しっかり存在しています。

精緻な法律を持ち、大規模な軍隊を持ち、たとえ官僚は任務を果たすことに無関心にみえたとしても官僚機構を持ち、地方はずっと機能が劣るにせよとくに首都のブエノスアイレスではある程度機能しているよう

自由の命運(下)第11章張り子のリヴァイアサン

として見た目は真っ当な国家。しかし全く機能しないのが張り子のリヴァイアサン。行政手続きはたらい回しで一向に進まない、法の執行もできない、軍隊もまともにコントロールできない、というリヴァイアサン。

<鉄の檻の中のニョッキ>

これはおもしろい。ニョッキとは幽霊公務員のこと。政治権力者の血縁・地縁のコネで就職した公務員がたくさんいて、でも全く勤務実績がない公務員のことをアルゼンチンでは「ニョッキ」というそうです。

ニョッキは、ご存知のようにイタリア料理の団子状のパスタで、イタリア移民がアルゼンチンに持ち込んだアルゼンチンでは定番の食材。アルゼンチンでは毎月給料日の29日にニョッキを食べる習慣があるため、29日の給料日しか出勤しない公務員のことを皮肉を込めて「ニョッキ」と呼んだわけです。

アルゼンチンには膨大な数のニョッキがいるらしく、2015年に就任したマクリ大統領は、当時前政権によって雇用された2万人!!のニョッキを解雇したといいます。

<信用できない統計データ>

行政が機能していない一例として統計データ作成の事例も紹介。2011年、アルゼンチンは物価水準と国民所得に関する正確なデータを提供していないとしてIMF(国際通貨基金)から加盟国として「初めて」非難決議を受け、英国エコノミスト誌は、アルゼンチンの発表するデータを「全く信用できない」として掲載するのをやめてしまいました。 

これはアルゼンチンだけでなく、発展途上国のデータが怪しいというのは、一般的なことかもしれません。 

■コロンビアの事例

<道路のための場所がない>

コロンビア国家は、近代国家の根本的なインフラの一つともいえる道路の建設に全く関心がないらしく、今も多くの県都が、空路または河川でしか他の地域と結ばれていないといいます。日本含め一般に近代以前の時代では河川や海などの水運が物流の主ルートでしたが、近代以降は鉄道や道路などの陸運が主流。にもかかわらず、国家に全く道路建設の意志がないというのは、一体どういうことでしょう。

1900年初頭に道路建設は、先住民の強制労働によって取り組んだものの、メンテナンスができずに崩壊。「メンテナンスができない」というのは箱だけ作って機能しない張り子のリヴァイアサン国家の典型ではないかと思います。

ボツワナの幹道ですが、アスファルトの欠損は当たり前(2009年撮影)

<タキシードを着たオランウータン>

アルゼンチン同様、コロンビアにもニョッキがウヨウヨで、2013年の時点で一部の省庁では職員の60%が「臨時職員」で、恐らく縁故を通じての採用。

2008年に首都ボゴタの市長に当選したモレノ市長はボゴタの「影の政府」を作り、兄のイバンに任せて市の全ての請負契約の配分を一手に背負わせました。そして賄賂の相場は契約金額の50%に上ることもザラだったという。まさに張り子のリヴァイアサンならではの行政の私物化。国家レベルでも同様に、政治エリートは日常的に予算を着服。機会さえあれば土地さえも巻き上げるらしい。

法律事務所ブリガード・カスティーリャ曰く

法律は解釈されるためにあるんです。この国では何事も単純に白か黒かでは分けられませんよ」

同上

以下のエピソードはもっと強力、というか絶望的。

アルバロ・ウリエは大統領に選ばれた2002年、左翼ゲリラとの闘いを強化することを使命に掲げ、軍にいくつかの強力なインセンティブを導入した。その一つがゲリラを殺しその死体を提示したものに、報奨金や休日を与えるというものだ。その結果、軍の兵士は三千人もの一般市民を殺してから、ゲリラに仕立て上げたのである。

同上

こんな事、我々日本人には想像すらできません。たった20年前の話です。コロンビアの政治家ダリオ・エチャンディアは自国の民主主義を「タキシードを着たオランウータン」と称して嘆いたそう。

タキシードは有能な官僚機構を持つ秩序正しい国家という、外面を指している。ただしその外面は、時に国を略奪するために栄養され、実態は往々にして混乱している。オランウータンは、張り子のリヴァイアサンが管理できず、管理しようともしないすべてのものを指している。

同上

ここまでは、ラテンアメリカに見られる絶望的なその実態を紹介しましたが、著者によればなぜこのようなリヴァイアサンが跋扈したかといえば、スペインからの征服者(「クレオール」という)が政治エリートとして固定化したからではないかとしています。先住民や先住民の女性が産んだ混血者、そしてアフリカから連行された黒人たちは永遠の被支配層となって固定化し、政治エリートたるスペイン出身者が子々孫々に渡って国家を私物化するという構図。

血縁に基づく階層の固定化は、現代の発展途上国含め、日本含む古代・中世・近世に至る主要国家のスタンダード。

【リベリアの事例】

アフリカにリベリアという小国が大西洋側にあります。1822年にアメリカの黒人奴隷がアフリカに戻って建設したという建国のエピソードはいっけん感動的ですが、その実態は悲惨です。

南米のクレオールよろしく、リベリアを支配したのは、アメリカから移住してきた奴隷の子孫「アメリコ=ライベリアン(人口の5%)」。そして支配されたのは従来からリベリアに住んでいる先住民(人口の95%)。1847年に独立以降、アメリコ=ライベリアンは1980年までリベリアを支配。

アメリコ=ライベリアンは、自分達がアメリカで奴隷だった支配と被支配の構図をそのままリベリアに持ち込み、先住民たちを奴隷としてプランテーションで使役しつつ、政治エリートとして国家権力や高級官僚は全て血縁者で固定。少数派の彼らは、先住民の社会的動員による転覆を恐れ、民主的な制度は未採用のまま。

本書では言及されていませんが、先住民によるクーデターを契機とした27万人という大量の犠牲者を生んでしまった二度の内戦を経て以降、ノーベル平和賞を受賞した女性指導者サーリーフ大統領が就任。その後、今はACミランで活躍したアフリカのフットボールレジェンドにてバロンドール受賞者でもある、ジョージ・ウエアが大統領となりましたが、

2018年には中央銀行に納入されるはずだった、国民所得の約5%にあたる1億400万米ドル相当の新札が首都モンロヴィアの港のコンテナから忽然と消えた。

同上

との本書記述をみると、リベリア国家のハリボテ的性質は未だ健在のようです。

■なぜ張り子のリヴァイアサンが産まれてしまうのか

なぜ張り子のリヴァイアサンが産まれてしまったかというと、

①西欧列強の植民地以前の近代国家の基盤となる文化・文明の未熟さ

②西欧列強の植民地支配による影響

が大きいように感じます。

植民地支配から脱却した新興国家は、植民地支配の結果としての間接統治者、つまり少数派の現地支配層(中南米は白人移民層=クレオール、南部アフリカは一部先住民及び南ア・ジンバブエの白人支配層)が、そのまま国家権力にすり替わりますが、国家権力が頑張り過ぎてしまうと支配される側の社会もこれに対抗して力を発揮しようとする、著者のいう「動員効果」を既存支配層が恐れ、多数派の被支配層(=社会)を抑え込んでしまう。

社会が立ち上がってしまえば、エリートが国家の支配から利益を得、社会の資源を略奪することが難しくなってしまいます。さらに悲惨なのは本書で紹介しているガーナの事例もそうですが、独立の単位となった植民地の区画は西欧列強同士のせめぎ合いの結果として生まれた偶然の産物なので、ナショナルアイデンティティの根拠たりうる民族や文化などとの整合性が全くありませんし、(中国やインドのように)そもそも侵略される前から国家としての経験もありません。

したがって、国家単位のボトムアップ的な社会運動も起きにくく、現地支配者の私物と化したリヴァイアサンが長期間のさばってしまうのです。

また張り子のリバイアサンが蝕んだのは、政治的自由だけではありません。経済的繁栄にも壊滅的な影響を及ぼしました。経済成長を促すためには、良好な治安や法の支配、公正な官僚組織による公共サービスという土台が不可欠ですが、これまでみてきたようにそんなものは、ありません。

それでも、ベストセラーのファクトフルネスを読めば、貧困率も格差問題も発展途上国全般をみれば大幅に改善しつつあり、著者がいうほど悲惨な状況が長く続くことはないのでは、とも思います。

*写真:ボツワナ共和国 ザンベジ川にて(2009年撮影)

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