『西国巡礼の寺』五来重著 読了
<概要>
西国三十三所巡礼の主要な霊場を紹介しつつ、著者五来重の宗教民俗学的視点からの霊場への独自かつ新たな解釈を見出した著作。
<コメント>
10月に京都府をフィールドワークするにあたり、お寺に関する情報を深掘りするため、敬愛する宗教民俗学者、五来重による本書『西国三十三所の寺」を通読。
▪️西国三十三所巡礼とは
上のホームページによれば、718年、奈良にある長谷寺の開山徳道上人が仮死状態の時に、閻魔大王が現れて世の中の悩み苦しむ人々を救うために三十三の観音霊場を開き、観音菩薩の慈悲の心に触れる巡礼を勧めなさい、として徳道上人に対して、起請文と三十三の宝印(※)を授けた所から始まります。
そして270年後に、花山天皇によって再興されたのが西国三十三ヶ所巡礼。
著者、五来重によれば「三十三」というのは、徳道上人の十一面観音の信仰から始まったとされるので、この十一を三倍したところから来たのではないかと推測。もともと十一というのはインドでは聖なる数で十二進法の十二の前の数字ということから(なぜ一二の前が特別な数字なのか?は不明)。
▪️「めぐる」という信仰
「めぐる」という信仰は、世界中にあり、有名なのは、スペインガリシア地方にあるキリスト教の聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼であり、イスラエルのエルサレムへの巡礼であり、イスラームのメッカへの巡礼。
日本にも熊野三山への巡礼、お伊勢参りが有名。
このように「めぐる」という行為そのものが信仰なのですが、日本の場合は、「めぐる」目的は、贖罪の為。たとえば日本の信仰の始まりは、伊弉諾・伊弉冉尊が天の御柱をめぐったという話。
基本的に巡礼・遍路のお寺には、百度石があって、寺に着いたら百度石をめぐって、宝印を押印してもらうのは、正式なお参りのカタチらしいのですが、著者的には人それぞれでいいといいます。
いずれにしても「めぐる」という行為自体が自分が過去に侵してきた罪を「めぐる」という厳しい修行によって償われる、というわけで、だからこそ、宝印は天国へのパスポートとなるのでしょう。
個人的には、ウォーキングでもサイクリングでも長時間歩いて走ってキツい行為=苦行すると、爽快な気持ちになって自分の心の中のモヤモヤみたいなものがなくなってスッキリする、という感覚。
これが贖罪と言われれば、なんとなくキツいことして悩みが吹き飛んで、という実体験があって、わかるような気はします。
著者的には、
だし、
とのことで、やはり昔の人は「苦行すること=償うこと」として捉えられていたのかもしれません。その一環として巡礼があるということです。
つまり「信仰というのは、罪を償う行為」で、その一つが巡礼なのです。
そして罪を償わないと、どんな末路が待っているのか?それは死後に地獄に落ちる、ということです。
「罪を償うこと」に加え「善行を積むこと」、これが信仰であって、その先には、その報酬としての現世利益や来世利益がある、
というのがおおよその宗教の物語ですね。
*写真:西国三十三所 第七番 岡寺(2021年6月撮影)