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「地域学入門」山下祐介著 書評

<概要>

西洋近代化によって希薄になった「地域」の生活環境や社会、歴史や文化などをよりよく知ることで、私たち自身を知り、私たち自身を高めることができると提言した書。

<コメント>

「その土地の地理や歴史が大きく人間の価値観に影響しているのでは」という問題意識から風土に関する著作を読み進めていますが、本書は社会学としての風土論=地域学についての入門書。

わたし的には風土論を展開するため、今年5月に半月ほど奈良県に滞在し、奈良県を対象に勉強して感じたのは、歴史的にはとても意味があるものの、現代においてはあまり意味がないかもということ。

というのも日本の場合は近代以降「列島の標準化」が深く浸透しており「現代」においては、空間軸は「首都圏ー地方」という区分で十分で、それほど地域によって日本人の価値観が変わるような大きな違いはないと感じたから。

むしろ現代は「雇用(小熊英二による分類:大企業型(カイシャ)・地元型(ムラ)・残余型(カイシャ・ムラ以外)」の3類型)」「経済(貧富の差)」「政治信条(三浦瑠麗の事例など)」「世代間」「趣味嗜好」などによって価値観が変わっているように感じます。この辺りはもうちょっと勉強して適当な分類の軸をみつけられたら、と思います。

なお、著者の「地域本位主義」的視点にはあまり賛同できません。例えば著者が、憲法で謳う「人別の平等」を「地域別の平等が平等だ」として「一票の格差是正に反対」しているなどです(もし著者の論理でいえば、若者に2票与えて高齢者に0.5票というような平均余命年数に合わせて世代間の格差も是正すべきかもしれません。貧富の差による一票の格差も同じ。でもこれはいろいろな切り口があってキリがない)。

■歴史地域学の7つの区分

とはいえ、現代に至る歴史的な考察の一環として地域学を活用するのは面白いと思います。その中で地域の性格を区分すると「いえ」「むら」「くに」「みやこ」「いち」「まち」「みち」に区分可能。主な代表例は以下。

【いえ】生活に根を張った信仰の場につどう社会集団。共同で火を使い、祀る場所が「いえ」。血縁の枠を越えた社会共同の最小単位。日本のいえ制度は、実は血縁がメインではありません。共同体としての最小単位なので血縁に関係ないメンバーも養子縁組や奉公人の形で日常化(詳細は以下)。

【むら】行政区分上の村ではなく、集落という意味。群れ(ムレ)からくる安定した定住集団のこと。宗教的には先祖の氏子と、その土地の産土の双方を神として祀るのが一般的。漁労や農業を生業としたイエの集まり。

【まち】商業や工業を生業とした町人や、江戸時代以降は武士、明治以降なら企業や公的機関の従業員たちのイエの集まり。むらと同じように行政も宗教も一つの生活圏として機能。

【くに】「くに」は、「く」も「に」も、豊穣な大地が生命を生みだし、また私たち人間自身もそこから生み出されてくる、そんな生命の起点のようなものを指す言葉だとされる。何かが生まれ出る土地かが生まれる土地。

→著者は日本的経営のメンバーシップ型企業をイエの延長としましたが、むしろもっと大きな単位としての「むら」の方がしっくりきます。ただし社会学者小熊英二「日本社会のしくみ:第4章」によれば、明治期の軍隊や官庁の制度が「終身雇用・年功序列・企業別組合」を特徴とする日本的経営のルーツだとしてこり、両説を比較するに小熊氏の方が、説得力があるように思います。

■生活圏は、文明化に応じて広域化する

マット・リドレーが「繁栄」の中で主張していたように「分業(=専業化)と交換」で文明は発展していきますが、分業と交換が進むと生活圏としての対象地域はどんどん拡大していきますが、日本も以下の通り、リドレーと同様の著者見解。

【中世:室町時代:集落で完結する自給自足】
生活に必要な「土地」「水」「食糧」「燃料」が自己完結した集落が生活圏。本書では、青森県津軽郡船沢村の「折笠」という集落を事例に取り上げられ、中世以前の集落は、集落単位で自給自足が完結しているといいます。水源があり、水源からひかれたた農業用水によってが田畠が営まれ、山には肥料や馬の飼料となる秣場はじめ、薪や山菜類・キノコが供給されていました。

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(本書:1生命の章より)

ただし、石器や土器の調達については集落外から。また血縁的には近隣集落との婚姻によって雑種化され、遺伝的健康は保たれていますが、生活圏としての集落は自己完結。

【近世:江戸時代:自給自足できない集落の出現】
中世の自己完結型集落に加え、必要な資源が全て揃わない分業化前提の集落が新たに登場。江戸時代以降の集落は中世よりも分業化が進み、集落だけでは生活資源が賄えない集落が出現(=分業化によって集落ごとの役割分担が可能になり生産性向上)。江戸時代は田園開発が盛んになり、稲作専業の集落が各地に多数誕生。「○○新田」という地名が今でも残っていますが、田んぼに特化した集落なので飲料水・食料・燃料などの不足が生じやすく他地域との交換で充足。同時に地域間格差が生じ、近代化による平準化が進むまで地域による経済的格差が残存。

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(同上)

【近現代:分業と交換が世界規模に】
近現代は、世界各地から食糧やエネルギーを調達し、水源もダムが建設されて遠隔の川から浄水場経由で調達するなど、農工業生産や交通機関=物流網の革命的な発展によって、分業と交換が地球規模で広域化して地域は希薄化。著者は「生命を支える仕掛けが巨大化した」と表現。はなし言葉の標準化(※)とマスメディアの普及もあって各種文化も地域の単位が「国家単位」に拡大。

※はなし言葉の標準化=「はなし言葉」は明治政府が「江戸の武家言葉」をモデルに標準語を規定。英語・スペイン語などでグローバル化しませんでしたが、地方間では全く通じなかったレベルでの極端な方言は壊滅状況(詳細は以下参照)。

■「村」の人口余剰を吸収する「都市」の機能

村は基本的に人口過剰な社会。一般に近代化以前の人口ピラミッドは、多産多死なので年齢が上がるにつれて徐々に人口が減っていく社会で寿命を全うできる人はごく少数。下表の大正時代をもみても20代まで生き残れるのは子供の半数。つまり子供が常に圧倒的に多く、彼ら彼女らは物心ついて以降は育児や農作業の労働力として使われ、大人まで生き残ったとしても女性や次男・三男以降は皆、村を出ざるを得ず都市に向かいます(今でも最貧国に行くと実感可能)。

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(本書:第2章 社会の章より)

一方で都市は常に人口不足。その理由は著者は言及していません(近代化要因は後述)。都市は農村の余剰人口を吸収し続けることでその人口規模が維持されていました。

■少子化対策には地域の再生が必要

日本の抱える最も大きな問題は少子化だとして、その少子化の原因は地域の衰退であり、

地域学は、こうしたいまの日本社会が進みつつある方向に抗して、地域を見直し、新たな国家とのハイブリッドとして再生させていこうという運動(Ⅳ変容の章)

との主張。

少子化の原因は、地方から都市へと向かう若者の流れが近代化によって過剰になり、地方に残るべき若者さえも都市に向かったことで、人口供給源としての地方の機能が壊れたから。一方で人口が流入する都市はこれまで同様人口消費社会のままだったから、だとしています。また近代化によって誕生した都市郊外も地域力が低く世代の分離もあって、無償で育児できる環境が貧弱な点も大きいといいます。

したがって個人と国家を直結させるのではなく「地域」を経由させることで少子化も解消される、という。

■地域の衰退は、近代化による農業生産性向上とグローバル化による工場移転

(私の意見)
過剰に地域から若者が都市に向かったのは、近代化によって農業生産性が劇的に向上しつつグローバル化によって農業雇用が激減した結果。江戸時代以前のように地域(農村)にたくさんの人が必要でなくなったからです。

戦後1980年代までは地方工場新設によって多少地域に雇用は生まれたものの1985年プラザ合意後の円高によって工場は一部海外移転して、ますます地方雇用は減少。

個人的に地域ごとの就業者数(全人口の約半分)を国勢調査2015年版でチェックしていますが、農林水産業従事者は圧倒的に少ない(全国平均シェアでは全人口の2.5%)。例えば江戸時代は人口の80%以上が農業就業者だったのですが、今は農林水産業者が各段に多い石川県輪島市でもせいぜい6.8%。

かといってフランス文学者「内田樹」や経済学者「宇沢弘文」がいうように農業人口を20-30%にするというのは非現実的で、これをどうしてもやりたいなら独裁的な国家によって(職業選択含む)経済を統制するしかありません。

なので消費者が飛びつくような需要を地方に生み出すためには、女性雇用(※)が多い観光業しかないのではないでしょうか(ちなみに日光市の宿泊飲食業シェアは7%)。ただ観光業によって地方が再生したとしても、著者主張の都市に若者を供給するような状況は今後ありえず、少子化にはフランスやスウェーデンのような対策を考えるべきかもしれません。

※女性雇用:地方の若者が都会に流出してしまうのは特に女性の流出が多いから。働き口としてのサービス業が地方に少なく、観光業は女性雇用を生み出す希少な業種。観光業推進は女性の雇用をうみ、結果として地方の出生率も向上するという一石二鳥の策。

内閣府によると、フランスやスウェーデンで少子化対策に成功したのは、各種公的支援の充実と女性就労に関する意識変化などの価値観の変化に加え、地域のしがらみや伝統的な婚姻制度や宗教などの問題から個人を解放し、多様性のある家族のあり方(結婚に準じたパートナーとの関係制度の法的整備)を許容したから。

日本も(明治時代以降の)伝統的家族制度にこだわらず、フランスやスウェーデンを見習って公的支援制度を充実させないと少子化は加速し続けるでしょう。

*写真:2020年10月 奥日光

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