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子供は大人より現実をありのまま受け取るセンサーのような生き物である(日馬富士の浴衣地マスクからの一考)

我が家は家族全員花粉症で、特に母は1970年代のオイルショック経験世代主婦だから、必要以上に(スペースも無いのに)家にストックを置いておこうとする癖が今だに抜けず、それが幸いして何とか騙し騙し昨年の不織布マスクで凌いでいくことができた。しかも私はほぼ失職状態となったし、花粉にまみれてそれを家に持ち込む外出仕事から解放されて(←というと大いに語弊があるけれど)自宅に引きこもっていれば良いから、その分マスクをどうしても通勤が必要な他の家族に回すことができた。

が、さすがにアベノマスク配布の話が出た時期あたりから我が家のマスクストック事情も危うくなったので、家にある使えそうな布類を引っ張り出して布マスクを作ることにした。ミシンが苦手なのでチクチク手縫いで。

そこで、大切にしていた、あの角界を去った第70代横綱日馬富士の浴衣地の端切れのことを急に思い出し、切り刻むのも辛かったが手縫いのマスクを2枚作った。自分の気分を上げるためにも、日馬富士が必要だった。

ピンクの地に、日馬富士のお子さん達が描いた絵が散りばめられている、何とも温かい雰囲気に溢れた浴衣地。

平均体重160kg超えの角界の中にありながら130kg台という軽量の中、全勝優勝連続2回でついに綱を掴み取り、誰も想像できないような重圧の中で日々ケガとも闘っていた、それこそ命をかけた一番一番を魅せてくれていた日馬富士が私は誰よりも好きだったし、今でも大好きだ。故国モンゴルへの恩返しに教育活動に邁進している彼の、人生に対する真摯な姿勢は、今でも変わっていない。大相撲観戦歴はたかだか12年だが(それでも10年経ってしまったのか)、日馬富士ほど私にとって大切なお相撲さんは居ない。心が優しく素直で繊細で、鋭い感性の持ち主だったからこそ、日本の角界の慣例に(兄貴分の朝青龍スタイルにも一時期)素直に染まり、さらには正義感ゆえに社会通念で「暴力者」と呼ばれる危険人物認定され、角界を去ることになってしまった。地位上やむを得ないことだが、本当のファンはその行為に至るまでの過程に何があったのかを当時からうすうす感じ取っていたのだと思う。だから胸が潰れそうになりながらも、彼のことはずっと信じていた。その勘は最終的には正しかった。両国国技館で開催された彼の断髪式やパーティーの温かい雰囲気を見れば、それは一目瞭然だった。

普通に燃え尽きて引退し、親方となった日馬富士の姿が見たかった。小兵ゆえの洞察力が光る大相撲中継解説が聞きたかった。それを奪われてしまったことに対しては、あの一件を思い出すと気持ちのやりどころがなくなるのだが、結果的には彼がもっと大きな使命を持って生まれてきた人物だったから角界を去るべくして去ったのだと確信するに至った。

ご両親の素晴らしい教育もあり、自らの才能で運を引き寄せ、血を吐くような(というより実際に吐いていたと思う)努力で地位を掴み取り、日本との太いパイプを作ったことで、今の日馬富士がある。そんな日馬富士を手放してしまったのが日本の現状なのだと理解している。日本にいては勿体ない逸材なのだ。それに誰でも、自分を育ててくれた故国のために貢献できれば、それが一番良いことだと思う。故国への恩返しが回り回って世界平和にも繋がっていくものなのだから。

だから、日馬富士にとっては故国モンゴルに加え、日本もまた自分を育ててくれた故国なのである。日馬富士が日本に来てくれて、大相撲の奥深さや人間の可能性の大きさを教えてくれたことに、私は感謝しかない。

日馬富士(はるまふじ)という不思議な当て字の四股名は、綱をはる(張る)・はる(春)が来る・太陽(日)のような、という意味が込められて付けられたものだ。とても良い四股名をもらった関脇安馬は、大関日馬富士から横綱日馬富士へと苦労しながらも少しづつ階段を上がっていった。日馬富士スタイルの不知火型土俵入りは魂が宿り、神々しかった。信心深い彼らしい神様への感謝が、丁寧な所作の中にいつも溢れ出ていた。

話が思い切り逸れたが、ピンクのマスク。友人が「ハルマスク」と命名してくれた(笑)

何が言いたかったかというと、誰がなんと言おうがマスコミが叩きまくった日馬富士は、お子さんたちにとっては誰よりも大好きなパパなのだ、ということ。それが浴衣地のイラストにも全面に溢れ出ているではないか。着流し姿のお父さんとお母さん(?)が並んで立っているイラストの微笑ましさ。一生懸命書いたパパの難しい四股名。ギリギリの精神状況で闘い続ける彼にとって、ホッとする家族の存在はかけがいのないものだった。

ただ、家族には優しくても外では平気で人を殺す時代に私たちは生きている、ということも併せて忘れてはならない。それが人類の歴史でもあることを。そしてその逆も然り、ということを。

子供はちゃんと見ている。大人はそれを忘れてはならない。今、訳の分からない大騒ぎで日本や世界を混乱に陥れている大人たちは、もう一度自分の胸にしっかりと手を当てて、どこで何を間違えたのかをとことんまで問い直してみたらどうだろうか。もう暴走したからそのまま行き着くところまで行くだけだ、なんてやっていたら、人類は本当に滅んでしまうところまで突き進んでしまう。

自然と切り離された思考回路だけで世界を作っていっては、社会に亀裂ばかりが生じる。もはや崩壊寸前と言っていい。もちろん、完全に子供に返れという話ではない。ダダを捏ねていいとかそんな低レベルな話はしていない。

大人は生まれてくる子供たちに対し、大いなる責任を負っているということ。それがますます増大しているという事実を、我々一人一人、決して忘れてはならない。

あ、万一このマスクを見かけたらそれは私です(笑)バレバレも良いところなので勝負マスクにします(笑)

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