旅の記録−2(仮)

 船は支障なく港に着き、投錨し、すでに荷物の運び込みが始まっている。
 大勢の人に歓声と共に迎えられオルトスは目を丸くした。
「世廻り丸が帰ってきたぞー!」「おかえりなさい、世廻り丸!」「冬想祭に間に合ってよかった!」「頼んだぞリッペン 、氣をつけてなーあー言ってる側から!」
 船員を出迎えた家族と抱き合ったり、品を待っていた商人は帳簿にサインをしていたり、港で働く従業員が警備をしたり砕かれた氷を運んだり、見物に来たであろう者などで賑わっている。癒されたモンスターの姿も少なからず確認できた。
 この港町アズレトでは海面に沿って建物が続いていた。造船所や工廠、宿に食料の備蓄庫、商品輸送の仲介所、医療所など、航海に必要なものは全て揃っているとされている。緑や赤の華やかな飾り付けが其処彼処に見える。町の中心地から奥へ向かうと倉庫街があり、そこから四方へ道が長く伸びており、各都市へと繋がっている。
 オルトスが甲板から降りようとしたその時、背後から足音が軽やかに近づいてきた。
「オルトス君!」
 振り向くと金髪のショートヘアに円筒形の帽子と猟銃が目に入った。視線を下せば碧眼が彼を見ていた。
「ベリンダ、ここでお別れだね、色々とありがとう」
「ふふっ、如何いたしまして。今日の占いの結果、聞きたい?」
 彼女は航海中、幾度かココアを用いた占いを提供していた。と言っても、
「君の占いは当たった試しがないからなぁ」と不評であった。
「ええっ、ひっどい。そう言う事はっきり言っちゃうんだ!」
「氣に触ったかい? でも最初はドキドキしたよ、それに美味しかった」
「ううん、許す! だって私自身でその時の氣分で決めてるんだから」
「あはは、やっぱりそうだったんだ、ってそれって占いって言うのかい?」
「的中率あげたいんだけどね〜、誰かさんの為にも」
「誰かさん?」
「うん、そ」
 ちょいちょいとオルトスの裾を掴んで引っ張る彼女と共にタラップを下る。
「船長は、あそこでしょー、そんで……」
 キョロキョロと辺りを見回すが、オルトスは数人を連れて船体の損傷を確認しているフロージアの姿を見つけた。
 ふと、ガン、ガンと金属がぶつかるような重い音が立っていることに氣付き、音の方向へ目を向ける。ベリンダもまた、その音に手がかりがあるようで音のする方へ歩き出す。
「あ、いたいた」
 そこにいたのは斧で海氷を割る少女の姿。そして火炎魔法で砕かれた氷を溶かしている杖を持った男の姿だった。
 音の正体は、不凍港のないこの国で船を無事に帰港させる為に行われる、整港業によるものだった。
 少女の方は、栗色の髪に胸元に青いリボン、黄色を基調とした温かそうな防寒具に身を包み、華奢な体つきと柔らかそうな物腰からは想像つかないが、斧を打ち下ろし或いは投擲し、無駄のない洗練された動きで厚い氷を砕いていく。
 魔術師の男は燃えるような赤い髪が印象的で穏やかそうな顔付きをしている。胸元から防寒具を分入って白い動物が顔を覗かせている。あれはウサギだろうか。
「ヤッホー!」
「あ、ベリンダちゃん! お帰りなさい!」
「ロニヤちゃん、イグナツィオくん、おつかれさま!」
「ベリンダさん、おつかれさまです!」
 3人は顔見知りのようで、和かに手を振り合い短い間語り合うと、ベリンダは踵を返してフリージアの元へ向かった。連れ立っていた船員達は別の場所にいるようだ。
「せんちょー!」
「おお、ベリンダ、こっちは一旦終わるところだ。荷物はしっかり持ったな?」
「問題なし! それより、あっち、いますよ?」
 小声になりながら片手を口に添えてなにやら伝えているが、オルトスにはあっちがどっちか見当が付かない。
「あ、ああ、分かっている……」
「じゃああ行きましょうよ……! 挨拶ぐらいしないとですよ……!」
「それは、そうなのだが、もう少し勉強してからだな……」
 どうしたものか、頰をうっすらと赤らめて、いつになく歯切れが悪く視線は宙を彷徨っている。
 ははあ、オルトスは理解した。塔に匿われていたとは言え、伊達に16年間書物を読み、人間を観察してきた訳ではない。
「フロージアさん、伝えるべき言葉はその時に伝えないと後で後悔しても遅いんですよ」
「なっ」
「って、昔読んだ物語に書いてありました」
 驚いたような彼女に、オルトスは悪戯そうに微笑んだ。
「く、分かった、そこまで言われれば行くしかあるまい。まぁ、わたしも話したいことは色々とあるしな」
 大きく息を吸って吐き、モンスターとの戦闘中にさえ見なかったような緊張の面持ちで、よしと氣合いを入れる。
「いつも通りですよ、いつも通り」
「いつも通り、いつも通り」
 自己暗示を掛けるような神妙な様子で歩き出した後に二人は付く。
「あ、ハーフェスさんだ」
 先ほどの海氷の場所に戻ると、青い短髪で、紺色の警備服をピッシリとした着こなした粛然とした男性が立っていた。
「ロニヤさん、少しお話ししたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「はーい、わたしもそんな氣がしていたんです」
「えーっと、ロニヤ先輩、僕は……?」
 ロニヤはあれと言う間に海氷から陸に飛び移る。後に残されたイグナツィオは杖から火炎魔法を放つのを止め、困惑した面持ちでロニヤを見つめる。
「イグナツィオさんはこっちで休憩してて良いですよ!」
「わ、分かりました……」
 ロニヤとハーフェスが話し始めたため、素直にイグナツィオも陸へ向かって歩き出す。
「イグナツィオ殿!」
 意を決したような張り声に一瞬身を竦めたが、声の主を見て安堵の表情を見せた。
「あ、フロージアさん、おかえりない」
「ああ、た、ただいま……」
「今回は思っちいたちゃり早かったやね」
「え、ああ、まぁ…….」
「えらいいっぱいん荷物ば運んできよったんやろ? あんだんお役に立てて嬉しかたい。次ん出港はいつになると?」
「えっと、さ、三週間後だ!」
「そーやったか。そんならちょこっと余裕のいるたいね。ゆっくり身体ば休めちゃんない」
「あっああ! ちゃんないだな! うんうん、わたしも激しく同意するぞ。無事に着港できたこと感謝する。それではな、ま、また会おう!」
「ええ、さいなら。また会いましょーたい」
 俯いた顔を真っ赤に染めながら逃げるように歩き出すフロージア、ロニヤとベリンダは視線だけで笑い合っている、ハーフェスは無表情にチラとこちらを見やり、イグナツィオは何も知らずにのほほんと笑顔を浮かべている。
 オルトスは可笑しくなって、後でこのことを日記に書こうと思うのだった。


「それでは、行くのだな」
 フロージア達が宿へ向かう準備を終えた頃、オルトスもまた旅に必要な情報と道具を集め終え、出立の前に別れを伝えることができた。
「その装備なら問題なかろう。リュビーの町までは街道を歩けばモンスターも少ない」
「そこから北、ユーグの町へ向かって真っ直ぐだよ。いい? 真っ直ぐだからね、森や山の方は辺境調査隊が危険地域としてる所もあるから」
「そなたの目指す所は、このあたりだろうな。雪肌族の村。わたしですら行ったことの無い辺境だ。道中、くれぐれも氣を付けてな」
 広げた地図を丸め、オルトスの手に渡される。
「ありがとう。天界の民に伝えるよ。地上の民は心優しい人間が多くいるって」
「ふっふっふ、どうかな? 空の国に取り入るための下心があるとも分からんぞ?」
「実際良い人ばかりでも無いよ、分かってて言ってるでしょ?」
「うーん、良く分かんないや?」
 戯けるように言って3人で笑う。
「それじゃあ、本当にありがとう。もし次があればまたよろしく頼むよ」
「ああ、是非ともよしなに」
「またね、オルトスくん」
 
 また一つ、出会いと別れを終えて一人旅路を往く。
 経験したことの無い極寒の地での旅に、この先過酷が待ち受けるのだった。

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