また巡り会う幻想譚

「オーレーグ」
 初夏の日差しが夕陽に変わる頃、畦道を進む牛舎に積まれた藁の頂上で彼女は名を呼んだ。
「んー、なんだい?」
 藁に無造作に頭をもたれかけ、ずれた眼鏡を直すこともなくのっそりと男は返事をした。
 遠くには山の稜線。周囲は田や畑、そして薫風が吹くと稲や果樹がサラサラと揺れる。
 彼女は妖精であった。亜麻色の柔らかい髪が靡き、深き夜の瑠璃色に星の光を灯したような羽、透き通る碧眼、冒険者の出で立ちとは言え、絵本から飛び出したように夕焼けに映える小さな姿はどこか神秘的ですらあったが、
「暇だよー」
唇を尖らせ不服を申し立てる彼女に、返答によっては今すぐにでも飛び出しそうな様子だな、と、オレグは内心可笑しく思った。
「さっきもそう言ってたよ、マイフェアリー」
「そうだっけぇ?」
 思い出してみればそうだったかもしれない。隣町を出て二日、もう直次の町へ着くだろうというところでこの牛車の主に出会ったのだった。オレグの案で、硬貨一枚と引き換えに乗車させてもらったは良いものの、ミュウはかれこれ2時間は同じ景色のまま牛に引かれている気がするのだった。
「それじゃあここで、楽しい話をしよう」「うん!」パタタ、と羽が小気味良く鳴いた。
「ではミュウさんから、どうぞ」
「えええ、どうしてミュウからになるのかな」
「どうしてだろうね?」
 微笑みながら荷車の振動で眼鏡がずり落ちるのを直す。
 妖精はクスッと笑う。
「楽しい話は前はミュウが最後だったよー。今度はオレグの番だもん」
「えぇ〜、そうだったかなぁ?」笑いながら文句を言い続ける彼女を尻目にオレグは眼鏡をかけ直し、やおら腰を上げ、牛車の主に声をかけた。「おやっさん、あとどのくらいで着くんだい?」
「あともう半刻も無いさ。まぁもう少し待ってな、面白いものが見れるぞ」
「だってさ、もう少し我慢しようぜ。ん? 面白いもの?」「面白いもの!?」
 二人の声は被るようにして牛車の主に反応した。
「ああ。ジュンデーゼの町はこの時期になると祭りを行うんだ、昔、農民戦争をやった頃のな……」
「祭り! やったー! 祭りだー!」
「いよっし! やったぜ!!」
 寄る町が近づくにつれ、冒険者は寛ぎ、品を補充し、その土地の見聞を広げられることに安心と喜びを見出すものだ。そして祭りが催されているとあれば更なることである。
「ね? ね? どんな祭りなの? 美味しいものある?」
「食いしん坊さんだね。ねえおやっさん、行商人は良く寄ったりするのかな?」
「お腹空いてきたんだよー!」
「大きな依頼があるといいんだけど」
「お、おう、そうだな……」
 唐突に騒がしくなった狭い荷車に、早足で歩く最前の二頭の牛はブフンブフンと鼻を鳴らした。


 ほどなくして風に乗って楽が耳に入るようになる。
 まず、絶え間なく打ち続けられる太鼓の音。そして軽やかで子供が思わず駆け出しそうな陽気な弦の音。笛は微かに聞こえるが、自由勝手に振る舞う踊りを連想させる。
 すっかり上機嫌のミュウはオレグの頭の上に乗り、ペチペチと彼の額を叩き始めた。
「よしてくれ僕のフェアリー、こら」
「えへへ、どう? 上手いでしょー?」
「何、僕も負けていないさ」
 オレグも太鼓の音に合わせて荷台の囲いをポカポカ叩き始める。
 おやっさんは特に言うこともないのか、しかし表情は和らいでいる。彼が聞くのは祭りの音か、二人が奏でる音か。
「妖精も初めて見たが、あんたらみたいなのは珍しいな。人間と妖精のコンビなんざ、バードですら歌ったことは無かったぞ。ああ、失礼、カップルの間違いだったかな」
 言いながら豪快に笑う。
「そう言うのじゃ無いさ。確かに僕にとっては、ミュウは大事な存在だけど。ねえ、君は僕にとって」
 ミュウは音に魂をとらわれたかのように町の方をじっと見つめていた。
 そして、ふわっと浮いたか思うと町の方へ飛び立ち、小さい姿はみるみる見えなくなってしまった。
「おい、おい、行っちまったぞ? 俺、なんかまずいことしたかな?」
 おやっさんが慌てるが、オレグはパタパタと手を振った。
「大丈夫大丈夫。まあ、いつものことだから」


 町に到着し宿で部屋を借りると、早速窓を開け、林檎を桟の上に置いた。
 それはまるで、天に自分がここにいることを伝える為。風が甘い匂いを運び、例えば鳥や妖精などに帰るべき場所を伝える為。
 旅立ちの理由は突然だった。
 君が僕をそれまでの日常から全て変えてしまったんだ。誰もが眠る夜、決してその姿を見ることのないと言う幻想譚、朝が訪れても僕と触れ言葉を交わし夢を現実と変えてくれた、冒険はここにあると教えてくれた。
 だから不意に興味に突き動かされ君が一人の冒険を始めたとしても、それを止めるべくもない。
 また近い日に、同じものを見よう。

 そう、いつだってーーー


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