第一話 春の丘の早暁


ーーー織糸は綴られる 刺し抜き捻りかがり抜き 結まれ畳まれ合わさって

「はぁ〜ここはどこだろう〜、完全に迷子だよ〜」
 後ろ髪をカールに巻いて星型の花で編んだ花冠を乗せ、灰色を基調として斑点の入った翅、重く濡れたそれを羽ばたかせた少女が一人、薄暗い洞を進んでいく。
 天頂より岩の隙間から激しい風音が低い振動となって鳴り響き、豪雨で地表に溜まった水が洞の地中へと注がれている。そのような穴がいくつかあることは見て取れるが、周囲の差し渡しは闇で覆われており目測ができない広さだ。
 モスラバか、ファルファラか、ガーラスか、翅虫型のモンスターの影が見えるが、癒されているのか少女を襲うことは無かった。

ーーー細く 或いは長く 重ねた刺繍は幾百針
 
「ユーリ、コナー……」
 この洞窟の先に繋がるは迷宮か、強大な魔物の住処か、冒険者であればそのようなことも考えたかも知れない。ただ少女は真っ直ぐに、休めるための居心地の良い場所を求めるように、奥へ、奥へと翅を進める。
 上空を飛ぶことは叶うことの無い天候だったが、この洞があったお陰で大嵐に巻き込まれることは避けることができた。
 両拳を握るようにして不安げな表情をたまに見せながら飛んでいたが、視界の先、闇の奥に揺らめく光が灯っているのを見つけると微かに希望の色が瞳に宿る。

ーーーあなたがそこに在るように 私も共に在るように

「あれ? これは、歌?」
 その光が篝火であることが分かる頃には、風と水の音に混じって微かな人の声が含まれていたことにようやく彼女は氣付くことができた。
 それから、自分がどう曲ったのか、周囲の地形がどうであるのかを氣にも掛けないようにして、真っ直ぐにその声の在処を目指す。余りある急加速は風切り音が強いため、早まる翅を抑えながら声と光の元へと飛んだ。ケセセラやヴォックスの姿が見えようと意にも介さない。
 果たして、人がそこにいた。
 正確に分類するならば、彼女自身と同じように、其の者は妖精だ。
 篝火の光が部屋一面に渡り照らされている。
「綺麗」
 光度差に目が慣れ見えたのは、ソファーに座り布を縫う若い女性の姿。
 それは腰まで伸びた薄紅藤色のウェーブがかった髪、翅は髪と似た色合いを持ち柔毛で覆われたように柔らかでふっくらとしており、淡藤色のドレスは滑らかで繊細にして上質な生地で織られている。総じて高貴さと神秘性さえはらむものであった。
 付け加えれば、手には針と布を持ち刺繍を縫っている。両瞼は閉じられ、唇は先ほどからの歌を優しく温かい音色で震わせている。その音や歌詞はこれまでに聞いたことの無い、或いは王宮から聞こえてくる伝統的な音楽に共通の片鱗を見つけることができそうな、所謂、古めかしいものであり、それもあって、その姿は太古より現在に時間を超えて存在しているかのような錯覚を感じさせるものであった。
 如何程の時間か見惚れていた花冠の少女は地に降り立つと、これまでに触れたどの絨毯よりも柔らかな足裏の質感に少し驚きながら、薄藍の織る者へと歩んだ。
 女性の左手の後ろ側には燭台があって隠れていたが、右手側にはケセセラが糸を持って浮遊していた。そのケセセラーー四枚の翼、2本の角、身長の半分はあろう丸い先端が付いた尻尾を持ち、春の丘で蜜を食べる為に花ごと持って飛行する姿がよく見られるモンスターは、少女の姿に氣付くとピヤッと甲高い声を上げた。癒されているのだろう、全く敵対心は感じず、喜んで糸を持って女性を手伝っているようだった。
 しかしながら、女性は少女の接近に氣付く様子はなく、尚も歌と裁縫を続けている。
 篝火がぱちと弾ける。
「あのー」
「ピヤー」
「こんばんはー」
「ピヤヤー」
 ケセセラが挨拶をしてくれたのか、または一緒になって声をかけてくれたのか、しかしその針を持つ手が止まることはない。
 少女はテーブルに並べられたハサミやまち針から、木製の角枠の上に置かれた縫われている布へ視線を移しながらより近付いた。
「うわー、素敵」
 思わず口から率直な感想が漏れたようだ。
 そこに絵画があった。浮き彫りのような立体的な刺繍。どれほどの技法やステッチが使われたのか、太陽や雲、木や川や草花、動物やモンスターや妖精の服に至るまで、それぞれに異なる素材と技法が使われており、その緻密にして写実的な図はまさに絵画であった。少女にはよく見慣れた場所だ、春の丘だろう。明け方、妖精の何人かが川に水を汲みに来ている。東の空にたなびく雲の下、パンジーやビオラ、プリムラなどの早春の花が咲き誇っている。ケセセラも含めて、鳥や飛行型のモンスターが群で空を飛び、草木は風に揺れているようであった。奥には森と春の丘の城が見える。今は草を縫っているところのようだ。
「……? あら?」
 歌が止まり、手を止めて、驚いたように視線が上がり交差した。声に反応したのでなく、たまたま開いた視界に少女が映ったようだ。
「ごきげんよう。えーっと……どなたでしたかしら?」
 どうやら少女を既知の妖精と思っているようだ。
「こんばんは、春の丘のチックだよー」
 春の陽の午睡時を持ち込んだかのように胸元に飾ったピンクと黄色と白の花が揺れ、にこやかに笑う。
「こんばんは、チックさん。それでこちらにはーーー」
「ラソワレーヌ、どうかしたか?」
 言葉を遮るように甲冑を着た男が二人、部屋に入る。
「こちらはチックさん。春の丘からいらしたそうよ。あら、可愛らしいプリンセスライン、いえフィット&フレアね。緑色の髪とピンクのドレスとスカートが良く似合ってるわ。ラインに沿って付けているのは春の丘のスターフラワーね、ふふ、可愛い」
「えへへ、ありがとう、可愛いでしょ〜。でも、そう言うあなたもすっごい素敵〜。びっくりしたよー。思わずジーって見ちゃってた」
 男二人は互いに困ったように目を合わせる。
「ふ、二人は初対面なのか? というよりどこから入ったんだ、この嵐の中を今にか? 監視の目があったはずが」
 男の一人は部屋に入ると周囲を見渡して異常が無いか確認をした。
「まぁ、ユソールとファリオシスの目をすり抜けるなんて、チックさんは聞きしに及ぶ和の国の忍者という大道芸人では?」
「んー? わたしは普通に飛んできただけだよー?」
「それならとても運が良かったのかしら? 織り糸を数えずに刺す天才のようなものね。あ、いけない、少しお待ちになって」
「ラソワレーヌ嬢、その天才さんにはヴェルソワの掟に従ってここで引き留める訳にはいかない、詳しく話を聞かなければ」
 ラソワレーヌと呼ばれた妖精はふわりと飛び、戻ってくると手には緑の生地に黄色のステッチが施されたタオルがあった。
「そうね、残念、ではここで一旦お別れね。こんな嵐の日に飛んでくるなんて、翅も冷たくなって、取り敢えず暖かいものを貰うと良いわ。ごめんなさい、濡れたままにしてしまって」
 チックの濡れた翅と髪をタオルで拭き終わると、そのタオルを男の一人に渡す。チックは礼を言うと、何か思い当たることがあるのか、タオルをポンポンと両手で軽く叩いた。
「ねえねえ、この匂い、どこかで嗅いだことがある、んーっと、あーそうだ、どこかの花だ」
「名回答ね。このタオルは花と草で編んだものなの」
「花と草? あっ、ヴェルソワ? ここ、ヴェルソワなの?」
 キョロキョロと周囲や三人の顔を見る。
「そうだ。春の丘と夏の野の境、ヴェルソワの夜明けの洞だ」
「じゃあ、あなたは」
「申し遅れたわね。私は糸紡ぎの一族の末裔の一人、ラソワレーヌよ。よろしくね」
 チックは「ほえー」と感嘆の声を漏らす。
「今日は泊まって行くのよね? よければ明日またお話ししてくださらないかしら?」
 ラソワレーヌに視線を向けられた男がこくと頷き、尋ねられたチックは答える。
「うん、いいよー。ごめんね、裁縫の邪魔して」
「とんでもないわ。ちょうどいい良い区切りのところでしたの」
「ではラソワレーヌ嬢、そろそろ。夜も更ける。早く寝ると良いだろう」
「ええ、ありがとう。おやすみなさい、三人とも」
「おやすみなさい、ラソワレーヌ。監視については見直しておこう」
 最後に男が戸を閉める隙間、チックが後ろを向きながら小さく手を振る姿がラソワレーヌに見えた。
「あっ、ちょっと待って!」
 戸が閉まりきる直前ラソワレーヌの静止に、驚いた三人の顔が現れる。
「洞から出るのでしょう? また雨に濡れてしまうわ。チックさんは私の部屋に泊まったらどうかしら」
「空いてる部屋はあるにはあるが、確かにベッドを用意している空きは無かったな」
「糸の貯蔵に使われてますね。しかし来たばかりの者では」
「掟には泊めてはいけないとはありませんもの。ですので、しっかりとお話を伺ってからで構いませんわ」
「わたしは泊めてもらえるのならどこでも大丈夫だよー?」
「ふむ……そう言うことなら。一旦は承諾しよう」
「面倒をかけますわね」
「なに、シュヴァーレ殿であってもそうするだろうさ」
「後で他の糸紡ぎの方たちの様子も確認しておきましょう」
「ああ」
 いまいち状況の理解が及んでいない顔をしたチックは再度二人に連れられて部屋を出て行った。

 一人となった彼女はソファーに戻り手掛けていた布を見つめる。
「完成間近にいらっしゃるなんて、なんて偶然かしら。シュヴァーレが戻ったら聞かせてあげたいわ」
 言うなりテーブルにあったスケッチブックに何かを描き記して満足そうに頷いた。
「えーと、あれはどこへしまったかしら?」
 棚や箱を開けたり、別の部屋へ行ったりと忙しない。
 そうこうする内にチックが戻る。表情は眠そうに瞼がとろんとしている。無理もない、もう深更に入りかかると言うのに、嵐の中を飛んできたのだろうから。そう理解してラソワレーヌは「ねむい〜」と言うチックを着替えさせてやった。
「さ、寝ましょう、こちらよチックさん」
「うん〜」
 ふらふらと覚束ない足取りのチックの手を引いてベッドへと誘導する。
「大丈夫? 寒くはない?」
「うん〜」
「そう、明日は天氣になるわ。ゆっくり休んでね」
「……うん〜」
 燭台の火を消し、テーブル上の裁縫具を整理し、ベッドに入る。
「ユーリ、コナー……」
「ユーリ、コナー? お友達かしら?」
 チックは答えず、そのまま寝息を立て始めていた。
 ケセセラはすでに布団の上でまるまっていた。
 ラソワレーヌはチックに布団を被せてやると、自身もまた眠りにおちるべく瞼を閉じた。

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