フラゲノム中尉の帰国

(あーマジ無理だ!)
(疲労困憊だ! タバコ吸いてえな!)
(禁煙? ああそうだ、禁煙中だ、クソ、あそこのビーチパラソルの下でかき氷食ってタバコを吹かせたらさぞ幸せなんだろうぜ)

 真っ白なジーンズ、茶色のシャツに短い袖に通したジャケット、得物である鞭を肩に巻き付け黄色いネクタイを風に靡かせ、金髪の筋骨整った精悍な男が、日照りの強い島の高台へ続く道を歩む。

(王国へ要人を護送し、現地で容赦なく積まれた案件の山、滞在期間七日間を寝ず飲まず食わずで片付けーーまぁそれは言い過ぎかもだがーーとにかく俺は頑張った! すんげえがんばった!!)
(だというのに何だって、そのままオルド海域のモンスターの調査任務だぁ⁉︎ アウリオンの管轄でしょ⁉︎‘)

 心の中で悪態を吐きながら島の大方が眺められるほどになると、地に足が着き水平線の見通しの良さと生まれたての雲と風を一望に、背負っているものが軽くなったような気になる。
 タバコを、と一瞬思いかけた欲望を抑え込み、早々に今の仕事を切り上げて真の自由への解放を手に入れるのだと踵を返す。

(あの人には退役まで付いていくと言ったものの......もう少し優しくしてくれてもいいのになぁ......)

 蘇鉄が立ち並ぶ舗装された道からは熱気が反射する。
 青空と入道雲を背景にそびえ立つ砦、総督にして海軍大佐であるプレイヤードの統治するここ、ポート・アウリオンの海軍支部本庁が、彼が今回帰投する場所である。
 番兵に礼を告げ、重厚な扉を抜け、堅牢な石造りの屋内にあって細やかな涼しさに一息付いた。


 受付でサインを済ませ、装備品の点検と一部返却のために教練場を抜けて整備所へ向かう。すれ違う海兵たちと挨拶をしつつ、その様子から目立ったような事態は起きていないようだ。
 王国では名前と顔を一致させ、勲章の意味を理解し、貴族か王か諸侯か、そして血縁関係は、それらに適した言動から所作に至るまでに注意を払う必要があったが、そのような緊張はないことに安堵しつつ、整備所の扉を開けるーー「あ、フラゲルム中尉、お帰りなさい」
と、そこへ良く見知った二人の海兵が出立の準備をしており、彼を見るや否や声をかけられる。
「これはアルタイル少尉殿にあらせられましては、ご機嫌よろしゅうございます」
 ここ常夏の国においては見たこともない仰々しくも滑らかな動作で右腕を内側へ払うように胸の辺りで止める。それを見たアルタイルは思わず吹きだした。
「ぷっふふ、何ですか、それは?」
「大方、王侯貴族向けの挨拶だろうぜ、本人の修練が足りていないのか、滑稽にしか見えないな」
 上官に対し何ら敬う様子もなく、小馬鹿にしたようにその男、アイウォルツは感想を口にする。
「ええー嘘だろ、これでも貴婦人からはそれなりに好印象だったんだぜー?」
「怪しいな」
「怪しいですね」
「息ピッタリだな! さすが名コンビ!!」
 海軍全体においても華やかな躍進が期待されている二人。
 アルタイル少尉は女にして小柄な体躯ながら、真っ直ぐで強い意志が宿る瞳があらわすように、夜空に輝く一等星の如く、いざ戦場となれば並の相手では慄かせるほどの胆力を持ち、ふんだんの努力もあって能力の上達も甚だしい。
 アイウォルツ上級上等兵曹は卓越した身体能力と観察眼と分析眼で彼女を補佐する。素早く精度の高い動きは対集団戦の劣勢においても圧倒せしめる。
 互いに信頼し合い、その抜群の連携は活躍目覚しい。
 そんな二人の男女は悔しげなフラゲルムの様子に互いの視線を少しだけ合わせると、どちらからともなく微笑んだ。
「それにしても中尉、いつもとお変わりないようですが、しっかりお疲れのようですね......」
「あぁ〜、まぁな......」
 哀愁感をたっぷりに、ため息のように言葉が漏れる。
「ディスノルド大佐ったら、王国で悠々と国外任務と思いきや仕事をガッシガシ送りつけてくれちゃって......おまけにオルドの調査だ、人員の増加もなし、補給も自力で何とかやれって、俺って優秀だね、ザ・優秀!!自分を褒めてあげたいです!!」
「よしよーし、いい子いい子ー」
 アイウォルツは泣きそうな良い大人を、あやすようにして頭をにこやかに撫で付ける。
「やめてくれませんかねぇ⁉︎」
「あはは、まだ禁煙中なんですか、今日は匂いがしません」
「ふっふ、そうだろう。オレはやる時にはやる男だからな。ん? アイウォルツ、信じられないような目をしてるようだがーー」
「当たり前だ、アンタからタバコを取ったら酒か何かに逃げ出すかに決まってる」
「ちっげーから! それすげー誤解だから!」
 フラゲルムは周囲の視線が集まり出したことに加え、二人の準備が整った様子を確認した。会話をしながらであっても、手際の良さは海軍の名に恥じないことを目の当たりにした。
「行くか、二人とも。応援してるぜ、何かあれば俺を頼れよ。所属は違えどもな」
「はい、中尉には色々と感謝しています」
「少尉は俺が守るさ。だが、もしものことがあれば、その時は頼む。あんたほど頼れるのもなかなかいない」
「アイウォルツさん、もう私は守られるほど弱くありません! 守るのはお互い様です。そうですよね?」
「.......そうだな、悪かったよ少尉」
「ああ、もう行けよ、お前ら。整備所の後が詰まるぞ」
 そのようなことは無いのだが、見ていて恥ずかしくなるような二人を追い出す責任は感じるのだった。
「それでは行ってきます、また今度一緒にご飯でも食べましょう!」
「じゃあな、中尉」
 言い残して、扉を開け光差す空へ二人の背中が溶けていく。
 フラゲルムは眩しさに目を細めるが、焼きついた姿は瞬きをしてもなお、遠くへと歩んでいくように映った。
 ポケットに手を入れ煙草を指が掴むが、思い直したように離した。

 フラゲルムは呆然としていた。思わず口にしたタバコを落としかけたほどだ。支部への報告を終え、港へ戻ると一隻の見覚えのある船が停泊していたからだ。
「冗談だろ、何でここに?」
 船に近づくほどに悪寒が強まる。幾人かの知った顔の海兵が船上に見える。最悪の事態を想定しようとしている。
 例えば、自分の仕事で何か落ち度があったとか、例えば、緊急の任務が直に下されようとしているとか、例えば、
「おい、フラゲルム」
 思考を妨げるように船の上からの声の主を見上げれば、やはりと言うべきか、そこにはいるではないか、あのお方。容赦なき一海軍支部の権力者。泣く子も黙らせる傍若無人の暴れん坊。
「ディスノルド大佐ああぁぁぁ⁉︎」
「早く乗れよ、あと大声出すな」


「この航路をお祖父ちゃんは何十年も渡り、そして戦った。これってすっげえ感動的だ! この景色、きっと同じ気候条件もあったに違いない! 俺も同じ道を繋いでいるよ、お祖父ちゃん〜!」
(あー始まったよ、お祖父ちゃんタイム.....)
 フラゲルムは上官であるディスノルドの船に乗り換え、共に管轄の島へと帰投の途に着いていた。
「そうだ、47年前のあの話、大海賊を追いかけて左腕に矢を受けながら、三隻の船で船団に打ち勝ったって言うあの時だ!」
 何故、帰還命令が出ていたにも関わらず、こうして大佐自らが出迎えに現れたのか、その理由が全く不明なまま、こうして祖父への尊愛の情を聞かされているのである。キラッキラした瞳で。
「フラゲルム、お前聞いてんのか?」
「サー、イエッサー」
「そうか、良いぞ〜」
 唐突に真顔になったかと思いきや、頷く頬は紅潮している。
 希少的な素直に褒められることが、仕事に対してでなく、このような時ぐらいしかないことにフラゲルムの心は少し泣いた。
「ところで王都での報告は聞いた。報告書もひと通り読んだが、まぁ、細いことは追って作らせるから報告しろ。それと、あの癒術師と言うのはやはりあいつのことだな」
「ええ、同行したのはユウです。お陰で損耗も少なく、陸地戦について情報も得られましたよ」
「超大型モンスターか、以前報告にあったディンプシオンほどの大きさだな。お祖父ちゃんならどうとでもなるだろうが、海兵の戦い方を変えていくんだ、より安全に、より恒久的に」
 かつて多くの火が放たれ、人が、船が、モンスターが、水底へと沈んでいった。その歴史を礎に、彼ら若い時代の海軍が新しい道を模索している。
 暗がりに照らし出された篝火となるよう、先に進み道を示そうとしているうちの一人が、ディスノルドなのである。
「なぁ、オレがお前を連れて帰ってるのは何故かわかるか?」
「へ? それ考えてるんですけどね......妥当なところだと、これから極秘任務が始まるとか?」
「おいおい、休暇も与えずオレがそこまでこき使うと思うか?」
「うーん、いやーおかしいなー素直に否定できないぞー?」
 頭を総動員しても、日頃減給だの残業だの追加の仕事だの言われているイメージしか浮かばないのだった。
「理由の一つは、近くに用があったからだ。そして、もう一つ。ここでオレがお前の報告を聞けば、お前の仕事はひと段落したことになる。支部に出向くこともない。特別休暇だ、フラゲルム。私物は船に乗せてある、このまま家に帰れ」
「ま、まじっすか?」
「マジだ。ただしそのあと、滅茶苦茶仕事が待ってるからな。そこで倒れられても困る。その為の処置だ」
「ハハッ......」
(やっぱ鬼だぜ、この人)
ー 完 ー

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