性食考-読書感想文
図書館で借りて3回延長して読んだ。
民俗学コーナーにあった。
自分は図書館に行くと、まず最初に雑誌コーナーに行って、一応流行りの表紙を歩く。
興味深い表紙がたくさんだ。
だが、そういうものはSNSを見ればもっとたくさんあり、今やSNSでそういうものを発信した方が広告会社的には得なのだろう。知らんけど。
雑誌コーナーに行くと、子供や老人、若人(わこうど)など、俺も若人だが、若人特有の連帯感みたいなものがあまりなくて、図書館はつくづく面白い場所だなぁと思う。
雑誌コーナーを出て、本懐(使い方合ってる?)の''書物''コーナーへ。
書物コーナーとは、我が興味のある、または興味のありそうな本が沢山並んでいるところ。
我の本に対する興味というのも、図書館を10分ほど歩き回って、コーナー毎に思いを馳せながら、今の自分に対してどういった風を吹かせてくれるかどうかでその日の興味を選ぶ。
2ヶ月前辺りに、民俗学コーナーへ立ち寄り、良い感じにエロい本は無いかと、問うた。
そしたら、性食考に出会った。
扉絵を開けて第一声「食べちゃいたいほど可愛い」と書いており、この本を読破しようと思った。
こういう、歴史から紐解く系の、学者が知識、過去の参考論文を遡って今を網羅するタイプの本、我の興味にハマってくれると読んでしまう。
というものの、内容をあまり覚えておらず。
刺さり、話のネタになり、読後の爽快感をここに残しておこうと思う。
生け贄の話。
現代では当たり前かのように''ペット''の文化が、蔓延っている。
ここではあえて蔓延るという表現を使わせていただく。
この本自体、そういった、タブーとされる表現ではなく、本当に由緒(使い方合ってる?)があっての記述が沢山あるのだ。
|
我は今まで、白色、茶色、黒色の猫を飼うてきた。
黒色(ここではあえて名前は伏せておく)は現在進行形で飼っている。
|
生け贄という単語を、ペットといういわば我の家では当たり前の文化に対して、酷く照らし合わせた。
|
生け贄。愛を知るための。
愛という言葉が本当に宙に浮いているものだからこそ、俺の親はペットを飼い続ける事を選んでいるのかもしれないのだが、そんな事を考えていると考えすぎちゃうので、あまり考えないようにしている。
|
俺は猫が好き。猫は、最初に出会った命、を、味方と認識しているのかも。猫でいう親というのは、猫が子を産み、その子が、まさに産みの親を親として認識するのではないか。猫の世界でそういった認識があるのかどうかは確かめようがないが、本当に猫は可愛いので、人間が勘違いして自分を猫の親だと認識している。
俺もその一人、白色は姉と一緒に空き地で親とはぐれていたのかな?その時に、この子は一人では生きていけないと勝手に決めつけ、幼少期の頃から一緒に暮らした。
茶色は、これまた面白く、家によく遊びに来ていた。姉が餌付けをし、そうすると、完全に茶色は家を認識した。
黒色は、俺がスーパーのバイトをしていた頃、入り口に、ダンボールに入っていた。引き取ってくださいという旨だ。
話が逸れてしまった。
俺は猫が好き。
●
性欲と食べること、欲としては似ている。
といった感想である。
●
茶色が死んだ時、
俺はその最後を見届けた。
呼吸が止まったんだ。
俺は責任を感じた。
これを読んでいる人がいて、心身に少しかげりがある場合は、あまり読む事をオススメしない。
個人、俺、家族、そして、茶色との言葉なので。
茶色は、亡くなる前日の0時ごろ、けいれんした。
家族みんなで茶色のそばに居た。
白色が亡くなった時、白色は最後の力を振り絞って父の寝床についた。そして、最後の息をした。
茶色がけいれんしてから、俺含め家族みんなは、予感していた。この子はもう長くない、と。
点滴を打って命を長らえる方法もあった。だが、白色の死に様を俺たちは知っていたから、そういうことはしたくなかった。
●
命を飼うという事は、責任を伴う。
人間社会と一緒だ。
安易に「ペット」という言葉を使いたくはない。
◼️