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【前編】IELTS6.0、取れなかったら留学人生終了

先日のテスト勉強で少しだけ生活リズムが崩れてしまい、一向に一定のリズムを手に入れられないことに悩んでいるきったゆうせいです。今朝のカリフォルニアは雨が降っています。カレンダーを見てみましたら日本帰国のフライトまで残り3週間になり気分が高揚しています。同時にあとちょっと頑張ろうと気合を入れ直した今日です。

今日は日本からアメリカに出発するまでの壮絶な話をします。なんて今、今回のブログの仮タイトルから本タイトルに変えて思い出しかなり気分が悪くなりました。なるべく悪口ブログにならないように面白く書いて生きたらと思います。


父が僕に課した義務

ことの始まりは今年の上旬です。何らかのタイミングで父から「IELTS6.0に行かないと留学させない。」と伝えられました。この「6.0」というのは兄が留学をスタートさせた時点での得点です。この得点をボーダーに僕が留学できるできないか父から判断されるということです。

そもそもIELTSって何という方もいらっしゃると思いますので簡単に説明します。イメージ的には英検とかTOEICみたいな感じですが、IELTSは世界規模で用いられるより実践的な英語能力を測るテストです。ということで満点が9.0、そこで6.0を取れば留学が確定したわけです。

下記のサイトでは得点に応じての能力が表してあります。ここで6.0は 「<有能なユーザー>不正確さ、不適切さ、誤解もみられるが、概ね効果的に英語を使いこなす能力を有する。特に、慣れた状況下では、かなり複雑な言葉遣いの使用と理解ができる。」と表現されてます。僕は今年だけでIELTSを4回も受けて留学ができている今に至ります。

https://www.rarejob.com/englishlab/column/20210902_04/

皆さんも読んでいて得点だけじゃいまいちレベルが想像できないですよね。まーとにかく父に「6.0取らないと留学に行かせない。」とお告げがあった後にIELTSを受けることにしました。初の試験場は確か新宿だったと思います。テストを受けてみるとかなり難しく手応えが最悪だったのを覚えてます。僕自身の予想だと3.0~4.0点取れてればいいなという感覚でした。



1回目の結果「5.5」


自分でもここまでの点を取れると思ってなかったのでびっくりしました。しかしそれと同時に「あと0.5点とか余裕じゃん。」と思いました。しかしこれが見当違いだったのです。

その後2ヶ月間、アメリカのサンディエゴに言語留学をしました。僕のイメージでは今回の留学が終わったタイミングで6.0を取れると確信してました。2回目のIELTSは同所のサンディエゴで受けました。今回は僕も自信があったわけです。なんせ前回のIELTSは特に勉強をしたわけでもなく、今回は2ヶ月も準備をしてきたのだから。



2回目の結果「5.5」


もう気付けば8月に入り、アメリカの入学時期は9月ですからもう残された時間は少なかったんです。本来ならもう家も決まっていて、ルームメイトも当てがついて、履修も完了している。荷物もある程度まとまっていてあとは心の準備ぐらいの段階にいないといけないのに僕が決まっていたのは学校のみ。それはそうですよね。取れなかったら家を借りる以前にまず飛行機に乗れないわけですから。

僕は人並みには相手が決定したこととかの意図を読み取れます。おそらく父はIELTS6.0を取れる前提で動いとけと思っていたでしょう。つまりは「覚悟」ですね。IELTS6.0を取れていないにも関わらず、勝手に家を決めてフライトも予約する。そこまでして「留学にいきたい!」「行かせてくれ、親父!」みたいな根性を見たかったんだと思います。あと昔からそういうことはよくあって大体最終的には許しをもらうというオチでした。

僕もある程度のことはわかっていたので馬鹿馬鹿しく感じるんです、家族内でそんなことをやっているのが。

そんな不満はさておき、僕はその後帰国してアメリカでIELTSを受けたことに難易度が違うと言い訳をして日本で再度試験を受けることにしました。実にこれで3回目。



三度目の正直


そこでも結果は変わらず「5.5」

僕は5.5から6.0の間の0.5を完全に見誤っていました。調べてみると大半の人は5.5で突っかかるらしいんですって。かっこよく「6.0の壁」と言ってみましょうか。そのタイミングで半年間どんな壁と戦っていたか見えたんです。それと同時に僕はようやく自分の能力が5.5なんだと腑に落ちました。

時はもう8月です。8月はちょうど兄と姉(二人ともアメリカ)の休みも重なって日本に帰国していたタイミングでした。家族全員が揃うなんて年内でそんなにない貴重な時間です。そんな貴重な時間を無駄にしまいと僕はIELTSよりも家族を優先していました。そんな僕をみて痺れを切らしたのかあるタイミングで父にかなりお叱りを受けました。その時言われたのは確か「現状分かってんのか?毎日図書館こもって勉強しろ!本当に行かせないぞ。」的なことだったと思います。

もうね、僕としてはわからないんです。いろんな感情が複雑に絡み合ってどうすればいいのかわかりませんでした。「どうせ最終的には基準クリアしてなくても今までみたいに行かせてくれるんでしょ。」、「今回は本気だったらどうしよう。」、「入学を冬に延期させればいいんじゃないか?」、「いっそどこかの国に飛んで仕事を始めようか。」、「休学していた大学に戻ろうか。」


こうしてごちゃごちゃ考えているたどり着く答えが上記のどれでもなく「もう嫌だ。」という感情だけなんです。さらにここから僕が反省しているのが、僕自身この感情が外向きに出てしまったんです。家族に態度を悪くしたり父に会いたくないから部屋に閉じこもったり。かなり迷惑をかけました。せっかく兄姉が思い出を作ろうと帰ってきているのに大事な時間を僕がぶち壊したんです。すごい後悔してます。



それでも救ってくれたお姉ちゃん


そんな出来損ないな僕にでも、救いの手を差し伸べてくれたのは僕の姉でした。僕はそもそも勉強をしてこなかったので、やり方さえ知らないことを打ち明けました。勉強したことによる成功体験が今まで無いと。姉は親身に話を聞いてくれて、そこから一緒に近くのカフェやファミリーレストラン「ガスト」などで勉強に付き合ってくれました。姉にも姉のやることがあるのにそれでも僕に時間を割いてくれました。




冬学期に入学を遅らせようと決めていたらトラウマができました


時は9月に入りました。入学するにあたって最も遅くて10日には渡米しなくてはいけませんでした。姉が助け舟を出してくれてそこに乗っている中の僕には実は「冬入学に切り替えよう」と思っていたんです。実はそんなメールも入学する学校側には送りました。

どう言った経緯か知りませんが、僕が入学を冬に遅らせることが父にばれたんですね。そうするとまたまた怒鳴られたわけです。それも今まででいちばんに筆頭級の怒鳴りをくらったわけです。

「やめるか!」

「冬入学するならこの先、留学行かせないからな!」

「お前の留学人生は今回で終了な。」

「嫌なら結果出せ!」

お前は本当に親父なのか?どっかのへっぽこ上司だろと内心思いながらこうして僕はあらゆる選択肢をセメントで固められ、唯一残されたIELTS6.0を取るという抜け穴に舵を切られたわけです。どう考えたってもうタイムリミットまで日数無いし、セオリーで行けば冬入学なんです。というか自分の中ではそう決めてました。そしたら突然そう言われたので僕はどうすればいいのかわからずまたまた態度が悪くなってしまいました。姉と連続して行ってた勉強も行かなくって僕はどうしたらいいのか半分諦めていたのがほぼ諦めの心になりました。



姉が呼び寄せた奇跡


それでも僕の母と姉は変わらずやるしかないと僕の後押しをしてくれたんです。こうして4回目のIELTSを受けることに。しかも今回は姉が試験料金を払ってくれました。IELTSの試験、こんな短いスパンで受けましたが値段相当します。僕は姉に勉強の協力してもらって、さらには安く無い試験料を払ってもらったからには絶対答えたいと思いました。


今思えば僕が最後のIELTSでLISTENINGの点数を7.0にまで上げられたのは姉が試験料を払ってくれたから結果で応えないと、という責任感から生まれた集中力が呼び寄せた奇跡だったと思います。


4回目の結果「6.0」


僕は出発のタイムリミットを2日前にして結果を見て母と泣き喜んだのをすごく覚えています。


ただ未だ状況はきつい。フライトもない。家も決まってない僕は果たして無事アメリカに辿り着いて安全な生活を手に入れることはできたのか!?

次回”ゆうせい、アメリカでホームレスになる”の巻お楽しみ!!




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