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オホーツク文化の至宝に縄文とのつながりを感じるー羅臼町郷土資料館[JOMOSEUM]
北海道の東の端にある知床半島は東側半分が羅臼町で、西半分が斜里町です。羅臼町は海岸沿いに縄文、続縄文、オホーツク文化、擦文、アイヌと各時代の遺跡が分布していて、長らく人が住んでいたようです。
知床半島の根元辺りにある郷土資料館は廃校を利用して2011年に作られました。教室2つ分くらいが考古の展示に当てられていて、土器と石器が多くあります。
一番古い土器は縄文早期の沼尻式土器、沼尻式土器は道東で最も古い土器形式で広く分布しています。同じく早期の東釧路Ⅲ式土器、中期の北筒Ⅱ式土器と道東でメジャーな土器が並びます。
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ヌサマイ式など後期から晩期の土器も素朴なものが多い印象です。
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これが続縄文時代に入ると、細かな文様が美しい土器がでてきます。続縄文期中葉の宇津内b式土器は道東で多く見られ、後葉の後北式土器は北海道で広く見られる土器です。
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石器もかなりありますが、特徴的なのは黒曜石で、十勝で採れたと思われる赤みがかった石が多く見られます。
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オホーツク沿岸地域は北海道の中でも独特の歴史を辿っており、北海道の他の地域が擦文に入った5から10世紀頃には、北海道より北の文化の影響を受けて成立したオホーツク文化期、11あら12世紀ころはオホーツク文化が擦文文化の影響を受けて成立したトビニタイ文化期と呼ばれる時代があります。
羅臼町では、オホーツク文化期の北海道松法川北岸遺跡の出土品が重要文化財に指定されていて、別室に展示されていました。熊の頭をかたどった舟形の木製品や海獣をかたどった土製品、鹿の骨や海獣の牙を使った製品などが出土しています。
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もちろん土器もたくさんあります。粘土紐による装飾が特徴的です。
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本州の時代で言えば古墳から平安にかけての時期ですが、独自の狩猟採集文化が花開いていたのは興味深いですね。やはり縄文とのつながりを感じます。
また、第二次大戦前に北方四島の島々や樺太で考古資料を収集したという福井友三郎コレクションというのもあり、引き出しにぎっしり遺物が詰まっていました。北方領土の縄文文化も気になりますね。
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羅臼町郷土資料館(HP)
住所:目梨郡羅臼町峯浜町307-1
開館時間:9時~17時(土曜、日曜、祝日休館、7月1日~9月上旬は無休)
入館料:無料
撮影:可
アクセス:中標津バスターミナルからバスで約1時間、峯浜町から徒歩約5分。
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