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【毒親①】毒母だと気づくまで
こんにちは。あこです。
今回は毒親について書いていきます。
はじめは少し厳しい母だった
母はすごく厳しかった記憶しかない。
特に茶碗や箸の持ち方、身だしなみには厳しかった。
通信教材で文字を書く練習が上手くいかなくてよく叱られてた。
母の期待に応えられないとビンタ。
毎回泣いてた。
幼稚園にはバスで行っていたけど、朝が弱くてよく自転車で送ってもらっていたのを覚えている。
どうやら母は私を後ろに乗せることはできるけど
降ろすことができなかったらしい。
毎回家に着くと自転車ごと倒して私を降ろしていた。
幼稚園児な私はうまく降りられず自転車と一緒に倒れて怪我して泣いた記憶がある。
また、母は潔癖症で綺麗好き。
テキパキと動けるしっかり者のイメージがあった。
ただすぐに叩かれるから怖くて、いつも遊んでくれる父の方が好きだった。
母がよく言っていた「あんたはパパっ子だからね。」
今思うと母に遊んでもらった記憶はない。全く。
そして節約家でドケチ。私がもらったお年玉は全て没収。
拒否すると説教。怒鳴られる。
私の財布は母が握っていた。
弟が産まれた途端に何かが変わった
私が小学校1年生の時、念願の弟が産まれた。
私が母似な一方、弟は父にそっくり。
(自分で言うのもなんだが、父はそこそこイケメンでモテていたのです笑)
そんな弟に母はメロメロ。
母が1人で名前を付けたほど。
(ちなみに私はおじいちゃんと父が付けてくれた)
そこから違和感だらけの人生が始まった。
ここで私と弟の扱いの違いを比べてみよう。
勉強机 :私→父の会社の人の娘さんのお下がり
弟→新品
通学自転車:私→1番安いチェーンのやつ
弟→ベルトタイプのそこそこいいやつ
お小遣い :私→母からはゼロ。父のお小遣いからもらう
弟→母からもらう
欲しいもの:私→頼んでも「お前にそんなお金はかけられない」結局お金のない父に無理をさせてしまう。
弟→母が積極的に購入
部屋 :私→貰い物だらけ。タンスは上に仏壇を置くようなもの(わかるかな?)中に布が敷いてある引き出し。ベッドはマット無しの木のギシギシ鳴るやつ。
弟→母が全て買い揃える。タンスも新品。ベッドもふっといマットレス付きのふわふわ。
怒ると :私→ビンタ、暴言「お前はうちの子じゃない!」「出て行け!」など、水をかけられたこともある。
弟→「もぉー?ダメでしょ!」で終わり。手を出したことない。全く。
パッと思い付くだけでこのくらい。
厄介なのは母が弟を贔屓しているのを私に見せつけてくることだ。
目の前で「ママが買ってあげるからねー!」とか言って。
機嫌悪くする私を見て「あ、機嫌悪くなった笑笑」とわざわざ言ってくるほど。
どうやら私が嫌な思いをするほど母は気分が良かったようだ。
こうなったのは私がダメな子だからだ
だけど私は何も言えない。
なぜなら私は出来損ないだから。
よく叩かれるし、怒られる。
褒められたことがなくて貶されてばかり。
私はダメな子だった。
高校大学は私立。
大学では留学に行った。
お金をたくさん使わせてしまったからだ。
母には散々「親孝行しなさい。お金かかってんだから。」「あんたは嫁に行くな。婿養子をもらいなさい。それで私の介護をするのよ。」と言われていた。
私は出来損ないだからこれくらいしなきゃいけないんだ。
そう思っていた。
一方弟はと言うと、高校は公立、大学は国立だった。
お金がかからない優秀な息子な訳だ。
それでもどこかで期待をしていた
私はダメな子。だけど心のどこかで母に振り向いてもらいたかった。
中学でやってた卓球部。
市内の団体戦で常に優勝するほどの強さ。
しかも私はキャプテン。3年生の引退試合では選手宣誓もした。
個人戦でもベスト8をとった。
賞状を持って帰る。褒めてくれるかな?とワクワクしていた。
と帰ってきた言葉は…
「こんなことで賞状もらわないで勉強で賞状もらえよ。」
さらに高校時代では数学がずば抜けてできた。
常にテスト、模試で校内一位。
満点を取ることもよくあった。
テストを持ち帰った。今度はどうかな?
言われた言葉は
「ふぅーん。数学できても役に立たないからねぇ。」
だった。
弟が小学校で絵の賞をもらった時は
「この子は絵の才能があるかもしれない…!」って言ってたじゃん。
しかも部活で賞をもらってなければ満点も取ってないじゃん。
なんでこんなに違うの?
普通はそう思うはず。
だけどそんな感情さえも無かった。
もう既に麻痺していたのかもしれない。
やっと褒められた!
高校を卒業した日。
言われたのはおめでとうではなく「もうあんたに金出さないから今日からバイトしなさい。自分のことは自分でやりなさい。」だった。
間もなくアルバイトを始めて。携帯や定期代、教科書代などは全て自分でなんとかしてた。
授業料払ってもらってるからこれくらい当然。
私は出来損ないだから仕方ない。
そして大学を卒業して働き出した時。
私はやっと親孝行ができると思った。
だから欲しいものはなんでも買ってあげた。
買ってあげると母が言う
「やっぱ持つべきものは娘だな」
ここでやっと褒められたのだ。
私は思った。
お金を出すと喜んでくれる。
お金で苦労させちゃったからな。だからこれからは色々してあげよう。
そんな事を思っていた。
その頃弟は大学生で県外で一人暮らし。
生活費やらでお金がかかる。
それを少し出してあげたりした。
「あんたの可愛い弟でしょ?すこしくらい出してあげなさい。」
と散々言われて。
携帯代は母が、教科書代は私が出してあげる。
あれ?私の時は全部自分でやってたな。
ここも違うんだな…
とかすかに思っていたけどこれも「私はダメな子だから」で抑えつけていた。
家に居場所はなかった
家に安らぐ場所はなかった。
我が家は部屋の扉を閉めてはいけないのです。
閉めると母に蹴飛ばされる。多分中まで把握したかったのだろう。
だから常に監視されている状態だった。
弟の部屋だけは閉めても何も言わなかったけど。
ゴロゴロしていると「なんだいるのか。働けよ。」と言われる。
仕事から帰ると「もう帰ってきたの?」
容姿についても貶されていた。
一階に降りてくると「お、相撲取りが降りてきたぞ笑笑」
服を見に行くと「あんたに似合う服なんかないわ笑笑」
確かに太っていたかもしれないが…。
コミュニケーションを図ろうと料理している母に料理を教えてと言ってみた。
一度も教えてくれない。
帰ってくる言葉は「こんなもの適当だわ。」だけ。
それでもたまにはご飯を作れと言われる。
料理してる私を見て、教えてくれるのかと思いきや、
「違うわ!何してんの?!下手くそ!」
と罵倒された。
何も教えてくれないのにしっかり貶す母。
そんなやりとりを生まれた時から目の前で見ていた弟。
ついに彼も私を貶し始める。
母に似てしまったのだ。
ここまではまだ毒親だと気づくまでの話。
まだまだ書きたい事盛り沢山です。
がんばります。
〈おわり〉