田村勤
1992年のシーズン、仕事から帰って阪神タイガーズの試合結果を見るのが、本当に楽しみだった。新庄と亀山で語られることが多いが、私の中ではやっぱり田村だ。
左のサイドスローで、浮き上がってくるような球筋。もしくは、ズバッと右打者のインコース。最速で140km/h台中盤が出せる。阪神にこんなすごい投手がいたのかと、本当に驚いた。
すごく細く見えるのに、どうしてこんな球が投げられるのだろう——そう思いながらテレビで見ていたら、夏場に故障。このシーズンは戻ってくることがなかった。先発では仲田幸司、中込、湯舟がすばらしい活躍をしていて、リリーフの弓長もよかったが、田村が離脱するのはチームにとってあまりに厳しいと、素人でもわかった。
田村離脱後も優勝戦戦に踏みとどまっていたシーズン終盤、監督の中村勝広が、抑えに「チームでいちばん良い投手を使う」と言って湯舟の起用にこだわったことも痛かった。
あのとき田村が壊れていなければ。
中村勝広が湯舟をリリーフ起用しなければ。
32年経っても、まだ思い出す。