Gen Sugai

いちおうライターということになっている。主に、Webマガジン WAGTAIL(CMSに…

Gen Sugai

いちおうライターということになっている。主に、Webマガジン WAGTAIL(CMSにあらず)の中の人。https://wagtailmag.net/ 過去のノートはこちらから https://note.com/gsugai

マガジン

  • プロ野球選手の話をしよう。

    少し前のプロ野球選手について。

  • AIインプレ文学

    生成系AIのBing AIとBing Image Creatorを使って、自転車が絡むお話と、その挿絵を作ってみるシリーズです。主人公がときどき自転車の説明をして始めます。ただし完全に生成したままというわけではなく、テキストの微修正はしています。

最近の記事

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彼にMadone SLRが必要な理由

スペインバルのカウンターでワインを傾けながら、男は自分のスマホを女に差し出した。画面には、TREKのエアロロードバイク「Madone SLR」の写真が映っていた。 「これが、僕が買ったバイクなんだ。TREKのMadone SLRっていうんだけど」 女は、画面を見ながらうなずいた。自転車にはあまり興味がなかったが、男が話すときの目の輝きは好きだった。 「どうしてそのバイクを買ったの?」 「どうしてって、それはもう、最高・最軽量のエアロロードバイクだからさ。このフレームは

    • 園川一美

      80年代後半から90年代の終わりまで、実働14年で1,500投球回。間違いなく、弱い時代のロッテオリオンズ〜千葉ロッテマリーンズを支えた投手だ。 1993年は小宮山が12勝、前田が9勝、そして園川が9勝だ。ついでにリリーフ兼任の伊良部が8勝を挙げている。この4人が規定投球回をクリアして合計38勝は、まあ悪くはないはずだ。しかし同年、チームは51勝しかできなかった。 この年の園川はシーズン後半戦は負けまくるのだが、全体としてはキャリアハイの投球回で、完封勝利も2回記録し、し

      • なぜか今、人生でいちばんスズキのバイクがほしい

        普通二輪の免許を持っている。原付時代から思い返すと、RZ50、TZR50、ディバージョン400、セロー225、ジョグアプリオType2と、ヤマハのバイクばかり乗ってきた。数年前にアプリオを処分して以来、バイクには乗っていない。 しかし、今、どういうわけか、スズキのバイクが欲しい。 今まで生きてきて、今ほどスズキのバイクがほしいと思ったことはない。 例えば、125ccスクーター三兄弟。中でも、バーグマンストリート125EXがほしい。 街で見かけるのはまずアドレス125、そ

        • 関川浩一

          阪神タイガースの期待の若手や実力ある中堅が、あっと驚くようなトレードで移籍する——阪神タイガースは、トレードに積極的なイメージがある。田淵や江夏といった私がリアルタイムで阪神時代を知らない選手はもちろん、吉竹が西武に移籍した時も子供ながらにショックだったし、大野や野田も残念に思った。 そして、関川だ。 関川・久慈と、大豊・矢野。決して釣り合っていないとは言わない。大豊は阪神でよくやったと思うし、矢野があんなに長く活躍すると予想した人も少ないはずだ。でも、タテジマのユニフォ

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          角富士夫

          物心ついてプロ野球に興味を持って以降、いつの時代にも「どこから見てもサラリーマン」といった風情の選手が、12球団の中で何人かいたものだ。そのひとりが、ヤクルトスワローズ一筋の、角富士夫。 バッターボックスで構える姿が、サードを守るその姿が、とてもプロ野球選手には見えなかった。失礼ながら、サラリーマンが草野球をしているように見えてしまう。 でもサードの守備は堅実だし、意外と(と言っては失礼だが)打つし、バントも上手い。レオン、ホーナー、デシンセイ、一茂、広澤(一時期サードだ

          篠塚和典(篠塚利夫)

          篠塚の打順は何番のイメージ? 3番? 6番? 私の中では圧倒的に「2番」だ。実は篠塚はそれほど2番に座っていたわけではない。しかし、1984年の1番:松本、2番・篠塚、3番・クロマティの印象が強く残っているのだ。ちなみに篠塚が首位打者を獲得したこの年、2番を打っているのに犠打は一桁というのも面白い。 そして篠塚の打撃といえば右へ左へ打ち分ける技術などと言われるが、私の中では、ホームベースの先に叩きつけて高いバウンドの打球を放ち、内野安打にしてしまうシーンが記憶に残ってい

          篠塚和典(篠塚利夫)

          空想自転車店「WAGTAIL(ワグテイル)」の評価

          立地とアクセス: 駅から徒歩圏内に位置する「WAGTAIL」は、これから自転車を購入したい方にとって非常に便利です。通勤や通学、ちょっとしたお出かけにも気軽に立ち寄れる立地は、多くのお客様から好評を得ています。 商品の多様性: シティサイクルから電動アシスト自転車、スポーツサイクルまで、幅広い種類の自転車を取り扱っており、どんなニーズにも応えられる品揃えが魅力です。ただし、店舗はコンパクトなため、展示されているモデルは限られています。 店頭にない商品でも、カタログを通じて

          空想自転車店「WAGTAIL(ワグテイル)」の評価

          佐野仙好

          プロ野球選手の顔と名前をちゃんと覚えるようになった頃「かっこいい」と思った選手は、以前に挙げた遠藤など何人かいるが、野手では阪神の佐野が欠かせない。 まず、背番号9と「SANO」と書かれたその背中が、かっこよかった。バッターボックスに立っていたり、守備についているときの後ろ姿がかっこいいのだ。 そして、1984年からしばらく使われていたのビジター用ユニフォーム、つまり「グレーのタテジマ」がすごくよく似合っていた。 さらに、もうひとつ。 私の記憶の中では、佐野は髭を蓄え

          小坂誠

          華麗な守備で千葉ロッテマリーンズを支えた、小坂誠。巨人に移籍後はセカンドを守ることが増え、楽天に移籍してからも大半が二塁手としての出場だった。そして楽天移籍初年度である2009年こそが、小坂が現役生活の中で最後に輝いたシーズンだ。 キャリア最後のホームラン、サヨナラヒットでのガッツポーズ、そして、難しいことを平然とやってのける美しい守備。セカンドを守っても、小坂はやっぱり小坂——そんなシーズンだった。 10月3日、CS進出を決めた西武戦では楽天の打線が帆足をめった打ちにす

          カイル・ケラー

          本マガジンでは初めての外国人選手だ。しかし、阪神タイガースに所属したことがある外国人投手としては、オルセンに次いでふたりめだ。 2022年の来日当初に見られたように、キレがない状態だと得意であるはずのカーブに落差が出ず、どうにもならなくなってしまう。 それでも、2022年の開幕当初にクローザー失格の烙印を押された後、二軍での再調整を経てキレを取り戻し、フォークを習得したことで投球の幅も広がって見違える活躍であったのは記憶に新しい。 2022年、開幕当初からクローザーに抜

          カイル・ケラー

          草野大輔

          2009年、東北楽天ゴールデンイーグルスがシーズン2位でCSに進んだ際の立役者のひとり。 1976年生12月まれで、ドラフト指名されたのが2005年。社会人野球歴が長いオールドルーキーだった。しかもドラフト8巡目という下位指名だから、プロ入りはかなり勇気ある決断だったに違いない。 絶対的なレギュラーにはなれなかったけど、チーム事情に合わせてセカンド、サード、レフトを守り、なんならショートもファーストも守り、一方の打撃では勝負強さを発揮した。 そして何より、草野が内野を守

          木下富雄

          広島カープで背番号25と言えば、やはり新井貴浩。しかし、この人も印象深い。ユーティリティプレーヤーとして活躍し、引退後は二軍監督など指導者としてもチームに関わった木下である。 実は子供の頃、水谷や水沼、ライトルやガードナー、アイルランドといった選手の記憶がない。でも木下がセカンドを守っていたのは、しっかり覚えている。バリバリのレギュラーというわけではないけれど、なんだかんだでセカンドをメインに、たまにサードやショートを守っている。スタメンではなくても、試合終盤に守備から出場

          加藤博一

          横浜大洋ホエールズ・近藤貞雄監督による「スーパーカートリオ」の一角を占めた、加藤博一。 高木豊、屋鋪要、そして加藤博一。この3人の中で最年長で、スーパーカートリオと命名された時点で33歳。でも、西鉄では試合に出してもらえず、阪神でもレギュラーとして活躍できたのは1年だけだった加藤にとって、1985年がもっとも輝いたシーズンであったことは間違いない。 現役なのにオフシーズンはスポーツバラエティ番組でレポーターみたいなことをやったりして、プロ野球界の峰竜太みたいな存在だった(

          リチャード・オルセン

          1985年の阪神タイガース優勝前夜とも言える1984年、先発ローテーションにはオルセンがいた。 こんな書き方をして申し訳ないが、テレビの野球中継を見ていて、阪神の先発が伊藤(文隆)とオルセンだと「ああ、負けだな」と思ったものだ。 1984年の彼らの成績を見ると、オルセンが2勝9敗で防御率4.65、伊藤が4勝11敗2セーブ、防御率4.84だった。 オルセンは独特なフォームだった記憶がある。体が大きく倒れ込むのだ。そのフォームを矯正したら、不振に陥ったらしい。オルセンには申

          リチャード・オルセン

          遠藤一彦

          子供の頃のテレビ観戦とはいえ、先発投手として第一線で活躍する遠藤一彦は、ひたすら格好良かった。 当時の大洋には、スタイルの良い選手が多かった。投手で言えば斉藤明雄、大門、そしてなんといっても遠藤である。遠藤はフォームも格好良かった。 1987年のシーズン終盤、ランナーとして二塁から三塁に向かう途中で遠藤が足を故障したときの映像は、今でも覚えている。 翌年からの、成績の振るわない遠藤を見るのは辛かった。1989年に巨人がリーグ優勝を決めた試合で、大学の後輩である原に本塁打

          上田浩明

          西武ライオンズひと筋18年、その大半を守備職人として過ごしたのが上田浩明だ。 北陽高校出身で、1987年ドラフト2位で西武に入団した上田。1軍でよく使われるようになったのは1994年からで、その年は54試合に出場して打席には28回しか立っていないから、この時点で既に「守備の人」だったことがわかる。 ちなみに1994年は、森監督のラストイヤー。内野の布陣は清原・辻、石毛、田辺、さらには鈴木健、パグリアルーロに奈良原とメンバーが揃っていた。フル出場が難しいベテランの存在やパグ