ダニーは何故笑うのか−−ミッドサマー感想
ミッドサマー観てきたぞ〜〜〜〜!!めちゃ面白かった!!
確かにこれはホラーではないけど、ホラーのお約束に則って語られていて、
画面は自然に溢れて美しいように見えて、ゴリゴリに加工されており、
素朴なようでいて細部に作り込みを感じる、
そんな左右不釣合いな作りが面白い映画体験でした!!
ミッドサマー見終わったあと、一番にこんなツイートをしました。
はっきり言ってこのツイートに全てが集約しております。悪い意味ではなく。
いわゆるホラーの脅かしはないけれど、主人公たち4人のキャラクター性や、カップルやお調子者から死んでいく構成は間違いなくホラー映画の文脈。
映像の半分以上を手つかずの自然が占めているように見えて、終始画面端のものがぐにゃぐにゃ歪んでいたり、あからさまに色の補正が加えられていて、とても不自然。
描かれるホルガの生活は単純かつ素朴に見えて、洋服の刺繍や壁の絵など、あちこちに不穏で複雑な細部の作り込みを感じる。
他にも音楽の演出や、映り込みの演出など、根底から土台が傾いているかのような、絶妙な不快感を生み出す作り込みに大変興奮しました。
(技巧に興奮するオタクなもので)
そんな話を帰って父にしてみたら、「技巧だけが良かったの?物語はいまいち?」と聞かれました。
いやいや、そんなことないですよ。
物語も十分にアンバランスで面白かったです。
むしろ、この映画に施されたアンバランスな技巧の全ては、ラストの主人公ダニーのアンビバレンツな笑顔を引き立たせるためだったのではないかと思ってしまいます。
というわけで、以下ネタバレ込みで、物語部分の感想を書き連ねます。
鑑賞予定がある方は閲覧をお控え頂くことをおススメます。
散々言われている通り、万人におススメはしませんが、初見の価値はある映画ですよ、ミッドサマー。
さて、結論から言いますと、主人公ダニーは馴染むべくしてホルガに馴染んだのではないかと思います。
ダニーが本当に求めていたものは、既に失っていたもの以外はホルガで全て与えられました。
冒頭からダニーという女性を整理していきます。
ダニーは映画冒頭で妹の巻き添え自殺で家族全員を失い、その傷心が癒えぬまま、ホルガ村を訪れます。
ダニーは一見、恋人やその友人に支えられているように見えますが、その実恋人のクリスチャンは内心別れたがっており、ダニーの不安や悲しみに寄り添おうとはしていない。友人たちはダニーとそこまで親しくはない。
誰もダニーの苦しみに耳を傾けてはくれません。
ダニーは孤独ではないけれど、孤立していました。
そもそも、家族を失う前から抗不安薬を常備薬として置いていることや、クリスチャンたちが”重い女”だと思っているような描写からして、ダニーは元々精神的に不安定で、クリスチャンに依存気味なところがありました。
そこに家族全員の死が重なって、より不安定になっていました。
このカップルの関係性で気になったのは、クリスチャンが一度たりともダニーに共感しなかったところ。
感情の共有は言語を必要としない原初的なコミュニケーションのあり方ですが、二人の感情は常にすれ違っているように見えました。(もしかしたら、付き合い始めた当時は、出来ていたのかもしれませんが)
だから余計にダニーの不安は加速していきます。
一方で、ホルガには、村人同士感情を共有する文化があります。
ペレがダニーに共感してみせるシーンは、その共感の文化が一番最初に描写されたシーンですね。
(ペレがダニーを狙っていたとか、ダニーを取り込むべく優しくしていた、という解釈も見かけましたが、個人的には個が消滅しているホルガという共同体において、ペレだけ利己的だと解釈するのに違和感があります。
それよりかは、ペレはホルガの風習にしたがって共感してみせただけ、という方がしっくりくるかなと。)
(そう解釈すると、あれは優しさではなく、ただの条件反射ということになり、よりホルガという共同体が怖くなるのでグッド。)
感情の共有は、よりその感情の振れ幅が大きいときほど人数をかけて行われているようです。
まずはペレひとり、次は花輪の乙女たち13人、そして最後の炎上シーンは村人全員。
表情と呻き声と動作による感情の発露は、言語を必要とせず、ダニーを包み込みます。
共感に飢えていたダニーは、ホルガの人々に感情の共有を与えられてはじめて、安心した。
それがラストの笑顔なのではないかと。
ミッドサマーはダニーが安らぎを得る物語。
そんな感じで解釈した次第でございます。
実は、ラストの笑顔をトリップ状態で色々と判断能力が欠けてぶっ飛んだ状態の開放感と解釈するのは映画の空気とミスマッチでは?と思っています。
だってダニーのその後を考えて見て下さい。
あの笑顔を
「裏切りものの恋人燃やしたぜ!!やったぜ!!」
とすると、余りにもつよつよサイコパスで、たぶんそのうち村を乗っ取りそうだし、
「束縛しやがってこのクズ!!これで自由だ!!」
ってことだとすると、目が覚めると自分が差し出したものへの自責の念でダニー死んでしまいそうです。(トリップしてないときの倫理観は狂っていないので)
ダニーが死ななくていい世界に辿り着いたからこそ、ミッドサマーはハッピーエンドと言われるのだと信じて解釈構築してみました。
ダニーにはホルガが必要でした。
ホルガは別にダニーを必要としてないと思うけど。
(血以外に個が必要とされていないため)
ま、パンフも買えてない情弱なので、あくまで映画だけ見た解釈ということでご容赦ください。
蛇足:(共感と言えば、クリスチャンとマニのセックスシーンにいた、女性たちの役割も共感者だと解釈しています。感情を拡大して神に捧げているとでも言ったらいいんでしょうか。乳揉んでるとことか特に。)