昭和歌謡って?
鼻歌がメディアの時代
ネットには昭和歌謡云々のタイトルが満載。でも、昭和は長過ぎて、どの昭和なのか、よく判らない。1945年を境に戦前の昭和、戦後の昭和、2024年から半世紀前なら大凡ふたつしか昭和が無かった、昭和30年位までに生まれていれば。その後の歌謡曲は1970年辺りを境に第2の戦後時代が始まり、昭和の終わり1988年まで続く感覚。この分け方に従えば個人的には、戦前と第1の戦後で昭和歌謡は終わってしまった感覚がある。
戦前の歌謡曲なら、出船、君恋し、軍歌以外の戦中歌謡(蘇州夜曲や南の花嫁さん)など。個人的にこの時代の曲を伝えたメディアは鼻歌だった。歌手ではなく、素人の生歌。歴史上はSP音盤はあったし、ラジオも映画もあった。ただ、敗戦からほぼ十年後に生まれた中途半端な世代、とくに都市部から離れた地方の在住者には、この辺が微妙。
たとえば、出船は高校の音楽教師がピアノの弾き語りで歌ってくれた(音大声楽科出身)。その他は大凡、近親者の鼻歌等で、いずれ生歌。戦前および敗戦後十年位までの歌謡曲は生歌で聴き覚えた。声帯振動、ときおり骨伝導の時代。これって、ふと熟慮し直すと、超高解像オーディオ、更には演奏と聴衆間に物理距離が必ずあるライヴ音を遥かに凌ぐ超音源。同時に、口承民俗歌謡に近い。
メディアの電化は1960年代、テレビ放送の拡大・普及と共に始まり、1970年代初頭までが開発期間。この時代以降は生歌でなくなった。スピーカかイヤホンの振動に変わった。第2戦後時代以降の歌謡曲は事実上、電気音もしくは電子音の時代。これが現在まで続いている筈。第2戦後時代の初期、電気メディアに十年少し付き合って、以降は歌謡曲どころか音楽自体との接触が希薄になった。
吉田拓郎は岡本おさみだった
吉田拓郎のLPはCBS移籍後の第2音盤辺りまでしか知らない。1973年半ば、個人的にはこの辺りが音楽の流行に即時直結した最後の頃だったと記憶する。で、その頃にふと気付いた事があった。マイナーレーベル時代から吉田の音源は自作(作詞・作曲)が基本だった(オリジナリティの水準は問わない)。マイナーレーベル期に制作のLP第1・第2音盤からCBS第1・第2音盤までのうち吉田が歌って感動した音源の言葉、歌詞はほぼ岡本おさみの制作によるものだった。その言葉はいわゆるフォークソングの歌詞の水準にとどまらず、しばしば既に詩作の域に達していた。つまり音楽不要の水準に達していた。
1970年代前半は音楽が詩を求める時代だったのだと感じる。ほど経ずして産業需要はコピーライターと詩人を取り違えるようになるのだが。