1970年代の現代史 (目次 随時更新)
1970年の現代史① 立て 飢えたる者よ
曲名、曲中のインターナショナルは英語 (のカナ表記)と推定する。だから 本来はジ・インターナショナル讃歌か。若しくは オリジナル言語でランテルナシオナル頌歌。寧ろ 無理矢理 かな漢字変換して 世界労働者運動を讃える歌までいけば やっと本来の命名意図に到達出来たのじゃないか。
敗戦後 占領軍の解禁でメーデーを始め合唱機会が急増、1950年代半ばからは歌声喫茶等で爆増し、1960年安保闘争の国会突入で歴史化、(日本独自の) フォークソング運動/集会は その最終局面だったか (うたごえ運動組織の催事やメーデーでは以降も合唱した可能性は高いが)。第4回 関西フォークキャンプ (の打ち上げコンサート 1969年) 以降の この歌の運命は よく知らない。
1970年の現代史② 聞け 万国の労働者
メーデー歌は 音楽の原案制作者が軍人で 歌詞制作者が革命推進家だから、蜂起して現体制を打倒する側の歌詞が 鎮圧する側の旋律に乗っかっている。右側のメロディに左側の歌心を合わせる 興味深い均衡。林檎で建てた御殿に腹を立て犬小屋を造るため強化した お金儲けの仕組み上では大した問題なのかも。
尤も 平たく単なる替え歌の連鎖とみれば 何の不思議もなく 著作権以前から永続して来た 歌謡伝承の営み。そこに 歌と詩の結節点を見出し 創作基盤としたのが関西フォーク運動の独自性だったと記憶する。
1973年の現代史① アメリカン テュン
米国/英国/日本発の同時代音楽を聴いたのは この辺りが最終局面だった (全く個人的な事情)。ポル サイモン、ボブ ディラン、なぜだか ユダヤ系の詩語に埋もれていた事に気が付いてはいた。半世紀前の宿題。ふと、アメリカン テュンの詩行を日本語で辿ろうとしてみて、いきなり 単語の意味では 堂々巡りで 了解に達しないと知れた。そこで 詩行自体の存在意味を音楽史の成り立ちから確認してみようと思い立った。偶然に マタイ受難曲だった筈はない。そこを端緒に 次段階は翻訳だが、投稿予定は??
1973年の現代史② 合衆国の調べ
日本語に置き換えた。
1973年の現代史③ 米国の受難曲
永久に祝福される事はない米国の受難、休息だけが必要だった 1970年代。