2.彼のこと

「今度、うちの例大祭に来てみない?俺が神楽踊るよ。」
定期的に身体の関係を結んでいたYが言ってきた。
俺が神社仏閣に興味があること、とくにそこに残る伝統芸能に興味があることを知っての誘いだった。

その日は、4月のうららかな朝、と呼ぶにはあまりにも激しい地元特有の烈風が吹きすさんでいた。

例大祭の神社は二宮と呼ばれ県内で最も格の高い神社に次ぐ格式を持つ…と聞いていたが、古色蒼然とした社と神楽の舞台を除けば意外にもすっからかん。
あとはひたすら広い、学校の校庭のような土色の空間に電飾のぼんぼりが中央の柱から四方に巡らされてるだけ。

とある映画の運動会のシーンを思い出した。
都会に出たストリッパーが故郷に錦を飾って凱旋、のつもりが田舎の人達とのいざこざを面白おかしく描いた「カルメン、故郷に帰る」というコメディ映画。
あの舞台となった土地は、俺の親族を含め満洲から戻った者が戦後に住み着いたという、俺にとって縁深い場所。

戻った者の大半は農家の次男、三男以下だったそうだ。
帰国しても長男が継いだ故郷には居場所はない。
国から与えられ移り住んだものの、どの作物も育ちが悪く毎冬ごとに凍死者と餓死者を出したらしい。
それでも「ここが故郷」と苦労しながら住み続け、かつ開拓時代(言い換えれば侵略時代)を偲んだ地名をつけるような、複雑な郷愁に満ちた土地でもあった。

幼少期にはよく訪れた。
あまり良い思い出はない。
記憶は所々モヤがかかるようにおぼろげだ。

集会所で怒鳴りながら討論をする大人たち。
時たま戯れに「子どもの君に分かるはずもないだろうけどねえ」と軽い嘲笑を含みながら、一方的に教えを垂れる叔父たち。
あとは時々憎々しげに睨まれる、村の人からの不意の悪意に晒されたことくらいか。
おぼろげな記憶には色彩もない。

ちなみに遊園地もデパートも映画館も、子どもが好みそうな場所には連れて行かれたことはなかった。
資本主義に満ちた享楽的な週末を過ごすことは恥ずべきこと、そんな雰囲気があった家だった。
中学校で部活を理由に逃げられるようになるまで、週末は熱心な某赤い党シンパの父に引きずられてその戻った者の暮らす「赤い思想的に正しい場所」で過ごした記憶くらいしかない。

それでも数少ないけれどその土地での幸せな記憶がある。

なにかの拍子に呼ばれた学校の校庭。
どうやら村祭りだったと思う。
にぎやかな音楽がスピーカーから聞こえ、地元の子どもも大人もワイワイやっている。
よそ者ながら自分も楽しくなってくる。
大皿にもられた山盛りの塩にぎりとタラの芽の天ぷら。
いくらでも食べて良いと言われ、喜んで口に頬張った記憶。
美味しくて美味しくて、一皿まるまる食べ尽くして「そんなに食べるやつあるか!」と後でしこたま怒られたけど笑

おにぎりの、白米の白と海苔の黒。
タラの芽の天ぷらの緑。
色彩のある思い出。

だから余計にその映画を観るたびに、その幸せな記憶を思い出す。
特に後半の踊るストリッパーを見ながらおにぎりを頬張るお婆さんを観るたびに、幸せの共有感覚みたいなのが起きて何度もリピートしてしまう。
そういう気持ちで観る場面では無いのだけれど笑

ともあれ。

その例大祭の場所は見る人が見ればなんの変哲もない田舎の村祭りの場。
どこかで幼少期の思い出が蘇ってきた。
それもおにぎりをたらふく食べた幸せな記憶。
なんだか吹きすさぶ風も気にならないくらい気分が良かった。

やがて厳かに神主が現れて祝詞を唱える。
楽が始まり神楽殿の奥から黄土色の衣装を付けた二人組が現れすり足で四方を回る。
あの厳つい肩はYだ。

笛の音が激しくなり、踊りも激しくなる。
膝を屈伸し、重心を下げ、紙幣を真上に突き出す。
そういえば「踊りの練習で腰を故障しちゃって大変だった」と枕元で言ってたっけ笑

次々と変わる神楽の演目。
年配の踊り手たちと連携しながら入れ替り立ち代わり役目をこなすY
地元の人たちの輪の中で楽しげに談笑する彼の姿を遠目に見て、どこかチクリと胸が痛んだ。
コミュニティに自然と溶け込むYへの嫉妬?羨望?

鬼の面をつけたYが赤い衣で現れた。
ひらひらと裳裾をはためかせながら、持った棒を手のひらに乗せさらにその上に玉を乗せて静止させようとする。
…が常に動きながらなので中々うまく行かない。

よく掃除の時間にサボった男の子が箒の柄を手のひらに乗せる遊びのような不思議な演目。
その滑稽だけど必死、必死だけど滑稽な不思議な神楽を見ているうちに、胸の痛みがなにか別のものに変わった。

伝統を正しく鑑賞する姿勢。
正しい思想、正しい共同体、正しい家庭。
解答を求めて頭の中でぐるぐる駆け巡っていたもの。
胸の痛みの正体。

でも眼前にあるのは踊り手のYとそれをにこやかに見守り支える人たち。
それだけ。
単純な解答。

なにか、自分が囚われてるものがひどくつまらないものに思えてきた。
モヤが晴れるように、周りの人のと同じく自分の口角も緩みはじめた。
と、同時にYのことを「愛おしい」と思う自分の気持ちに気づいた。
胸が苦しい。

夕暮れ。
朝から続いた神楽が終わり、疲れ果てながらも爽やかな顔で見送るYに別れを告げ、帰路についた。
俺みたいな面倒くさい拗れた人間が、こんな健全なYと関わってはいけないのかも…と悩みながら。

どうせ身体だけの関係。
価値のない自分はこのまま気持ちを告げずに身を引こう、とも。

日が落ちて、いっそう激しさを増した風に晒されながら、今までやってきたように自分の心を封じ込めた。
心にある幸せな記憶を封じ込めた箱。
幼少期の「村祭り」と「おにぎり」の記憶と、彼の赤い衣装で踊る姿を紐付けながら。
「正しさ」を求める叔父たちの影響下のもと、いつの間にか身についた習慣。

…ところが、数ヶ月経っても気持ちは抑えきれなかった。
彼の赤い衣装で踊る姿が頭を離れない。

生まれてこのかた、頭と心を縛っていたモヤを吹き払う風が吹いたようだった。
例大祭の祝詞にあった豊穣をもたらす級長戸辺命の風のように。

夏の盛りの熱い夜、彼の手にそっと触れて自分の気持を伝えた。
「好きだ」と。

(2018年8月5日夜10時、車内にて)